エッセイは、「何があったか」より「どう見たか」 〜無名の俺らが、ブログでエッセイ書く意味〜


この『まっつんスタイル』は、ブログというより、一冊のエッセイ集みたいな場所にしたいと思っててね。

少し前、タチコマにこんなことを聞いてみたことがある。

「名作と言われるエッセイを、分かる範囲で教えてくれ」

「エッセイストや文学者はもちろん、芸人が書いたエッセイなんかも」

そこで出てきたのが、

さくらももこ、向田邦子、内田百閒。

さくらももこの『もものかんづめ』は、あまりに有名。

文学者なら、

夏目漱石、三島由紀夫、村上春樹。

三島の『不道徳教育講座』、好きやなぁ(笑)。

芸人なら、

又吉直樹、若林正恭、岩井勇気。

そうそう、松ちゃんの『遺書』もベストセラーエッセイやね。

ほかにも、たくさん。

名前と作品を眺めてるだけで、なんかいい感じ(笑)。

たぶんこの頃のまっつんスタイルは、エッセイというものの“型”をはっきりさせたかったんかな。

でも、改めて考えてみると、エッセイってなんなんやろね?

辞書的に言えば、

「自分が見聞きしたことや、感じたこと、考えたことを自由に書いた文章」

かな。

言うたら、随筆やね。

まぁそれくらいはわかるし知っとる。

でも、それだけやと、なんかいろいろと広すぎる(笑)。

日記となにが違う?

評論とはなにが違う?

小説とは?

なんか全部、どこかつながってるようにも感じる。

実は、なんとも曖昧なジャンルなんじゃないかね、エッセイって。

あえてまっつんスタイルなりに考えるなら、

日記は、

「何があったか」

を書くもの。

エッセイは、

「それをどう見たか」

を書くもの、じゃないやろか。

例えば、

「朝、カラスがやかましく鳴いてた」

これだけなら、日記っぽい。

でも、

「あのカラスたちは、誰に向かって、なんで鳴いているんやろう?」

ってなると、急にエッセイっぽくなる。

どやろ?

出来事そのものより、自分の中に生まれた“小さな引っかかり”?

そこを少し掘って言葉にしてみる。

たぶん、そんな作業がエッセイなんちゃうかな。

だから、おもろいエッセイを書くためには、ごっついレア体験が必要ってわけじゃない。

“これ”っていう型があるわけでもない。

海外放浪。

大恋愛。

九死に一生の大事件。

もちろん、そういうものも材料にはなる。

でも、意外と、

いつもの食卓、

近所の公園を散歩コース、

軽トラのエピソード、

スタバ行脚、

ふらりと潜った鳥居、

季節の花々、

男泣きした過去(笑)。

素材なんて、案外なんでもいい。

さっきも言った、大事なのは、何が起きたかより、

“その人がどんな切り口で、どこを見たか”

名作と言われるエッセイを読んでみると、

「この人、そこを見るんや!」

っていう視点に感動することが多い。

人がエッセイに惹かれるのって、そういうところ。

だから、エッセイを読むっていうのは、

「誰かの目を借りて、世界を見ること」

とも言えるよね。

自分なら通り過ぎるような場面で、誰かは立ち止まる。

自分なら気にしない一言を、誰かは何年も覚えてる。

そういう文章を読むと、いつもの景色が、少し違って見えるようになる。

もしくは、

「あぁ、この人も、こんなこと考えるんや」

っていうシンパシーというか、安心?

「そんな見方ある?(笑)」

っていう笑いや驚き?

エッセイは、他人の頭の中を合法的に覗いて追体験できるアイテムやったりする(笑)。

エッセイを読むのはおもしろい。

文章のリズム。

言葉選び。

間の取り方。

切り口。

どこまで書いて、どこを書かないか。

勉強になることが、いっぱいあるよね。

現代ものはもちろん、日本の古典が熱い(笑)。

ただまぁ、

「こんな個性的なエッセイ、自分に書けるとは思えん・・・」

なんて思わず思ってしまうのも人情(笑)。

でもエッセイって、さっきも言った、その人の視点を描くもの。

だから、そもそも同じものを書く必要ってないんよね。

ていうか、書いたらあかん(笑)。

名作にしようと書く必要はない。

無名の人間が、

今日見たものを、

今日考えたことを、

自分の言葉で書く。

そんな作品にも、ちゃんと意味がある。

むしろブログで書くエッセイは、文章のうまさだけを読まれているわけじゃないとも思うしね。

その人が、

今日どう生きて、

何に引っかかって

どう考えたか。

そこを読みに来る人がいるんやと思うから。

たぶんやけど、書き続けてると、だんだん、

「この人なら、これをどう見るんやろう?」

っていう読み方をされるようになる気がする。

カラスについても、

神社仏閣についても、

食欲についても、

女子アナの何気ない一言についても(笑)。

テーマが特別なんじゃない。

その人の“通った道”や、“山の登り方”が、読みものになる。

読者は文章を読みに来るというより、その人の“ものの見方”に会いに来る。

エッセイのおもしろさって、きっとそういうとこ。

それにエッセイって、正解を書くことじゃないからね。

思ってる以上に自由でいい。

評論なら、ある程度、論を固める必要がある。

ハウツーなら、役に立つ形にまとめた方がいい。

でもエッセイは、

「俺は、なんかこう思った」

が成立する(笑)。

しかも、途中で考えが変わってもいいし、極端な話、矛盾してもいい。

もちろん、事実を適当に書いていいという意味じゃなくてね。

でも、自分の感情や考えには、必ず一つの正解があるわけじゃないってこと。

むしろ、その“揺らぎ”とか“戸惑い”の中に、その人の“らしさ”が出る。

そう、だから、

「エッセイとはなにか?」

「名作と呼ばれるものの共通点とは?」

「読まれる文章とは?」

そんなことを考えすぎて、一文字も書けなくなるくらいなら、今日ちょっと気になったことを、そのまま書いてみる。

ちょっとくらい意味不明でも、やたら短文でもいい。

誰にも読まれなくてもいい(笑)。

最初はそんなもんでいいんかもしれん。

エッセイを書くための、特別な人生はいらない。

たぶん逆。

特別でもなんでもない毎日を、“自分なりに眺めて言葉にする”。

その視線が、エッセイ。

で、そんな文章を書き続けるなら、“自分だけの場所”を持つのがいい。

SNSに流すのもいいけど、自分のブログなら、昨日書いた文章も、一年前に書いた文章も、静かに残っていく。

あとから読み返すと、文章だけじゃなく、“その時の自分”まで残ってるからね。

ブログは、作品置き場というより、

「自分の視点を積み重ねる場所」

になりうる。

最初は、

「ドメインって何?」

「サーバーって?」

っていうところから始まる。

まぁでもやってみると、思っていたより難しくない。

今はAIに聞けばなんでも教えてくれるし(笑)。

なにより、“自分だけの城”ができる感覚は、なかなかに男心をくすぐる(笑)。

“今日の小さな引っかかり”を、誰にも急かされず、自分の言葉で置いていける場所。

エッセイを書くなら、まずは自分のブログを作ってみるのも、一つの始め方として悪くないと思う。

難しく考えんと、とりあえず場所だけ作ってみる。

書く内容は・・・、まぁそのあとでええ。

というわけで最後は、しれっとブログエッセイのすすめ(笑)。


以下、まっつんスタイルが実際に使ってるサーバーとドメインサービスを置いとく。

もちろん、ブログを始めたからって、急に名文が書けるわけじゃないけどね(笑)。

でも、自分の文章を置ける場所ができると、不思議と書いてみたくなるのはたしか。

チャレンジしてみるにしくはなし☆


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