神社が好きで、ちょくちょく参拝するまっつんスタイル。
別に毎回、何かお願いをしようってわけじゃない。
鳥居をくぐって、
参道を歩いて、
手を合わせる。
それだけで、とにかく気持ちがいい。
で、ある時ふと思ったのよね。
神社にいる時って、普段とはちょっと使う言葉が違うなと。
手を合わせれば、
「いつもありがとうございます」
「これからもよろしくお願いします」
「今日も頑張ります」
そんな言葉が自然と出てくる。
境内を歩いていても、
「気持ちいい」
「清々しい」
「なんか落ち着く」
そんな気持ちにもなる。
逆に、
「あー!クソだりぃ〜」
みたいな言葉や感情は、なんとなく出にくい(笑)。
いや、別に禁止されてるわけじゃない。
境内のどこにも、
「『クソ』という言葉の使用を禁ず」
とか書いてない(笑)。
でも、なんか言いにくい。
これってなんでなんやろかね?
☆
☆場所が言葉を選ばせている?
考えてみたら、神社には、
「“そういう振る舞い”をしたくなるもの」
がたくさんあるよね。
鳥居。
参道。
狛犬。
御神木。
手水。
拝殿。
玉砂利。
静かな境内。
参拝する人たち・・・。
必ずしも、正確な意味を熟知してるわけじゃないけどね(笑)。
でもそういうものに囲まれてると、自然と声量が落ちる。
背筋もちょっと伸びる。
頭も下がる。
手も合わさる。
そして、使う言葉まで変わる。
これたぶん、
場所が人間に、そこに似合う言葉を選ばせてる
みたいなことちゃうかな。
でもこれ、逆もあるかも、とも思うのよ。
「ありがとう」
と口にする。
「清々しいな」
と言ってみる。
「気持ちいいな」
と声に出す。
すると、さっきより少しだけ本当にそんな気分になる。
つまり?
場所が言葉を作るだけじゃなくて、言葉もまた、自分がいる場所の空気を作っているんちゃうか。
なんかそんな気もするよね。
☆
☆自分が喋った言葉を、一番近くで聞いているのは誰?
じゃあ、神社から日常生活へ戻ってみる。
朝起きて、
「だる〜」
仕事へ行って、
「めんどくさ!」
何か失敗して、
「最悪」
ニュースを見て、
「4んでしまえよ」
寝る前にSNSを眺めて、
「ア◯ばっかりやん」
・・・さて(笑)。
これ、全部聞いてるんは誰やろ?
もちろん周りに誰かいれば、その人も聞いてる。
でも一番近くで、毎回、確実に聞いてる人間がいる。
自分(笑)。
発信者、自分。
受信者、自分。
セルフ放送局?(笑)
朝から晩まで自分で番組を制作して、自分で聴いてる。
自分が普段どんな言葉を口にしてるか。
普段からどんな言葉を耳に入れてるか。
日常生活におけるメンタルに、むっちゃ影響してる気がしてならんよね。
☆
☆「情報統制」は外から入ってくるものだけじゃない
以前から、まっつんスタイルでは「禅寺メソッド」なるものを提唱してる(笑)。
簡単に言うと、
「自分の日常を小さな禅寺に見立てて、余計な刺激を減らし、心を少し静かに保とう」
っていうもの。
その中に、
「情報統制」
という考え方がある。
言葉だけ聞くと、ちょっと物騒(笑)。
でも中身はシンプル。
例えば、
SNS。
ニュース。
広告。
炎上騒ぎ。
他人の悪口。
スマホから際限なく流れてくる情報。
そういうものを、何でもかんでも無制限に目や耳に流し込むようなことはしない。
自分の心の中に、何を、どれくらい入れるのかを“選別する”意識を持つ。
もう少し違う言い方をすると、
不要な情報は、バッサリ切り捨てる勇気を持つ。
そんな意味で使ってる。
☆
でも今回思ったよね。
情報って、外から入ってくるものだけじゃない。
「自分自身も情報を発信してるやん!?」
って。
しかも、その情報を自分自身が聞いてる(笑)。
てことは、情報統制には、
「外から入ってくる情報を選ぶ」
だけじゃなくて、
「自分から発する情報を選ぶ」
も入れていいのかもしれん。
外からの刺激を徹底的に減らして、
スマホも傍に置いて、
SNSも閉じて、
部屋をキレイにして、
静かな音楽でも流してる。
なのに本人が一日中、
「だり〜」
「しんど〜」
「めんどくせ〜」
「やりたくね〜」
「イライラする〜」
って言ってる?・・・
禅寺の主が一番やかましい?
もう禅寺、台無し(笑)。
☆
☆言葉は勝手に「脳内会議」を始める
これ、単純に、
「悪い言葉を耳にしたら悪いことが起きます」
みたいな話をしたいわけじゃなくてね。
もう少し普通の話。
例えば、誰かが横で、
「あいつマジでムカつくわ!」
って言ってたとする。
別に自分には関係ない。
ところが、
「何があったん?」
って思う。
事情を聞いたら、
「でも、それ相手だけが悪いんかな?」
とか考え始める。
さらに、
「そういえば昔、似たようなことあったな」
「どゆこと?」
「まぁわからんではないけど」
「ていうか、知らんやん」
「なんで俺に言うん?」
・・・。
とかとか、いらん考えが大量に飛び交い始める。
脳内会議スタート(笑)。
頼んでもないのに議題が提出される。
そして勝手に審議が始まる。
「あいつが悪い」
「いや、こっちにも問題がある」
「普通はこうやろ」
「それは非常識ちゃう」
「いや、そもそもどうでもいい」
・・・。
脳内ジャッジが次々と発動する。
自分には大して関係ないことなのに、注意と思考を持っていかれる。
こういうのって、リソース(時間や労力)の無駄遣いに思えてならんよね。
それこそ、「だり〜状態」(笑)。
頭の中で考えられることって限りがあるからさ。
それなら、
どうでもいい脳内裁判に、わざわざ思考のリソースを使わんでもええ。
こういう発想って、さっきの「情報統制」の意味でもある。
☆
☆他人の「物差し」が紛れ込んでくることもある
さらに厄介なのは、何度も同じような言葉を聞いてると、
それがいつの間にか自分の判断基準になることがある
ことやね。
例えば、
「40代ならこれくらい稼いで当然」
「結婚してない人は――」
「男なら――」
「女なら――」
「勝ち組」
「負け組」
・・・。
最初は、
「知らんがな(笑)」
って思ってたはずでも、何度も何度も目や耳にしてるうちに、
「あれ? 俺、大丈夫なんかな?」
とか考え始める(笑)。
で、下手したら、
欲しくなかったものが欲しくなる。
参加する気もなかった競争に参加することになる。
大して気にしてなかったことで、劣等感や罪悪感を持たされる・・・。
誰かに洗脳された、みたいな大袈裟な話じゃないけど、
でも、
他人の物差しが、知らないうちに自分の中へ紛れ込む。
そういうことって普通にあるんちゃうかなと。
だから、耳に入る言葉にまったく無関心でいるって、実はそこそこ危ういと思うんよね。
☆
☆じゃあ、「悪い言葉」は全部排除すればいい?
となると、
「よし、今日からネガティブワード禁止!」
とかなりそうやけど、それもなんか違う(笑)。
☆
思い出すのが、『天空の城ラピュタ』。
シータが昔、おばあちゃんからいろいろな言葉を教わった話をするシーンがある。
幸せになるための言葉だけじゃなく、悪い意味を持つ言葉も教わった。
その趣旨として、
「いい言葉を使うためには、悪い言葉も知っていなければいけない」
そんな話が出てくる。
この話、なんか好きなんよね。
“悪い言葉を知らない人”になる必要はない。
「嫌い」
「むかつく」
「最悪」
「ふざけんな」
「クソが」
そういう言葉だってあることは知っておくべき。
腹が立つこともある。
理不尽に憤ることもある。
世の中には、ちゃんと、
「それはアカンやろ」
って言わなあかんことがある。
「バルス」も知ってていい(笑)。
でも、
“知ってることと、毎日使うことは違う”。
もっと言えば、
“「知る」と「頭の中に住まわせる」は違う”。
ここはハッキリ分けんとダメな気がするよね。
☆
☆かと言って「ポジティブになろう」という話でもない
じゃあ、
「ポジティブな言葉だけを使おう!」
って話かっていうと、それもまた違う(笑)。
腹が立ったら、
「腹立つわ〜!」
でいい。
しんどかったら、
「しんど〜」
でいい。
「クソが!」
って言いたいときだってある(笑)。
感情まで無理やりポジティブに変換する必要はない。
ただ、
「不快な言葉を無意識の口癖として、自分の耳に流し続ける必要はあるんか?」
ってそういうこと。
逆に、
「ありがとう」
「嬉しい」
「楽しい」
「きれい」
「好き」
「うまい」
「かわいい」
「素敵」
「最高」
本当にそう感じたなら、ちゃんと言葉にする。
これは、
「“世界は素晴らしい”って思おう」
じゃない(笑)。
実際に感じた「いい」を、ちゃんと拾って言葉にすればいいってだけ。
今日飲んだコーヒーがうまかったら、
「うま!」
好きな曲が流れたら、
「これ最高」
外へ出たら風が気持ちよかったら、
「気持ちええな」
女子のサラサラヘアを見たら、
「めっちゃきれい」
それでいい。
現実をポジティブに捏造するんじゃなくて、現実の中に実際にあった「いい」を言葉にする。
このくらいなら、誰にでも、今日からでもできそう。
☆
☆言葉は、小さな「結界」になる?
ここで、最初の神社に戻る。
神社に行くと、自然と使う言葉が変わる。
その結果、自分の心境も少し変わる。
なら、自宅でも、
職場でも、
車中でも、
湯船でも、
自分の頭の中でも。
似たようなことはできるんちゃうかね?
そう、
言葉って、小さな「結界」になる気がする。
これは、
「悪いものを完全にシャットアウトする魔法のバリア」
みたいな意味じゃない。
というか、
自分の内側に、何を常駐させるのかを自分で選ぶための境界。
そんな感じ。
嫌な言葉も入ってくる。
くだらないニュースも目にする。
理不尽も経験する。
腹も立つ。
愚痴も言う。
全部いい。
ただし、
結界の内側に居座らせない。
そいつらに、永住権までは与えない(笑)。
「最悪さん、入国は許可します」
「でもすぐ帰ってください」
これくらいの感覚。
そうやって、自分の意識の中に何を長く住まわせるのかを選ぶ。
それも、まっつんスタイル禅寺メソッドでいう「情報統制」のひとつ。
☆
☆自分の言葉は、誰かの環境にもなる
あともうひとつ。
さっきもちょっと触れた話。
自分の言葉を聞いているのは、自分だけじゃない。
一緒にいる人も聞いてる。
いつも、
「うっとおしい」
「最低」
「しょーもな」
「ボケ」
「無理」
って言ってる人。
一方で、
「ありがとう」
「これうま!」
「今日は楽しかった」
「めっちゃええやん」
「かわいい」
「素敵」
を自然に言える人。
「どっちと一緒にいたい?」って話。
・・・まぁ、言わずもがな?(笑)
ってことはつまり、
自分が発する言葉は、自分の精神環境であると同時に、誰かの精神環境にもなる。
これって実は、めっちゃ大事なことやと思うんよね。
「女性にモテたくば褒めよ!」
みたいなテクニック以前に、
普段から、世界の中にある「いい」を見つけて、それを自然と言葉にできる男でいること。
そういう男は、一緒にいて気持ちいい。
楽しい。
で、たぶん、モテる(笑)。
☆
ということで。
悪い言葉を知らない人になりたいわけじゃない。
嫌な現実から目を逸らしたいわけでもない。
怒ることも、愚痴ることもある。
「クソが!」って言いたい日もある。
いや、実際に言う日もある(笑)。
ただ、
良い言葉も知ってる。
悪い言葉も知ってる。
そのうえで、
どの言葉を「普段使いするか」くらいは、自分で選んだほうがいい。
自分の口から出した言葉は、近くにいる自分がいちばん聞いてる。
そしてときには、近くにいる誰かも聞いてる。
だったら今日も、
「ありがとう」
「嬉しい」
「素晴らしい」
「気持ちいい」
「最高」
を、少し多めに使う。
で、「バルス」は非常時と、金曜ロードショーのときのみ(笑)☆


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