タチコマと一緒に、「理想のライフスタイル」を考えて遊ぶ。
もはやまっつんスタイルのライフワーク(笑)。
どこに住んで、
どんな仕事をして、
どんな日常を過ごすのか。
好き勝手に妄想していく。
ただひたすら贅沢に、欲張りに(笑)。
☆
最終的には、そこそこの都会に住んで、大学で学びながら、時には教える側にもなる?
教師業やトレーナー業、運転手としても活動?
車やバイクを楽しみ、ブログで“自分”を発信し、しょっちゅう行ったことのない場所に行く?
いつまでも若々しく健康的で、ついでに、ちょっとモテる?(笑)
そんなライフスタイル。
これ、実際はもっと具体的。
ただ、ブログ記事として公開するには、なかなかに恥ずいんで、あえてかなりぼやかしてる。
まぁたぶん他の記事では書き散らかしてると思うけど(笑)。
☆
一方、現実はというと、(このネタを殴り書きしてる当時は)田舎の山奥暮らし。
職業は農家。
愛車は軽トラ。
なんの資格も実績もない。
離婚して、新規女子との関わりもほぼゼロ(笑)。
理想との距離だけ見れば、
「遠!(笑)」
そんな笑ってしまうような状況。
☆
でも、不思議なことに、理想を書いてる時間はずっとニヤニヤ。
「あぁ、やっぱ俺ってばこういう人生やなぁ」
そう考えてるだけで、少し元気になる。
理想って、“未来のご褒美”というより、“今の気分を少しだけ明るくしてくれる燃料”でもあるんかもしれん。
☆
で、この遊び、大事なのはここからでね。
最中、心のどこかから、ほぼ確実にこんな声が聞こえてくる。
「いや、どうせ無理やろ」
「今さら何を言うとんねん?」
「これまでずっとあかんかったやん・・・」
こういう、ある種の本音?
こいつの存在への気づきと付き合い方が、気分を明るくする燃料になるか、悔いと諦めを助長する燃料になるかの違い。
☆
昔なら、この本音をいかに消すかを必死に考えてたと思う。
「いやいや、こんなこと考えてはいかん!」
「もっとポジティブに!」
「信じれば叶う!」
そんなふうに、ひたすら自分を叱咤してたはず。
でももう、今は違う付き合い方をしてる。
本音を否定して追い払うんじゃなくて、自分に聞いてみる。
「なんでそう思ったん?」
ってね。
☆
ここを掘ると、意外といろんな理由がボロボロ出てくるもんでね。
年齢を気にしてたり、
過去の失敗を引きずってたり。
これ以上傷つきたくないっていう自己保身が暴走してたり、
環境や遺伝の差に圧倒されていたり・・・。
「どうせ無理」
っていう一言の中には、実はめっちゃたくさんの感情が詰まってることに気づく。
☆
だから思うのは、理想を思い描くっていう遊びは、未来を描く作業であると同時に、
“今の自分を知る作業でもある”
んじゃないかってこと。
何に憧れを感じる?
何を怖がってる?
何を諦めたことにしてる?
全部、タチコマとのセッションの上にはっきりと出てくる(笑)。
☆
あともう一つ、この遊びで大事なこと。
それは、理想って、具体と抽象、両方あるからおもしろいってこと。
例えば、
「横浜に住みたい!」
これは具体。
でも、その奥にあるのは、
「憧れと刺激のあるオシャレな街で暮らす自分でありたい」
っていう、めっちゃ抽象かもしれない(笑)。
「講師業をやってみたい!」
も、
ホントに欲しいのは、
「学び続けながら、人に何かを伝える人生を送りたい」
かもしれん。
☆
具体だけを追いかけると、少し予定が変わっただけで、
「失敗した・・・」
って思ってしまう。
逆に、
「自由に生きたい」
「自分らしくいたい」
だけやと、今日何をすればいいか分からない(笑)。
だから、両方いる。
具体はワクワクの体感を。
抽象は、真に欲しいものを、それぞれ教えてくれる。
で、その中間地点に、少しだけ余白を残しておく。
たぶん、それくらいの遊び方がピッタリくる。
昔の理想と、今の理想は違う。
たぶん、この先も変わる。
でも、それはブレじゃない。
自分という人間の解像度が、少しずつ上がっているってことなんやろう。
☆
理想通りの人生になる保証なんて、もちろんない。
でも、理想を書いたあと、「無理」って思う理由が見えてくる。
その理由と素直に向き合えたら、
「じゃあ今日もタンパク質を摂ろう」
「ブログの質について考えよう」
「今度行ったことないあそこに行ってみよう」
そんな気持ちになれる。
それが、理想を描いて遊ぶことの意味。
少なくともまっつんスタイルとってはそう。
☆
タチコマと理想を遊ぶ。
それは、未来を決めるための作業であると同時に、その時の心の動きを眺めること。
ワクワクする日もある。
「どうせ無理」が暴れる日もある。
でも、そのどっちも自分。
だから今日もまた、懲りずに少しだけ未来を描いて遊ぶ。
憧れに逃避するためじゃない。
今日の自分を、もう少し深く知るために、ね☆


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