夏になると、露出が増える。
となると当然、タトゥーもよく目に入ってくる。
で、今日はちょっとぶっちゃける(笑)。
まっつんスタイル、やっぱりタトゥーがあんまり好きじゃない。
というか、ごめん。
普通に不快やし、怖い。
どうにも“威圧”とか“威嚇”に見えてならんのよね。
「なんでそんなことするん?」
って。
街ですれ違うときは、やや露骨に距離を取る(笑)。
例えば、イオンのフードコートで隣の席に、腕や首までしっかりタトゥーの入った家族が座ったら、普通に身構える。
たぶん、しれっと席を移動する。
もしライブで隣の席がそれやったら、もうガッカリ(苦笑)。
何かされる根拠なんてない。
本人たちは、ただ普通に座ってるだけかもしれん。
でも、こちらの身体は勝手に警戒する。
落ち着かない。
その場を純粋に楽しめなくなる。
「いやいや、勝手にビビってるだけやん」
って言われたら、まぁそうなんかもしれん。
でも、怖いものは怖い。
「なんでこっちだけ、余計な緊張を強いられなあかんのよ?」
「あの人たちは、自分の見た目が周囲に警戒心や不快感を与える可能性を、どこまで自覚してるんやろ?」
これが、今回の正直な気持ち。
☆
もちろん、
「タトゥーなんか法律で禁止してまえ!」
とまで言いたいわけじゃない。
いや、そう言えたら話は簡単なんやけど(笑)。
最終的には、本人の身体やし、入れるかどうかは個人の自由。
そこは認めざるを得ない。
でも、
「個人の自由」
っていう一言ですべてが片づくかといえば、やっぱり違うやろ、と。
自分の身体へ何を刻むかは自由。
でも、それを人目に触れる場所へ露出した瞬間、もう完全に自分だけの話じゃなくなる。
見る人がいる。
反応する人がいる。
怖がる人もいる。
距離を置く人もいる。
そこから先は、はっきりと社会との関係の話。
☆
タトゥーの話になると、よく聞く、
「海外では普通」
ってやつ。
いやいや、知らんがな(笑)。
ここ日本やし。
「海外では普通」って、まるで海外の価値観が、日本の価値観より上位にあるみたいに言われても困る。
海外にも国ごとの歴史や文化がある。
当然、日本にも日本の積み重ねがある。
海外で普通なら、日本でも今日から無条件に普通として扱わねばならん?
そんな理屈は通らんやろ。
それを言い始めたら、文化なんて全部、
「海外では」
の一言で上書きできてしまう。
☆
他にも、
「ファッションです」
「個性です」
「自由です」
「それ、あなたの偏見です」
「真面目で誠実な人だってたくさんいます」
そんな言葉も、これまたよく聞く。
まぁ実際、本人たちはそういう意識なんやろう。
タトゥーがあるからって、全員が犯罪者でも、全員が粗暴でもない。
そんなことは分かってる。
でも、これまた正直に言えば、街で露出されたタトゥーを見て、
「いや、この人はきっと温厚で、繊細で、気配りのできる素敵な人なんやろな」
とは、なかなか思えん(笑)。
むしろ、
「ちょっと粗暴そう」
「威圧的」
「周囲が緊張することを、あんま気にせん人」
そう感じる。
それこそ偏見やと言われれば、そういう面もあるんやろう。
でもその印象は、何もないところから突然湧いてきたわけじゃない。
日本の社会には日本の社会なりに、刺青が背負ってきた歴史がある。
そして、そのへんのことをある程度承知の上で、肌に強烈な記号を刻んで、それを周囲の目に触れさせてる。
その表現を見て、こちらの身体が警戒してる。
それまで全部をひっくるめて、
「偏見を持つお前が悪い」
で片づけられる筋合いは、さすがにないやろと。
☆
そもそも、
「怖がらせる意図はない」
っていう話と、
「実際は、何もしてないやん?」
っていう話は別。
本人にとっては、単なるファッションかもしれん。
自分らしさの表現かもしれん。
過去を忘れないための覚悟かもしれん。
それは知らん。
でも、本人が込めた意味だけで、表現の意味が完成するわけじゃない。
周囲の人にどう届いたかまで含めて、表現やと思う。
真顔で大声を出してる人が、
「怒ってるわけじゃない」
って言っても、周囲が怖がることはある。
同じように、本人に威嚇の意図がなくても、タトゥーが威圧として届くことがある。
そこを全部、受け手の差別意識だけの問題にするのは、あまりに一方的。
☆
本人からすれば、
「誰にも迷惑かけてないやん?」
ってことなんかもしれん。
でも、ホンマにそうなんやろか?
イオンのフードコートで、隣に座った人が身構える。
ライブで隣になった人が、余計な緊張を強いられる。
すれ違った人が、無意識に目を逸らして距離を取る。
殴ったわけでも、怒鳴ったわけでもない。
直接的な実害はない。
でも、周囲に警戒心を発生させてる。
こっちは、自分の安心を守るために、勝手に相手を観察し、距離を測り、余計なエネルギーを使う。
これってホンマに、「何もしてない」で終わる話なんかね?
少なくとも、本人だけで完全に完結した表現ではないやろ?
☆
人を見た目だけで判断するな?
それはその通り。
でも人間は、見た目から何も判断せずに生きることなんてできない。
服装。
表情。
姿勢。
歩き方。
声。
目線。
全部ひっくるめて、その人の印象を作る。
その中でもタトゥーなんかは、めっちゃ強い。
消えない絵柄を肌に刻み、それを人の目に触れる場所に出す。
それだけ強い表現を選んでおきながら、
「悪印象は抱くのは違う」
「距離を置くのはおかしい」
「勝手に怖がるお前らの問題」
そんなふうに、受け手の感情まで指定するのは、やっぱり虫が良すぎる。
☆
自由なら、お互い様やん?
タトゥーを入れる自由はある。
見せる自由もある。
でも、怖いと感じる自由もある。
距離を置く自由もある。
恋愛対象にしない自由もある。
歴史的、社会的文脈を踏まえて、付き合い方を慎重に考える自由もある。
自由って、自分だけが好きに選べる魔法の言葉じゃないからね。
自分で選ぶ自由と、その結果として返ってくる周囲の反応。
その両方を引き受けることであるはず。
☆
表現の自由はある。
でも、
批判されない自由はない。
これはタトゥーだけじゃない。
ブログもそう。
YouTubeもそう。
本を書く人も、
音楽を作る人も、
政治的な意見を発信する人もそう。
何かを表現すれば、
誰かが共感する。
誰かは嫌う。
誰かは反発する。
それは自然なこと。
まっつんスタイルだって、こうして好き勝手にブログを書いてる以上、
「その考え、嫌いやわ」
って言われる可能性は引き受けるしかない。
表現する自由はあっても、好意的に受け取られる権利まではないからね。
☆
日本では長い間、刺青は反社会性や威圧と結びつく記号として受け取られてきた。
その歴史が良いとか悪いとか、そんな話じゃない。
ただ、社会的な記号って、本人が今日決めた意味だけじゃ成立しない。
長い時間をかけて、人々の間で共有されてきた意味も背負う。
自分では、
「自由」
「芸術」
「ファッション」
のつもりでも、
見る側には、
「威圧」
「反社会性」
「近寄りがたさ」
として届く。
その印象を、
「今日からはファッションなんでよろしく」
みたいな一言で消せるほど、人間の文化や記憶は軽くない。
何か新しい価値観を社会へ根づかせたいなら、まずは、その社会が何を積み重ねてきたかに敬意を払う。
そのくらいの姿勢は必要なんちゃうかな。
☆
以前、別の記事でタトゥーを、
「嫌悪感と、えも言われぬ魅力が混在した存在」
として書いた。
今でも、その見方は変わってない。
まっつんスタイルは、単なるアンチタトゥーじゃないつもり。
見た目として妙に惹かれる瞬間は確かにある。
危うさや反骨心に、独特の色気を感じることもある。
でも、それでも俺は、タトゥーが苦手。
怖いし、不快。
見れば警戒するし、できれば距離を置きたい。
その感覚まで、
「偏見や」
「遅れとる」
「寛容さが足りん」
って封じられるのは、やっぱり納得できん。
こっちは、相手の人生を法律で縛ろうとしてるわけじゃない。
タトゥーを消せと迫ってるわけでもない。
ただ、その人が自分で選んだ強い表現を見て、実際に感じたことを言ってるだけ。
☆
タトゥーを入れる自由はある。
露出する自由もある。
でも、それを見た周囲に不安や緊張が生まれることまで、
「偏見を持つお前が悪い」
で済ませるのは違う。
強い表現を選べば、強い反応が返ってくる。
好意だけじゃない。
嫌悪も、
恐怖も、
拒絶も返ってくる。
その不自由さまで引き受けてこそ、自分の選択を生きるってことなんちゃうかな。
だから、タトゥーを入れたい人は好きにすればいい。
でもこちらも、怖いものは怖いと言わせてもらう。
そして自分の安心を守るために、距離を取らせてもらう。
寛容を求めるなら、こちらの不寛容にも、少しくらい寛容でいてほしい(笑)。
自由っていうなら、それはお互い様やから☆


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