24時間断食の終盤。
目を閉じて、ただ深く呼吸を繰り返してるだけの時間。
腹は減ってる。
でも不思議と苦しいとは感じない。
頭の中には色んな思考や感情が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す・・・。
それらは滞留することなく、すぐに霧散する。
この瞬間の、妙な感覚。
「なにもない」
でも同時に、
「“なにもないなぁ”と思っている自分は確かに“いる”」
めちゃめちゃユニークな感じ。
これ、もっと文学的に表現できたらいいんやけど、「ユニーク」が限界(笑)。
で、その静けさの中でふと思った。
「時間って、なんなんやろ?」と。
このテーマ、個人ブログでさらっと書くようなことじゃないけど、まっつんスタイルはさらっと書いてみる(笑)。
☆時間は“ある”のか?
俺らって普段、
「時間がない」
「時間を無駄にした」
「もっと時間が欲しい」
とかとか、当たり前のように口にするやん?
でも、よくよく考えてみると、“時間そのもの”を見たことはない(笑)。
見てるのは、時計の針や太陽の位置であり、感じているのは物事も変化。
朝になったとか、腹が減ったとか。
老けたとか、桜が散ったとか・・・。
つまり俺らは、“変化”を見て「時間が流れた」って言ってるにすぎない。
科学の世界でも、実は時間の正体はまだよくわかっていないらしい。
太古の昔から続く、人類永遠のテーマ。
アインシュタインは「時間は伸び縮みする」と言った。
量子論だと、「そもそも時間は存在しない」なんていう考え方すらあるとか。
まっつんスタイルも、時間に関する書籍に挑戦したことがあるけど、見事に撃沈した経験がある。
全然ついて行かれへん(笑)。
でも逆に言うと、「時間」なんて概念は、それくらい曖昧で不確かなものってことでもある。
☆「クロノス」と「カイロス」
ギリシャ語には、時間を表す言葉が二種類ある。
ひとつは「クロノス」。
これは時計で測れる時間のこと。
1時間、1日、1年。
現代社会で俺らが追い回されてる、いわゆる“時間”はこれのことやね。
で、もうひとつが「カイロス」。
これは、“意味のある瞬間”とか、“満ちた時間”を意味する。
例えば、好きな人と過ごす時間が一瞬で過ぎる感覚とか、自然の絶景に見惚れている時間とか。
はたまた、好物のラーメンをすすって、「ぅんま!」ってなる瞬間とか(笑)。
こういう時間は全部カイロス。
同じ1時間でも、クソつまんない会議の1時間と、好きなことに没頭した1時間では、体感はまるで違う。
この例えが一番わかりやすいかな。
つまり人間は、“時計の時間”だけで生きているわけじゃないってこと。
☆ZEN的時間観
ここでまっつんスタイル。
禅の世界では、「過去も未来も幻想である」と言う。
「あるのは“今”だけである」と。
ただし、その“今”も固定されたものじゃない。
絶えず変化し、うつろい続けている。
常では無い。
まさに、仏教の「無常」やね。
これって要するに、時間が流れてるというより、“今”が連続して更新され続けてるっていう世界観。
だから、禅的には、「時間を無駄にした」とか、「もっと早く」みたいな発想自体が、ある意味では幻想。
だって、“ある”のは“今”だけやから。
もちろん現実社会、クロノス的時間を無視はできない。
でも、時間的効率ばっかり追いかけてると、いつまで経っても“今”を味わえないんよね。
“今”以外の時間を生き続けた結果、気づけば人生が終わってた・・・。
それでは、あまりに寂しい。
「時間」の概念を語る時、禅の教えは、ひとつの大事な視点になると思う。
☆未来から時間が流れてくる?
スピリチュアルの世界だと、「時間は未来から過去に流れている」なんて話をよく聞く。
最初聞いた時は「?」やったわけやけど、これ、最近は少しわかる気もするのよね。
例えば、「こんな自分になりたい」っていう未来像があるから、今の選択が決まる。
つまり、未来のイメージが現在を導いてる。
そんなふうに考える。
すると、“未来が今を作ってる”っていう見方も、あながち間違いじゃない。
過去に縛られるより、「これからどう在りたいか?」と問い続ける方が、人は前に進めるのかもしれんね。
これも、時間というものを捉えるときのおもしろい発想。
☆時間を味わう
最近思う。
それは、「時間を無駄にしない」っていう考え方は、実は人生を窮屈なものにしてやしないか、ってこと。
人間の“生”って、本来はもっとシンプルなんちゃうかと思うのよね。
「時間が時間が」じゃなくてさ。
スタバで、お姉さんと言葉を交わして、コーヒーの香りを堪能して、「は〜」って吐息をつく。
そんな一瞬一瞬をしっかりと味わうこと。
それでもう十分豊かなんちゃうかなと。
時間を“有効利用する”ことばっかり考えてると、人生はどんどん痩せていくかもよ。
「何を持ってして“有効”やねん?」って話(笑)。
でも、「時間を“味わう”」っていう感覚を意識すると、ただ座ってるだけでも満たされる瞬間だってある。
それはたとえば、断食終盤の静けさとか。
当たり前の日常が、特別になることもある。
それはたとえば、自分の手で挽いたコーヒーに湯を注ぎ、五感で味わうとか。
そのコーヒーはきっと、人生そのもののような味がするはず。
「時間」というものがあるとする。
そして、「時間の使い方」なるものがあるとするなら、それはきっとこういうことじゃないかね☆


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