『鬼滅の刃』をね、読み返してるわけよ。
なんか、何度も読み返したくなるシーンってのがあってね。
そのシーンって全部、“自分が自分を取り戻していく瞬間”やったりする。
『鬼滅』自体が、“人間が人間を取り戻す物語”やったりするからかな。
というわけで今回は、まっつんスタイルが大好きな、栗花落カナヲのお話。
「自分を取り戻す」っていう意味では、『鬼滅』の中でも、めっちゃ象徴的なキャラやと思う。
最初はとっつきにくい。
・生い立ち不幸
・無口
・表情が薄い
・感情が見えない
・コイントスとか意味不明・・・
でも物語が進むにつれて、
「あら・・・この子、なんか泣けるぞ」
ってなる。
で、最後の童磨戦。
あそこで完全にやられる(笑)。
ではでは、ここから「カナヲの自立と開眼」の話を、まっつんスタイル流・エロモテZENで語ってみたい。
☆ カナヲは「感情を失った少女」だった
カナヲって、生まれた最初から強かったわけじゃないよね。
むしろ逆。
あまりに過酷な幼少期の中で、いつしか泣くことも、自分で何かを決めることもできなくなっていったんかなって。
例えば、
・感情を出せば殴られる
・人を信じれば裏切られる
・期待すれば苦しくなる
だから心を閉ざした。
そんな感じ?
「コイントスで行動を選択する」っていうのも、わかりやすいキャラ付けではあったかもしれん。
でもあれは、“自分で決める恐怖”から逃げるため、カナエが与えた弥縫策。
初期のカナヲの静かさって、あれは強さじゃなくて、
心を守るための装甲
やったんじゃないかね。
☆ 炭治郎が与えた「問い」
そんな彼女に、炭治郎が問う。
「なんで自分で決めないの?」
「カナヲはどうしたかった?」
あのシーン、わりと地味やけど、カナヲにとってはめちゃくちゃ重要な場面って思う。
「人は心が原動力〜」っていう有名なあのセリフの前段やね。
なぜって、あの瞬間カナヲは初めて、
「私はどうしたい?」
っていう「問い」を与えられたから。
それまでの彼女にとって、“自分”は空っぽやった。
感じない。
望まない。
選ばない・・・。
そうやって、世界との接触を最小限にして生きてた。
でも炭治郎は、そこに小さな火を灯した。
「(コインの)表が出たら、カナヲはこれから、自分の声を聞くこと」
コインじゃなくて、“自分の心”で決めよう、と。
ここ、めっちゃ感動ポイント。
まっつんスタイル的には、これが妙に禅っぽく見える。
誰かに答えをもらうんじゃなくて、自分の心の声を聞くこと
やったりすると思うから。
☆ 童磨戦──カナヲの“開眼”
そして、物語は童磨戦へ。
この場面でのカナヲの覚醒と怒涛の戦いぶりは、まさに圧巻。
ホンマに凄い。
ホンマに好き(笑)。
で、改めて読み返して思ったんやけど、
童磨って、ある意味カナヲの“対極”なんよね。
一見すると、二人はちょっと似てる。
感情を表に出さない。
何を考えてるのかわかりにくい。
どこか人間味が薄く見える。
でも、その中身は全然違う。
カナヲが、
「感情を閉ざしていた人」
なら、童磨は、
「そもそも感情そのものが希薄な人(鬼)」
なんちゃうかと思う。
カナヲには、ちゃんと感情があった。
ただ、幼い頃にあまりにも傷つきすぎて、それを表に出せなくなってただけ。
でも、カナエとしのぶに愛されて、
炭治郎に心を揺らされて、
少しずつ、少しずつ、
奥に閉じ込めていたものが、外へと戻ってくる。
一方の童磨は?
笑ってる。
優しい言葉もかける。
人の話だって聞く。
でもその実、人の悲しみがわからない。
人がなぜ苦しむのかも、なぜ泣くのかも、よくわからない。
なのに、“人間らしい顔”だけはしてる、できる。
ここが、なんとも薄気味悪い。
そこまで考えると、童磨戦って、
「無感情 vs 無感情」
じゃないんよね。
むしろ、
感情を取り戻した人間 vs 感情を理解できない鬼
の戦いやったんじゃないか。
これ、なんかめちゃくちゃ美しくない?(笑)
しかも、そのカナヲが童磨を相手に、
怒る。
憎む。
しのぶを思って涙する。
昔のカナヲからは考えられんくらい、感情剥き出しになる。
でも、それって“キャラが変わった”んじゃない。
むしろ逆。
ようやく、本来そこにあったカナヲが出てきた
まっつんスタイルには、そう見えるね。
怒れる。
悲しめる。
誰かのために必死になれる。
「私はこうしたい」と、自分で選べる。
それって全部、
カナヲがちゃんと“人間に戻ってきた”証拠なんじゃないやろか?
だから、童磨戦でカナヲが斬ったのは、童磨だけじゃない。
かつて自分を守るために身につけた、
「感じない」
「選ばない」
「心を閉ざす」
っていう生き方そのものでもあった、と。
だから、あの戦いは単なる仇討ちじゃない。
カナヲという少女が、自分の感情を取り戻すための最後の通過儀礼
だから、まっつんスタイルにはあの戦いが、
“魂の開眼”
に見えるんよね。
どうやろ?
そう考えると痺れることない?(笑)
☆ 「目を潰してでも守る」という覚悟
童磨戦、カナヲは目を酷使する。
失明の危険すらある、究極奥義の発動。
でも彼女は、それを“自分で選ぶ”んよね。
ここが重要。
昔のカナヲなら、おそらく選べんかったと思う。
ただオロオロして、変な汗だけかいて、そうやって目を閉じてたはず。
でも、この時の彼女は違った。
痛みも、恐怖も。
愛も、怒りも。
全部感じた上で、
「それでも私は戦う!」
と、“自ら”選んだ。
ここがマジで鳥肌もん。
静かやけど、内側では燃え狂ってる。
しのぶを信じた、「きた!」の一瞬。
まさか、童磨を罵る一幕。
伊之助を強く叱咤する場面。
それまでの、物静かで感情をほとんど表に出さなかった少女とのギャップが凄すぎる。
でもこれが、自分を取り戻した“本当のカナヲの姿”。
うん、なんか泣けてくる(笑)。
☆ カナヲは「失って」自由になった
普通に考えたら、視力を失う危険なんか冒さんもん。
でも、まっつんスタイルにはあのシーンって、むしろ逆に見えるのよね。
カナヲは、“見えること”を失って、
“見えなかったもの”を見つけた
そうとも読めんかね?
命の重さ、愛の痛み、しのぶの想い。
そして、自分の意志・・・。
彼女はあそこで、ようやく“生きること”を、自分で掴んだような気がする。
だからあれって、失明じゃなくて、
魂の開眼
まっつんスタイルはそう思う。
☆ カナヲは「生まれ直した」
まっつんスタイルは、カナヲの姿に涙が出る。
たぶんこれって、悲劇を乗り越えて仇を取ったことに感動したから、だけじゃないね。
あの子って、ちゃんと“生まれ直した”から泣けるのよ。
ずっと感情を閉じてた少女が、感情剥き出しにして戦った。
傷つくことを恐れていた子が、愛を貫くために傷つく覚悟を決めた。
それってもう、
人間になる
ってことやん!?
これが泣かずにおれようかって話(笑)。
☆ まっつん流・最後のまとめ
人って、傷つくのが怖い。
だからときに、「感じないようにすること」を選んだりもする。
期待しない。
関わらない。
自分で選ばない・・・。
でも、そんなことを続けてると、だんだん“生きてる実感”って薄れていくんよね。
でも、カナヲは、そこから戻ってきた。
痛みを感じ、怒りを感じ、愛を感じ。
そして、“自分の意志で選ぶ”ことでね。
だから最後、彼女は、心から自由になれたんやと、まっつんスタイルは思う。
最終巻、炭治郎に肩を並べて寄り添うカナヲの姿は、これまた感涙もの。
カナヲはきっと、目を閉じて世界を見た
なんか我ながら美しい(笑)。
正直カナヲって、ちょっとまっつんスタイル自身にも重なるんよね。
こんなん、自分で言うのもどうかと思うけど(笑)、でもホンマ。
ずっと「感じない方がラクや」と思ってた部分があったと思うから。
傷つかんように。
失敗せんように。
恥をかかんように・・・。
でも最近は、問いを拾って、文章にして、なんやかんや世界に投げてる(笑)。
そう考えると、このブログって、まっつんスタイル版の童磨戦なんかもしれん。
・・・なんてな(笑)。
誰かに勝つための戦いじゃなく、
自分の中の、感情を閉ざした自分を超えていく戦い
そう考えると、カナヲって、めちゃくちゃ“人間の再生”の希望と勇気を描いたキャラなんやなと。
だから、なんとも言えず愛おしいんやなと、改めてそう思うよね☆


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