「それができりゃあ苦労せん」と「それができんから困っとる」という 話〜「努力じゃなくなる」を目指すより、まずは「健康でいること」を目指す〜


最近、YouTubeとかでたまに見かける「努力中毒」って言葉。

なんか、“努力すること自体が快感になったら無敵”みたいなノリのやつ(笑)。


曰く、

「結果じゃなく、努力そのものに価値を感じろ!」

とか。

あぁこれ、命令形なのがポイントね(笑)。

あと、

「キツくても、「それでもやる」ことで、脳に“俺はできるやつ”と教え込め!」

とか。

さらには、

「新しい当たり前の基準を作れ!」

とかね。


例えば、お約束の、

朝4時起き
筋トレ
英語
副業
読書
瞑想

努力そのものの価値、自分自身に教え込む、新しい当たり前・・・。

なるほど。

うん、まぁ、なんていうか、普通・・・。

いや、バカにしようってんじゃない。

そうは見えんかもしれんけど(笑)。

言ってることはちゃんとわかるのよ。

たしかに、そういう習慣がハマる人っておるんやろうと思う。

てか、一部、まっつんスタイルも実践して体感を得たことはある。


でも正直言うと、大半の人(これ、半分まっつんスタイルも含む)、

「それができりゃ苦労せん」

「それができんから困っとる」

が本音なんじゃないの?

その上でどうするか、が真の問題なわけで・・・。


☆ 努力界隈の“正論感”

ネットで見かける「努力論」って、まぁだいたい正論。

より良い人生を送りたいなら、

勉強した方がいい
運動した方がいい
朝早く起きた方がいい

いや、そらまぁそやろ(笑)。


でも人間、「そんな正論や理屈だけで動くかね?」ってとこ。

「それでもやれ!」では、なんの解決にもならん。

ここ、まっつんスタイル的には、ずっと引っかかってるとこなんよね。

さて、どうしよ(笑)。


☆ 「努力脳」って何なん?

最初に言った、いわゆる「努力論」を整理すると、こんな感じ?

努力する

成長感

自己肯定感

もっと努力

止まれない

こうして“努力してる状態そのもの”が快感になる、と。

これ、脳科学的にも説明できるらしくてね。

達成感とか、成長実感とか、はたまたドーパミンとか、エンドルフィンとか・・・。

たぶん実際そうなんやと思う。

筋トレにハマる人
ランニングにハマる人
勉強が止まらん人
研究者
絵描き
ゲーム廃人(笑)

周りから見ると、

「なんでそんな続くん?」

ってなるけど、本人からすると、もう快感。

やらん方が気持ち悪い状態。

なるほどたしかに、ここまでくれば怖いもの無しやと思う。


☆ 努力が“努力”じゃなくなる瞬間

ここ、おもろいはおもろいとこ。

普通の努力って、だいたい「結果のため」にやるもの。

でも、ある地点を超えると、行為そのものが気持ちよくなる。

そういうことって、ある。

書くこと
走ること
描くこと
調べること

結果じゃなくて、“やってる時間そのもの”が快感になる。

これが、いわゆる、

なんとかハイ
フロー状態
ゾーン
没頭
没入

みたいなやつなんやろね。

これは、実は誰でも一度は経験があるのかもしれん。


☆ でも、なんか違和感もある

ただねぇ、これで終わると、まっつんスタイルじゃない。

努力礼賛のみではつまんない(笑)。


努力界隈って、どうしても、「止まること」を“悪”にしがちやん?

休むとか、ボーッとするとか。

あるいは、はっきりと怠けるとか、意味のない時間を過ごすとか。

これらを、“敗北”みたいな空気で語る。

どうもそこに抵抗感を感じるわけ、まっつんスタイルは。

要は程度問題のはずなのよ。

バランス感覚というか。

「努力!努力!」つったって、毎日毎日、一生続けられるもんでもないわけで。

まっつんスタイルなんかは、文字通り、なんにもしない日があったって全然いいと思うけどね。

罪悪感とか感じる必要なし。

なんにもしないまでも、AIと雑談するとか、スタバ行脚するとかで、多少の罪悪感は「ま、えっか」で流す、みたいなさ。

そういう「努力」って言葉とは無縁の、いわゆる“無意味”で“無駄”な時間に救わることだって、普通にあると思うんやけどね。

というか実際、そんな「なにもない穏やかな時間」のために生きてると言っても過言じゃないんじゃない?


☆ 人間って、そんな簡単ちゃうやろ問題

で、今回、まっつんスタイルが言いたいことの核がここ。

努力論って、「脳はこう動く」を説明してくれる。

でも、

実際の人間って、そんな理屈通りに動かん(笑)


「努力そのものに価値を感じろ!」?

いや、それを自然に腹落ちできんから困っとる。

「理想の自分をイメージしろ!」?

いや、理想像に押し潰される人だって、普通におるやん。

「キツいを当たり前にしろ!」?

いや、それができりゃ苦労せんやろ。

だから言いたいのは、「努力できない」のは、意志力の強弱とは限らんってこと。

完全にこれ、「人それぞれの世界の事柄」のはず。

単純に、心身が弱ってる、余白がない、安心感がない、なんてケースも、めっちゃ多いと思うしね。


☆ 努力より“コンディション”

「努力論」って、“精神力”を語りすぎ。

なんか色々それらしいこと言っとるけど、要するに「気合いと根性」の話やったりする(笑)。

でもまっつんスタイルが思うに、実際には、コンディションの良し悪しっていう要素の方が、遥かにデカい。

ちゃんと寝れて、

ちゃんと食えて、

少し、心に余裕や安心感がある。

すると、「まぁ、なんとかなるか」とか、「もう少しがんばってみる?」とかが自然になるもの。


逆に、心身がボロボロのときは、「努力論」も「自己啓発論」も、全部単なるノイズにしかならん。

もっと言うと、無用に自分を追い込む「毒」にすらなりかねん。


☆ だから、まず元気でおる

じゃあってことで、まっつんスタイルの回答(解答じゃない)はこれ。

まずは、毎日を少しだけ新しいことを試せるくらいに、心と体を元気にしておくこと


努力を継続するのは難しい。

かといって、努力できない自分を受け入れるのも難しい。

“遊びに感じるほど好きなこと”を見つける(出会う)のも、また難しい。

どのルートを選んでも、普通に難しい(笑)。

だからまず、

少し好奇心がある
少し動ける
で、少し笑える

こういう状態を維持すること。

ここに、“努力”を注ぎ込んでみること。


☆ 努力より、余白

人生って、「努力できるか」より、「余白があるか」の方が大事なんかもしれんからね。

これが、一貫したまっつんスタイルのスタイル(笑)。


余白があれば、遊べるし、試せる。

感度が上がる、ストライクゾーンが広がる。

寄り道できる、無駄を楽しめる。

結果、ハマれるものとの出会う可能性が上がる。

とまぁ、こんなイメージ。


逆に、余白ゼロやと、どう?

全部“義務”になって潰れるのがオチ。

それでは、人生おもんない(笑)。


☆ 努力は、あとからついてくる

世の中の「努力論」は、

努力

成功

幸せ

で語られがち。

でも、まっつんスタイルの場合は、

まず健康

余白ができる

好奇心が湧く

行動できる

なんかハマる?

結果的に、なんか努力っぽくなる

ってこれ(笑)。


☆ 「好きなことを見つけろ!」問題

あと、よくある「好きなことを見つけろ!」ってやつ。

これ、「努力しろ!」の従兄弟(笑)。

で、ここでもまっつんスタイル。

「いや、そんな都合よく見つからん(笑)」

「むしろ、その“ねばならぬ”が、人生を窮屈にする」


でも、健康で、なんやかんや試してるうちに、「あらら?これ好きかも」なら起こりうる。

だから、(没頭できるような)好きなことは、見つけてもいいし、見つかればいいし、見つけられなくてもまぁ別にいい、くらいのスタンス。

もう無理やり人生設計しなくていい。

でも、

健康
好奇心
行動力

この火種だけは、消さんこと。

そしたら、人生という流れの中で、“偏り”みたいなもんが、自然と生まれてくるもの。

それが、「努力が努力でなくなる瞬間」かもしれんし、「好きなことに巡り合う瞬間」かもしれん。


☆ 努力より自由

「努力できる人間になろう!」より、「今日も元気でいよう」

こう考える方がよっぽど健全。

これがまっつんスタイル。


でっかい成功が欲しいかどうかなんてのは、人それぞれ。

でも、「健康でいたい」は、たぶん全人類共通の願い。

心も体も元気なら、人生は案外、それだけで幸せ。

だからまずは、身体が思い通りに動くという「自由」を大事に生きる。

あとはまぁ、遊んでるうちに、何かにハマる(努力できるようになる)、かもしれん。

人生って意外と、気合いで切り拓くというより、「元気やから動いてもうた」の積み重ね。

だから、「努力なんて、そんなに重苦しく考えんでもよくね?」ってこと(笑)☆


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