窓をコンコンされただけなのに 〜「現実30秒、脳内事件30分」から考える、繊細さとの付き合い方〜


こないだ、運転免許証の住所変更をしに、警察署へ行ってね。

引っ越したから、その手続き。

で、警察署の駐車場へ車を停めた。

普通に停めた。

つもりやった(笑)。

手続きを終えて車へ戻る。

さて帰ろかと思ってたら、そこへスーツ姿の男性が近づいてきた。

「警官?」

「刑事さん?」

「誰?」

で、

「コンコン」

車の窓を叩かれた。

窓を開けると、

「ここは警察車両止めるところなんで、早く動かしてくれます?」

みたいなことを言われた。

どうやらまっつんスタイル、警察車両専用の駐車スペースに停めてしまってたらしい。

「あ、すいません」

そう言って、すぐ車を動かした。

・・・以上、終了。

って、そんな出来事があった。

所要時間、たぶん30秒(笑)。

それだけの出来事・・・、のはずなんやけど。

まっつんスタイルの頭の中では、“それだけ”で終了しない(笑)。

「さっきのコンコン、ちょっと強なかった?」

「言い方キツなかった?」

「なに? なんか怒ってた?」

「あれ、刑事?」

「ていうか、態度悪ない?」

「いや、俺が間違えて停めたのはたしかやけど」

「でも知らんかったんやからしゃーないやん」

「ていうか、もっと分かるように書いとけや」

「あの人、普段からあんな感じなん?」

「警察官ってストレス多そうやもんな」

「あれって職業的人間不信?」

・・・。

待て待て!(笑)

お前はあのたった30秒から、どこまで行くねん!(笑)

いや、まっつんスタイル、ホンマにこういうことがよくある。

現実に起きたことは、

「駐車場所を間違えて、注意された」

それだけ。

でも、頭の中では、

現実の出来事は30秒、脳内で“事件化”して30分(笑)。

そこでふと思ったのよ。

「これって、いわゆる“繊細な人”によくあることなんちゃうかな?」

って。

「HSP」なんて言葉もあるけど、繊細な人って、

「傷つきやすい」

「刺激に弱い」

「人の言葉を気にする」

みたいに言われる。

もちろん、それはそうなんやろう。

でも今回思ったのって、ちょっと違う。

もしかして、繊細な人って、

「想像力が異常にたくましいってことちゃう?(笑)」

例えば今回の「窓コンコン案件」(笑)。

普通なら、

「あ、そうか、車動かさなあかんのか」

で終わる。

でもまっつんスタイルの脳は、そこから大量の情報を拾い始める。

コンコンの強さ。

声色。

言葉遣い。

表情。

服装。

しゃべりの速さ。

自分が何をしたか。

相手が自分をどう見たか。

そこからさらに、

「え? 怒ってる?」

「非常識な奴やと思われた?」

「この人、普段からこういう話し方?」

「これ俺、謝らなあかんとこ?」

「知らんかったんやからしゃーなくない?」

「ていうか、あの言い方、感じ悪!」

枝が伸びる伸びる(笑)。

一本の出来事から、勝手に二本、四本、八本、十六本・・・。

気づけば立派な大樹?(笑)

要するに、

入力1に対して、出力20?

想像力たくましすぎ!

繊細な人、そら疲れる(笑)。

でも、ここで一回整理してみる。

このとき、本当に起きたことは何か?

・まっつんスタイルが、警察車両用のスペースに車を停めた

・男性が窓を叩いた

・「ここは警察車両用だから動かしてほしい」と言われた。

・まっつんスタイルが、謝って車を動かした。

以上。

じゃあ、

「あの人は怒ってた」

これは?

分からん。

「どこに止めてええかくらいわかるやろ!」

って思われた?

分からん。

「あの人は普段から口調が荒い」

もっと分からん(笑)。

「あいつ、人間不信なんちゃう?」

いやいや、お前はあいつの何を知っとんねん(笑)。

ホンマにちょっと感じ悪かった可能性は大いにある。

コンコンも強かったかもしれん。

言い方もキツかったかもしれん。

だから、

「全部あなたの妄想」

と片づけるのも違う。

まっつんスタイルの感覚が間違ってたとは限らん。

でも、

「ちょっと感じ悪かったな」

くらいまでは現実に近かったとしても、

そこから先の“長編ドラマ”は、

かなりの部分、まっつんスタイルが脚本を書いとる(笑)。

原作、

『窓コンコン』

そこから、

脚本・監督・主演、

まっつんスタイル(笑)。

こういうことを考えると、

「繊細さ」って、「感度が高い」だけのことじゃないかもしれんよね。

一つの刺激から、

意味を作る。

理由を考える。

相手の感情を想像する。

その裏側を読む。

さらにその先まで予測する・・・。

つまり、

「刺激を強く受け取る」だけじゃなくて、「刺激から大量の“意味”を生成してしまう」。

これがあるんちゃうかなと。

さらに、その生成された意味に、今度は自分自身が反応する。

「コンコン強ない?」

って思ったら不安になる。

「怒られた?」

って思ったら傷つく。

「言い方あるやろ!」

って思ったら腹が立つ。

でも待て。

その「強ない?」も、

「怒られた?」も、

「あの言い方、なんなん?」も、

少なくとも一部は、自分の頭の中で作った物語の可能性大。

自分で脚本を書いて、

自分で観て、

自分で傷つく?

なんじゃそら(笑)。

そりゃ、人と関わることそのものに疲れるはず。

会話してる時間だけなら、そんなに長くない。

でも問題は、そのあと。

「さっきの言わん方がよかった?」

「あんとき、一瞬表情変わった?」

「なんか怒らせた?」

「俺、変なこと言った?」

「いや、今の言い方どうなん?」

帰宅してから、一人反省会。

風呂で再放送。

寝る前にディレクターズカット版。

翌朝、アンコール上映・・・。

いや、もうええて(笑)。

こう考えると、

「人と関わりたくない」

って感覚も、単純に“人嫌い”とは限らんよね。

人と接すると、

拾う情報が多い。

考えることが多い。

あとあとまで、処理が延々と続く。

つまり、

人間関係に付随する情報処理量が多すぎる。

だから疲れる。

「今日はもう誰とも喋りたくない・・・」

ってなる。

人間が嫌いなんじゃなくて、“脳内残業”が長すぎる(笑)。

いやこれマジで、「あるある」な気がする。

じゃあ、

「もっと鈍感になればいい」

のか?

「気にしないように」

「考えすぎないように」

「もっと図太く、無神経に」

うん、それができたら苦労せん(笑)。

「考えすぎないようにしよう!」

「ていうか、考えすぎないって?」

「いや、考えてるやん!」

「これって生まれつき?」

「他の人ってどうなん?」

「ていうか、考えてみたら・・・」

って考え始めるのが、こういうタイプの人間(笑)。

と、ここで、もう一個思う。

「でもこの想像力って、ホンマに悪いものなん?」

例えば、人のちょっとした変化に気づく。

「あれ、今日元気ない?」

って思える。

誰かの何気ない一言から、

「もしかして、こういう気持ちなんかな?」

って想像できる。

例えば映画を観る。

登場人物の言葉になってない感情まで考える。

小説を読む。

行間を想像する。

音楽を聴く。

一つの音から、いろんな情景をイメージする。

散歩してて、

夕焼けを見ただけで妙に感動する。

知らない街を歩いて、

「ここにも人の暮らしがあるんやなぁ」

って考える。

そしてなにより・・・。

警察官に窓をコンコンされた程度のことで、

こんな記事を一本書こうとしてる(笑)。

そうなんよね。

まっつんスタイルを疲れさせてる能力と、

まっつんスタイルの世界をおもしろくしてる能力って、

実は同じもの。

これ、めちゃめちゃ重要な事実って気がする。

想像力がたくましいから、

考えんでもいいことまで考える。

でも、想像力がたくましいから、

普通の人なら通り過ぎるようなことを拾える。

傷つきやすい。

でも、感動もしやすい。

疲れやすい。

でも、おもしろがりやすい。

めんどくさい。

でも、ブログネタには困らない(笑)。

人の感性って、常に表裏一体なんかもしれんね。

やとしたら、

「繊細さを“克服しよう”」

っていう発想自体が、ちょっと違う気がしてくる。

鈍感になれば、たしかにラクになる部分はある。

でも、

感情への感度。

芸術への感度。

自然への感度。

問いへの感度。

違和感への感度。

そういうものまで全部鈍らせたいかって言われたら?

まっつんスタイルは、そうは思わん。

むしろ残したい。

もったいない。

才能の放棄(笑)。

じゃあどうする?

まっつんスタイルが編み出したのが、

「あぁ、また始まった(笑)」

ってこれ。

「さっきのコンコン、強かったよな?」

「あぁ、また始まった(笑)」

「絶対怒ってたやろ?」

「そうかもしれんな」

「俺のこと“分かってへん奴”って思ったんちゃう?」

「まぁええやん」

「あいつ普段から態度悪いんかな?」

「知らん(笑)」

「人間不信?」

「どーでもええ(笑)」

・・・そう、ここで大事なんは、

別に思考を止めようとはしないこと。

「考えちゃダメ!」

じゃない。

考えたいんやったら、勝手に考えたらいい。

ただ、

「あぁ、また“物語の暴走”が始まったな」

って気づく。

「あぁ、また始まった(笑)」

って。

これで、無駄な精神疲労は、だいぶ軽減する。

大事なのは、頭の中で上映されてる“自作の映画”を、

ドキュメンタリーやと思わんこと

なんやと思う(笑)。

「あの刑事(?)、俺にイラついてた?」

っていう“自作の”映画。

上映してもいい。

でも、

「これは実話です」

のテロップは、勝手につけない(笑)。

原作は、

『窓コンコン』

事実は、

駐車場所を間違えた。

注意された。

謝った。

移動した。

終わり。

その先は、まっつんスタイルの想像力が作った“フィクション”。

そう考えると、ちょっとだけ距離ができる。

距離ができれば、疲れにくい(笑)。

これって、なんかZENっぽいよね(笑)。

ていうか、「まっつんスタイルZEN」の応用って言っていい。

思考を消すんじゃない。

感情を消すんでもない。

「あぁ、腹立ってるなぁ」

「気にしてるなぁ」

「また想像しとるなぁ」

って眺める。

そして、

その思考と自分を、完全に同一化しない。

「あの人は俺に怒っとる」

じゃなくて、

「俺は今、“あの人は俺に怒っとる”って考えてる」

ほんのちょっと言葉を変えるだけ。

でも、このほんのちょっとが、めっちゃデカい。

でもこれ、「出来事の強度次第」って側面があることは否めん。

一晩寝ても残ることだってある。

あのとき言われた一言ことを、何年経っても覚えてることだってある(笑)。

それもまた、しゃーない。

そういう脳なんやろう。

でも、

「こんなこと気にする俺はダメだ」

まで重ねんでいい。

それこそ、

コンコン

気になる

気にしてる自分を責める

「なんで俺ってこんな性格なん?・・・」

「そもそも人の性格って?・・・」

こうして始まるのが“自作の”長編(笑)。

ときにめんどくさい「繊細さ」。

でもそれは、無くすもんじゃなくて、

“使い道を選ぶもの”

なんやろねきっと。

人の機嫌を延々と推理することだけに使えば、そりゃしんどい(笑)。

でも、

文章を書く。

人を思いやる。

作品を味わう。

自然を感じる。

日常の“おもろい”を拾う。

そっちにも使える。

一個の出来事から20個の意味を作れる。

それなら、そのうち19個を不安に使う必要はない(笑)。

改めて、あの日の警察官。

あの人がホンマに機嫌が悪かったのか?

俺のことをどう思ったのか?

普段どんな人なのか?

・・・知らん(笑)。

もしかしたら、まっつんスタイルの想像通り、

“そういうやつ”やったんかもしれん(笑)。

でも、そうじゃなかったんかもしれん。

たった一回の、

コンコン。

そこからまっつんスタイルの脳内は、ここまで来た(笑)。

でもまぁ、

こんなことまで考えるから、疲れる。

そして、

こんなことまで考えるから、文章も書ける。

やったら、この想像力、全部捨てんくてもいいかなって。

繊細なまま。

想像力豊かなまま。

ただ、自分の想像に、自分自身が振り回されすぎない。

「あぁ、また始まった(笑)」

って、ときどき眺めてやる。

事実と、

自分が作った物語を、

ほんの少しだけ切り離してみる。

鈍感になるんじゃなくて、

繊細さとの付き合い方が上手くなる。

そんくらい。

さて、こんな記事一本分の妄想を生み出した、あの日の警官。

もしまた会うことがあったら、心の中でお礼を言おう。

「コンコンしてくれて、ありがとう」

・・・いや、でも正直に言う。

あのコンコンは、やっぱ感じ悪かった(笑)☆


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