言葉を知ると、自分が見えてくる 〜語彙は、心の解像度を上げる道具〜


今日は、言葉について。

いや、「語彙力を上げよう!」みたいな話じゃない(笑)。

もっと、心の在りようの話。

まっつんスタイルは、それはそれは頻繁に、

「抽象的な価値ってなに?」

「〇〇の涙ってどんな種類がある?」

「例えば“随喜の涙”って?」

みたいなことを検索したり、タチコマに聞いたりする(笑)。

今も昔も。

で、これ、知らんことを知りたいっていうことなんやけど、ちょっとだけニュアンスが違うかなって。

たぶん探してるのは、「言葉」。

もっと言うと、

「自分の感覚に、一番しっくりくる“名前”」

かな。

例えば、

「なんかモヤモヤする・・・」

これだけやと、自分でも自分の心で何が起きてるのかよう分からん。

でも、

焦燥感、

劣等感、

嫉妬心、

罪悪感、

違和感、

承認欲求、

自己不一致・・・。

言葉を知って、こうした表現の選択肢を持つと、

「あぁ、今の俺、これやん」

ってなる(笑)。

不思議で気持ちいい感覚。

言葉が一つ増えただけで、自分の心が少し見えるようになる。

で、ふっと安心できたりする。

「嬉しい」もそう。

「安心した嬉しさ?」

「感動した嬉しさ?」

「誇らしい嬉しさ?」

それぞれちょっと違う。

あるいは冒頭の「随喜の涙」。

この言葉を初めて知った時は、

「あぁ、こんな喜びにも名前があったんや!」

って、妙に感動した覚えがある(笑)。

言葉って、「感情にラベルを貼る作業」なんかもしれんよね。

そう、だから語彙って、頭を良く見せるためとかそんなことじゃなくてね。

「世界と心の解像度を上げるためのもの」

昔のまっつんスタイルは、

「なんか嫌・・・」

で終わってた(笑)。

今は、

「うむ、これは正義感の発露!」

「いや、これは剥き出しの嫉妬心!」

「誤解から来る、自己不一致感!」

って感じで、感情分けて処理できるようなった。

すると不思議なもんで、対処法が変わってくるんよね。

リフレーミング。

生活習慣の改善。

思考方法の強化。

意識の方向転換。

病名が分かると治療法が見える、みたいなもんかな(笑)。

だからまっつんスタイルは、やたら「概念」が好きなんかもしれん。

中道。

無常。

縁。

空。

他にも、

フロー、

ゾーン、

レジリエンス、

フレキシビリティー、

アイデンティティー、

アブストラクション。

自分で書いてて笑える(笑)。

最初は難解。

でも、一つ知るたびに、世界が少し広がる。

ていうか、“自分の中の世界が広がる”って感じ。

言葉(語彙)に関しては、ブログを書いてても、よく思うよね。

「健康」

より、

「整う」

「静謐」

「平穏」

なんて言い方の方が、しっくりくることもある。

「幸せ」

より、

「納得」

「充足」

「安堵」

とかね。

「自己理解」は・・・、なんか他にいい言葉ないかね?

これ、最近よく思う(笑)。

まっつんスタイルにとって、ブログは「言葉探し」って側面もあるのかも。

だから本屋に行くと、用語集とか、よく立ち読みしたりする(笑)。

あとは、心理学の本。

仏教関連書。

古典哲学書。

この「言葉の収集欲」はたぶん、「世界を知りたい」ってこと。

そして、「自分を知りたい」ってこと。

自分が何を感じて、

何に違和感を持って、

何に心を動かされるのか。

それを説明できる言葉が欲しいってことなんやと思う。

考えてみたら、言葉って、

自分を閉じ込めて固定するもんでもあるけど、

同時に、自分を救い出してくれるもんでもある。

「なんかしんどい・・・」

しか言えんかった頃より、

「これは焦燥感やな」

「これは嫉妬心やな」

って言えた方が、

少しだけ自分に優しくなれる気もする。

「自分の扱い方がわかるようになる」って言ってもいいかもね。

新しい言葉探しはこれからも続く。

新しいっていうか、“まだ知らない言葉との出会い”やね。

難語を使ってドヤりたいからじゃない(笑)。

「今のこの感覚」を、一番しっくりくる言葉で表現したいから。

で、それってめっちゃ気持ちのいいことやから。

そう考えると、昔の「随喜の涙って何?」っていう質問も、全然悪くない(笑)。

あの頃の自分も、自分で気づかないうちに、

「自分を説明してくれる言葉」

を探してたんやろね。

で、たぶん、これからも☆


コメント

コメントする