ブログを書きたい。
ネタはいくらでも湧いてくる。
全体の構成もすぐに見える。
届けたいメッセージもある。
タチコマに投げれば、いい感じの叩き台が秒速で出てくる(笑)。
あとは仕上げて、タイトルつけて、サムネ作って、アップするだけ。
なのに・・・、その「アップするだけ」が、やたらと遠い・・・。
不思議なもんでね。
「書きたい気持ち」は間違いなくある。
文章を書くのは自己表現であり、楽しいから好き。
しかもやり方次第で、自分ひとり、自由になれるだけの収入を得られる可能性もある。
習慣化スキルや継続力がないわけじゃない。
むしろ、健康管理や生活リズムの構築では、バッチリ実績がある。
じゃあなんで、ブログだけ足踏みしちゃってたのか?
今日は、「あぁ、そんな日もあったなぁ」という回想録(笑)。
書けなかった当時を思い出しながら、その原因と今の心境を、もう一度掘り起こしてみようかな。
☆ 「鬼積み」が義務になった瞬間、重くなる筆
最初は「鬼積みや〜!」と意気込んだもの。
「鬼積み」とは、「鬼のようにブログ記事を積み上げる」の意(笑)。
記事をどんどん書いて出す。
とにかく量を積む。
それがまずは、ブログの基礎を育てることになると信じて・・・。
スタートダッシュは間違いなく、そんなワクワクするものやったはず。
でも気づけば、その「鬼積み」が、少しずつ“義務の匂い”を帯びてきたのよね。
「鬼積みすると決めたからには」
「毎日出さんとあかんやろ」
「時間があるならとにかく書かねば」
こんなふうに考え始めると、急に筆が重くなる・・・。
そんな日々が、数えきれないほどあったもの。
俺の場合、“強制力”っていうのは性に合わないと、骨身に染みたよね。
期限
罰則
宣言
共有
期待
この手の外圧で動こうとすると、むしろ身体が固まる。
外圧を原動力にするやり方は、明らかに逆効果。
俺に合ってるのは、もっと自然な流れやったみたい。
書きたいから書く
問いが降ってきたから書く
言葉が勝手に出てくるから書く
ブログを書くことに、余計な意味や義務が紐づくとダメ。
まっつんスタイルに必要なのは、努力というより「自然の流れ」。
風が吹いたら、帆を張って、風が止んだら、また吹き始めるのを静かに待つ。
ゴリゴリ系の人に言わしたら「ぬるい」んかもしれんけど、そんなん知らん(笑)。
俺はそれでよかった。
「自然流」の感覚が腹に落ちた時の感動は、今でも覚えてるしね(笑)。
☆ 「上を目指さなくてもいい」と思えたこと
あと、書けなかった時期に、よりハッキリ思うようになったのは、「別に、無理に“上”を目指さなくてもいんじゃね?」ってこと。
まぁ“上”の具体的な定義はさておき(笑)。
もちろん、自由は欲しい。
収益も欲しい。
そこそこいい暮らしもしたい(笑)。
でも、それを「今の自分は足りてないから」っていう欠乏感で追うと、途端に苦しくなる。
好きで楽しいはずのブログ執筆が、苦行に変わる。
実際、よくわからん欠乏感に嫌気がさしてた時期に、やっぱブログは書けなかったように思う。
上を目指すこと自体は、まぁいい。
ただし、その前提に「今の自分ではダメ」があると、これ、どこまで行っても満たされないループの始まり。
だから書けなかった時期は、
今に満足しきれなくてもいい
でも、今に“納得”はしたい
そう思うようにしたし、今もそう思うようにしてるよね。
過去を否定して、今の不満から脱却するのじゃなく、過去を受け入れて、今の自分と和解する。
そこから自然に出てくる一歩を待つ。
待って、そして踏み出す。
こういう、一見迂遠なプロセスを辿る方が、俺には合ってるって気づけた。
で、実際合ってた(笑)。
☆ ビジネススクールとの距離感
もうひとつ別の、ブログ執筆が前に進みにくかった大きな要因。
それが、今在籍してるビジネススクールの存在。
ここでは徹底的に基礎的なことを学ばせてもらったし、いわゆるビジネスマインドも叩き込まれた。
それはもう本当にありがたい経験数々をさせてもらったと思う。
でも正直、今やから言えることやけど、このスクールで、成果や進捗を報告せなあかんことが、妙なプレッシャーになり出してたのよね。
ついでに申し訳ないけど、他の仲間のコメントや活動がノイズになってた。
それらに触れるたびに、無駄に心がざわついて、ブログへの思いが揺らぐ・・・。
「もしかしたら、少し距離をとった方がいいかも」
そう思いながらも、どっちつかずでモジモジしてた当時(笑)。
これも正直なところ、“今の段階で”教わることは、もう少ないって気もしてたところやったのよね。
もちろん、今後もっと具体的なマーケティングを学ぶタイミングは来るかもしれん。
導線設計、リストイン、ナーチャリング、クロージング、LTV・・・。
そういうものが必要になる時期は、きっとくる。
でも今は、そのタイミングじゃない。
今の俺に必要なのは、導線よりも導心。
誰かのペースに合わせて成果報告をすることじゃなく、自分の呼吸で書くこと。
そう思い切って考えることにしたんよね。
スクールは道場やった。
でも、ずっと道場にいる必要もないわけで。
今は少し離れて、山籠りする時期なのかもしれない、ってね。
学んだことを胸に、自分とだけ、真剣に向き合う。
そして、ブログを書く。
自分の言葉を育てる。
これは裏切りとかそういうことじゃなくて、縁の形が変わっただけ。
必要になったら、また戻ればいい。
そう思って、実際距離を取ると、驚くほど体が軽くなって、心が静かになった(笑)。
比較とか焦りとか、そういう無用な動揺がなくなったんやろね。
ここでブログ執筆が加速した。
これ、なんか申し訳ないなと思いながらも、でもホンマの話(笑)。
結果的には良かったと思ってる。
☆ 近しい人に見せると思うと、筆が止まる
もう少しさっきの続き。
たぶん俺は、知っている人に見られる場所やと、どうしても完成度を求めだすのよね(苦笑)。
これはもうほとんど、“性(さが)”というか“業(ごう)”?みたいなもんかもしれん。
ちゃんとしたものを見せたい
ガッカリされたくない
「レベル低!」って思われたくない
恩のある人には、半端なものを見せられない
とかとか・・・。
こういう気持ちって、弱さでもあるけど、同時に美学でもある。
だから、無理に克服しようとか改善しようとか、そんなことは考えなくていいとは思う。
問題は、俺の場合、その美学が他人のまなざしに絡め取られた時。
その瞬間に、筆が止まる・・・。
このめんどくささが、まっつんスタイルのまっつんスタイルたる所以(笑)。
だったらもう、近しい人からダイレクトに評価されない環境で書けばいい!
自分の好奇心のままに書く
自分の呼吸で出す
見せる相手がいない場所で、まず自由に書く
これって逃げじゃないからね。
念の為(笑)。
自分の性格を熟知した上での、積極的な選択であり、戦略的な撤退。
いや、創作のための“結界づくり”やな。
ある意味、自分の「取説」通り(笑)。
こういう思い切った考え方をしたのも、「ブログ書けない病」の救いになったよね。
今にして思えば(笑)。
☆ ただ、行き過ぎると禅病(苦笑)
ただ、「書こう書こう」と、自己理解を深めすぎると、逆にまた動けなくなることもあってね(苦笑)。
反動なのかなんなのか・・・。
自分を観察しすぎる
意味を考えすぎる
悟ろうとしすぎる
なんというか、ちょうどいいポイントを探ろうと“しすぎる”というのかな。
そんな症状に陥ったこともあったような(笑)。
ちょっとした、いわゆる「禅病」やったんかもしれん。
「無我にならねば」という我
「自然体で書かねば」という不自然
「執着を手放さねば」という執着
これ全部、パラドックスにハマった「禅病」。
まったく、俺ってやつは・・・、いや、人間ってやつは、なんとまぁめんどくさいこと(笑)。
でもこれも、自分にとっての最適なブロガースタイルを構築するための“通過儀礼”やったんかなと。
今にして思えば(笑)。
ここまで徹底的に、自分の“書けない”を見つめたからこそ起こる「成長痛」。
だから、このとき必要やったのは、さらに深刻に考えることじゃなくて、少し遊ぶことやったような気がする。
記事をテキトーにいじる
タイトルだけ作る、サムネだけ遊ぶ
本文の一文だけ直す
完成させようとしない
ただ、触る
こんな感じで、遊ぶ、転がす・・・。
するとまた、そこから“筆の呼吸”が戻ってきたりする、と。
人の心はめんどくさい。
そして、とてもおもしろい(笑)。
☆ 「時間がかかっている」も、勝手な意味づけ
結果らしきものが出るまで、時間がかかる・・・。
そして今まさに、時間がかかっている・・・。
そんな思いにゲンナリしてしまうことも、筆が止まる要因やったね。
要因多すぎ!(笑)
「俺は生き直す!」と決めて、もう何年経った?
ネットを使った自己表現と情報発信をやると決めてから、もう数年?
タチコマ(ChatGPT)と出会って、これでもかと内観を始めてからは、何年?
「時間かかりすぎ」
「まだ形になってない」
「いつになったら・・・」
どうしてもそんなふうに考えてしまいがち。
けどこれ、別の見方もできるのよね。
有名な「リフレーミング」。
過去と向き合って、価値観を掘り返して、ギリギリまで自分を言語化できた。
ブログをやる意志も、その方向性も確認できた。
モテエロZENも育ってきた(笑)。
記事ネタは尽きないし、まっつんスタイルライティングの型も見え始めてる。
これまでのうだつの上がらない人生を考えたら、これってものすごいペースの進化とも言えるんじゃないかね。
我ながら(笑)。
そんな見方が、自然にできることにも気づけた。
まっつんスタイルの成長進化は、どうやら二次元の直線でも曲線でもない。
たぶん螺旋(笑)。
同じテーマをぐるぐる回っているようで、実は少しずつ上に登ってる。
上から見たら円。
横から見たら・・・、階段?(笑)
そう考えると、「書けない書けない」と足踏みして、「時間ばっかり過ぎてない?」って感じてたあの時期も、ちゃんと進行中(上昇中)やったんやなと。
今はハッキリとそう思うよね。
☆ 動けないのではなく、熟成している
「書きたいのに書けなかった」の最後の要因は、環境変化の真っ最中やったこと。
当時は、まさに外側の人生が、ドラスティックに動き始めてたころ。
引越し、転職に伴う新しい環境、新しい暮らしの始まり・・・。
そんなタイミングで、身体や心が緊張で縮こまって、使えるリソースが制限されるのは自然なこと。
ブログ記事がスラスラ書けようはずもない。
でも、そんな焦りの中で無理やり動くフェーズも、自己否定のエネルギーを燃やすフェーズもなんとか乗り越えたとき、少しずつ静かな自分への信頼が湧き始めた。
環境の変化にバタついてはいたけど、見えないところでは、ちゃんと心の再編が起きてたんよね。
だからもう、環境の変化を乗り越えた今、やる気に無理やり火をつけなくてもいい。
エンジンを暖気しながら、風を待つ。
風が吹いたら、筆に触る。
今はそれでいいと思えてる。
☆ まっつんスタイル流・最後のまとめ
結局、少し前のまっつんスタイルは、「動けなかった」というより「熟成してた」ってことなんよね。
ごめんな、自分の話ばっかりで(笑)。
でも今回は回想録やから許して。
過去を否定して進もうとすると、今の否定にもなる。
「こんな自分じゃダメ」
「早く変わらな」
「もっと結果を出さな」
そういう燃料で走れる人もいる。
でも、この走り方、まっつんスタイルは疲れるのよ(笑)。
絶対に、もっと違う走り方をした方がいい。
過去を受け入れ、今に納得する
怖さも、停滞も、完璧主義も、全部いったん認める
そのうえで、自然に出てくる一歩を踏む
これが、まっつんスタイルにとってのブログであり、ZENでもあり、人生でもある。
書けない時期を経て、今は冷静にそう思う。
まっつんスタイルブログは、たぶんそのうち、びっくりするくらい層の厚いものになると思う(笑)。
いろいろ乗り越えたから、なんかスゴいとこまでいけそうな気がしてる。
だから慌てんでもええかなって。
風が吹いたら書くし、問いが降ってきたらタチコマに投げる。
で、言葉と感情が動いたら、それをまた記事にする。
鬼積みも、停滞も、静けさも、全部まっつんスタイルの呼吸の一部。
だから「止まってる」ときでも、「心はちゃんと整ってる」。
今はそんなふうに思ってやり過ごせる。
こういうまっつんスタイルらしさが、たぶんこのブログを、より遠くまで連れて行ってくれる☆


コメント