キャリアは道具であって人生の目的ではない 〜「失うのが怖い」という呪い〜


「キャリア」って、あるやん?

「キャリアを失うのが怖い」とか、「キャリアを活かせる」とかのキャリア。

「積み上げる」とか「もったいない」的な意味でよく使われるあれ。

で、この言葉を聞くたびに思うんやけど、キャリアって、そんなに大事かね?

こないだ観た映画で、積み上げたキャリアを一瞬で失った女性が、気も狂わんばかりに泣き叫ぶシーンがあってさ・・・。

いやまぁ大事よ(笑)。

そりゃ大事なんやけど、「そこまで大事?」って思っちゃうのは、まっつんスタイルに、そのキャリアが無いからか?


大事なのは分かるつもり。

仕事を通して経験を積むことも、専門性を磨くことも。

その過程で手にした知識や技術、地位や評価は、どれも貴重で誇らしいものであることは間違いないやろう。

でも同時に、どこか息苦しさを感じるのは俺だけかね?

ひがみ?(笑)

「禅的視座」を重んじるまっつんスタイルには、キャリアなんてものは、どうにも“執着”の対象に見えてしょうがないんだが。

それになんていうか、人生って、そんな「“積み上げた資産を守るゲーム”やったっけ?」って思っちゃう。


☆「キャリア」っていう発想

そもそも「キャリア」っていう考え方って、めっちゃ現代的なもの。

ざっくり言うと、

時間

経験

専門性

価値

みたいな。

つまるところ、「人生 = 資産形成」っていう発想なんかな。

だから、キャリアの話になると、こういう表現が並びやすい。

積み上げる
活かす
失う
もったいない
無駄になる

おもろいもんで、すべて投資関連の言葉に見える。

キャリアってある意味、「人生という資産のポートフォリオ」みたいなもんなんかもしれんね。

まぁそれはそれで合理的やし、社会の仕組みとしてはよくできてる。


ただ思うのは、この考え方を「人生そのもの」にまで広げてまうと、どうなんやろう?ってこと。

ちょっとばかし窮屈にならんかね?


☆キャリアというレース

例えば、キャリア官僚。

その名もズバリ。

国家公務員の中でも、いわゆるエリートコースの人たち。

学生時代は勉強と試験の連続。

社会に出てからも、ひたすら出世競争。

ポストについてからも、常に責任とプレッシャー・・・。

あの人たちの「キャリア形成」って、一度の失敗も許されないんよね。

もちろん、大部分が想像でしかないけど、外から見ると、「よくやるなぁ・・・」って思ってまう(笑)。

これはキャリア官僚に限った話じゃなかろう。


もしかしたら、本人たちにとっては、それがやりたいことなんかもしれん。

使命感もあるやろし、誇りもあるやろう。

意外と緊張感にゾクゾクする体質、とか?(笑)

ただ、少なくともまっつんスタイルには向いてない。

それはもうゼッタイ無理。

なぜって、どうにも自由がなさすぎるようにしか見えんし、ストレス過多に耐えられるとは思えんから。


☆ZENっぽく考えてみる

じゃあ冒頭で触れた「禅」っぽく考えてみる。


禅(仏教)の世界では、よくこんなことが言われる。

「すべては無常である」と。

今回のキャリアの文脈で言うと、地位、名誉、キャリア、評価・・・。

こういうものは全部、「常ならぬもの」で、流れていくものだ、と。

どれも永遠に持っていられるわけじゃない。

こういう見方をすると、キャリアなるものの捉え方も少し変わる気がする。

キャリアは大事

でも、絶対じゃない

追い求めてがんばることは大事やし、あれば上手に使えばいい。

ただし、無くても、失っても、別にそれで人生が終わるわけじゃない。

このスタンス。

こんな感じで、ちょっと距離を置いてみるのがいいんじゃないかと。

キャリア形成に対する「囚われ」が、少しだけ軽くなるはず。


☆キャリアが苦しくなる理由

キャリアそのものは、言ってみればただの「概念」。

問題は、そこに“自分自身の価値を重ねすぎること”やね。

「仕事 = 自分」みたいな?

するとどうなるか。

出世すれば、自分の価値が上がった気がするし、失敗すれば、自分そのものが否定された気がする・・・。

これ、気付かぬうちに、誰もがハマってる罠。

こうなると、正直、仕事も人生も相当しんどい。

仕事っていうのは、あくまでその人の役割の一つであって、その人そのものじゃないはず。

でもキャリアに執着しすぎると、その境界がだんだん曖昧になってしまうんやろね。

で、いつの間にか、キャリアの喪失にビクビクしながら生きることになる。

キャリアの浮き沈みが、そのまま人生の浮き沈みになってしまう・・・。


本来のキャリアって、「自信」とか「安心」をもたらしてくれるはずのもの。

でもその扱いを間違うと、「単なる苦行」や「足を引っ張る厄介者」に転倒してしまうこともある。

自身のキャリアを語る時、このことは頭の片隅に置いといてもええかもしれんね。


☆キャリアは道具

じゃあキャリアなんてどうでもいいのかっていうと、もちろんそんなことはない。

キャリアは便利。

お金も稼げるし、社会的な信用もつく。

そして、モテに効くこともある(笑)。

ただそれが、人生の目的になっちゃあダメ。

「キャリアは道具」って考えるのが健全。


例えば、まっつんスタイルの中での順番は、だいたいこんな感じ。

健康

自由

好きなこと

キャリア

お金

でも世の中はたぶん、もうちょいチグハグ。

キャリア

お金

好きなこと、健康、自由?

みんな、この順番で生きてしまってるらしい。

しかも無意識。


キャリアって、「効率よくお金を稼ぐためのツール」くらいの態度でいいと思うんやけどね。

あまりに価値を置きすぎると、どうもね、たいがいおかしなことになる。

40代とか50代くらいで、心も体も壊してまう人、意外と多いんだとか。

それを思うと、やっぱキャリアに対する意味づけとか、その優先順位とかって大事やなぁと思う。


☆いちばん大事な資産

じゃあ、お金より、キャリア形成より大事な、人生でいちばんの資産ってなんやろか?

まっつんスタイル的にはこれ。

「自由であること」。

もう少し具体的に言うと、「メンタルヘルスとフィジカルヘルスの充実」

「心も体も、自分の思い通りに動く」ってこと。

つまり自由。


メンタルヘルスは、なにものにも執着せず、発想や価値観が柔軟な状態。

フィジカルヘルスは、怪我や病苦がなく、思い通りに体を動かせる状態。

この二つが揃ってれば、人生はだいたい大丈夫だと思ってる。

逆に言うと、これが崩れると、キャリアをどんなに積み上げようと、どんなに死守しようと、ただむなしいだけ。


☆キャリアより自由

なんかキャリア批判になったかな?(笑)

そうじゃないのよ、念の為。

キャリアは立派やと思う。

これはホントにそう思う。

努力して積み上げてきた人のことは、心から尊敬する。

何年もかけて積み上げてきたものを大事に思う気持ちは、至極自然なことやとも思う。

この歳で、何一つキャリアらしいものを持ててない男の素直なひがみ・・・、じゃなくて称賛(笑)。


でも、それでも、「人生を賭けるほどのものでもないやろ?」が本音。

「失いたくない」とか、「活かさないともったいない」とか、まっつんスタイル的には、不自由この上ない発想に思える。

モテエロZEN的に、もっとフラットに軽快に生きたいもの。

キャリアがあるなら、道具というかおもちゃ感覚で使えばいい(笑)

もし無ければ無いなりに、別の道を探すまでのこと

長い人生、必ずしもキャリアだけを軸に考える必要もなかろう

このくらいの距離感が、いちばん自由でちょうどいい気がするけどね。

人生、そんなに重たいもんでもないんやから。

キャリアに縛られるより、今日も心と体が自由であること。

まっつんスタイルにとっては、それがいちばんの資産やと思う☆


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