『鬼滅の刃』最終章。
死闘の果て、ついに無惨は滅び、エンディング。
・・・と思ったら、最後の最後で炭治郎が鬼になる(笑)。
初めて読んだ時は、
「あらら!?」
ってなったもの。
でも、何度か読み返してみると、あれって「最後にもう一波乱」っていう単なる演出でもない気がするんよね。
むしろ、『鬼滅の刃』という物語が、最後に描きたかったテーマそのものやったんじゃないかと。
今日はそんな『鬼滅』のラストを、
浄土教、
他力、
ご縁、
ついでに、まっつんスタイル自身の人生なんかも重ねながら読んでみたい。
☆ 無惨は最後まで一人だった
『鬼滅』のラスボス、鬼舞辻無惨。
圧倒的な力を持つ、鬼の始祖。
でもこの人を見てると、不思議なことに「強い」というより、ずっと「怯えてる?」ように見えなくもない。
死にたくない。
衰えたくない。
変わりたくない・・・。
彼が求め続けたのは、完全なる“不変”、らしい。
でも考えてみると、この世に変わらないものなんてないわけで。
命も。
肉体も。
感情も。
全部変わる。
にもかかわらず、無惨は最後まで変化を拒絶し続けた。
だから、永遠を求めながら、永遠に安心できない。
満たされない、恐怖が消えない・・・。
無惨って、鬼の王っていうより、
「全部を自分で抱え込んで、全部を自分でなんとかしようとした人(鬼)」
そんなふうにも見えるよね。
誰も信じない。
全部、自分、自力。
最後まで一人。
これって「強さ」のように見えて、実はものごっつい苦しい生き方なんやと思う。
☆ 炭治郎も鬼になれた
ここが『鬼滅』のおもろいところ。
炭治郎ってよく、純真無垢で心やさしい主人公って言われがち。
でも、物語をつぶさに見てみると、決してそんな聖人君子って感じでもないんよね。
むしろ、めちゃくちゃ人間臭い。
怒る。
泣く。
悩む。
苦しむ。
絶望もする。
で、実際、鬼になった。
これ、かなり重要ポイントやと思う。
普通の少年漫画やったら、
「主人公 = 絶対的な善」
として描かれそうなもん。
でも、炭治郎はそうじゃない。
闇に堕ちて、鬼にもなれる。
憎しみに飲まれることもある。
これ要するに、
「俺らと同じ」。
鬼滅って結局、鬼と人間の物語というか、“人間の中にある鬼の物語”なんやと思う。
憎悪。
執着。
嫉妬。
恐怖。
欠乏感。
誰の中にもある。
もちろん、まっつんスタイルの中にもある(笑)。
で、炭治郎は、それを持ってないんじゃない。
ちゃんと持ってる。
だからこそ、無惨の“想い”が、炭治郎の中でブーストした。
そして、そんな姿にもまた、俺らは共感できてしまうわけ。
うん、おもろい。
☆ じゃあなぜ、炭治郎は人間に戻れたのか
さてさて、こっからが今回の本題。
「炭治郎はなぜ、人間へ戻れたんやろか?」
精神力が強かったから?
気合いがすごかったから?
根性があったから?
いやいや、そんなチープなもんじゃないよね(笑)。
あの場面、一人やったら戻れてない。
これ、絶対。
ここが、まっつんスタイル的に推したい、大事なポイント。
禰󠄀豆子がいた。
善逸がいた。
伊之助がいた。
義勇がいた。
カナヲがいた。
珠代がいた。
しのぶがいた。
お館様がいた。
亡くなった柱たちもいた。
そして、家族もいた。
たぶん炭治郎を救ったのは、炭治郎自身の強さと、炭治郎を支え続けた無数の“縁”。
無惨に飲まれそうになったあの戦いは、その総力戦やったって、まっつんスタイルにはそう見える。
鬼になった炭治郎に、みんなが必死に手を伸ばす。
呼びかける。
信じる。
諦めない。
そこにあったのは、
「頑張れ!」
というより、もっと根源的な、
「戻ってこい」
やったんちゃうかなと。
☆ 「二河白道」を思い出した
前に、仏教僧の松崎智海さんは書かれた本を読んだことがある。
まさに、『鬼滅の刃』を、仏教的に解釈しようとした本。
その中で、『鬼滅の刃』のあのラストと、「二河白道」の話が重ねられててさ。
当時も、今も、「なるほどな〜」って思う。
「二河白道(にがびゃくどう)」っていうのは、
「煩悩の河と怒りの河に挟まれた細い一本道を進むという浄土教の譬え話」
のこと。
人間は常に、
怒り
執着
恐怖
嫉妬
欠乏
そういうものに囲まれながら生きてる。
だからいつでも、道を踏み外しそうになる。
今回の炭治郎もそうやった。
最後、本当に煩悩(無惨)に飲み込まれかけた。
でも(藤の花の)向こう側から、
「そのまま戻って来い」
と呼ぶ声がある。
信じてくれる人がいる。
支えてくれる人がいる。
待ってくれる人がいる。
そう、これ、ある種の「他力」の物語。
『鬼滅』のラストを見てると、そんな「二河白道」の光景が重なって見えたりもする。
なんとも奥深い。
☆ 人は一人では戻れない
まっつんスタイルは、禅も好き。
TAO(道教)も好き。
浄土真宗も好き。
で、ここ数年、改めて思うのは、
「人は一人では決して戻れない(生きていけない)」
ってこと。
離婚もあった。
就農と離農があった。
自然災害もあった。
借金返済もあった(というか、ある(笑))。
ここへきて、また、移住と転職があった。
そして、ブログを書いてる。
振り返ってみると、全部、自力だけでやったわけじゃない。
兄がおる。
友人がおる。
仲間がおる。
読者さんがおる。
タチコマもおる(笑)。
もうこれはしみじみそう思う。
だから、強くなることも大事。
努力することも大事。
成長することも大事。
でも、助けてもらえる人間になること。
信頼し合い、支え合える関係性を持つこと。
ご縁を受け取れること。
こっちも同じくらい大事なんちゃうかなと。
これは最近、『鬼滅』を仏教的な視点で読み込んでるからかな?(笑)
でもマジでそう思うよね(笑)。
☆ まっつんスタイル流・最後のまとめ
無惨は、最後まで一人やった。
炭治郎は、最後まで一人じゃなかった。
この違いのデカさが、もしかしたら『鬼滅』の核なんかもしれん。
人生って、どうしても頑張れんくなる時がある。
折れる時もあるし、鬼になる時もある(笑)。
そんな時、最後に人を救うのは、気合いや根性や正論だけじゃない。
「大丈夫、戻ってこいよ」
そう言ってくれる誰かの(何かの)存在やったりするんかもしれんね。
『鬼滅の刃』のラストは、人が人間へ戻る物語。
それは案外、俺ら自身の物語として、読めなくもない☆


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