政治経済を語っても、最後は「自分はどう生きる?」に行き着く 〜思想とは、他人を裁く道具ではなく、自分を導く羅針盤である〜


まっつんスタイルは、意外と政治経済の話も好きでね。

最近もふと「日本の税制が、金持ちや大企業優遇って言われるのはなんでなんやろ?」とか考えてた。

でもこれ、おもろいもんで、政治経済とか社会問題の話をしてても、結局最後は「で、俺はどう生きる?」って話になるんよね。


制度の是非や、社会の流れを掘っていくのは楽しいし、一人ひとりが知見や意識を深めていくことは大事なこと。

改めて、世の中ってそんな単純にできてへんなぁって思うよね。

そして、どこまでいっても「自分次第」ってことも。

今日は、変わっていく時代と、変わらない人間の話、かな。


☆正しそうな政策ほど、だいたい単純すぎる

例えば、「富裕層に増税にしろ!」ってやつ。

一見正義っぽく・・・、見えなくもない。

「庶民ばっかり不公平だ!」
「たくさん稼いでるんだから、たくさん負担しろよ!」
「もっと困ってる人に回せ!」

うむ・・・、どれもなんとなくそれっぽい。

でもこんな程度のことで、現実が丸く収まれば誰も苦労しないわけで。


いわゆる金持ちや大企業は、税が重くなればどうするかって、逃げるのよね、海外に。

現代だと、資本はいとも簡単に国境を越えることができる。

企業が拠点を海外に移すと、国内の投資は止まり、雇用は減る・・・。

というか、これもう、現実に起こってること。

“正しそう”な政策が、必ずしも良い結果を生むとは限らない

めっちゃ単純化して言うと、そういうこと。


それに金持ちは、「え?こんなに税金で持っていかれるの?」が本音。

金持ちには金持ちになった理由があるもの。

独自のアイデアを生み出し、誰よりも働き、多くの責任やリスクを負ってる。

まぁもちろん例外はいくらでもいるけど、それは個別に対応(取り締まりや処罰)すればいいこと。


なんだか「金持ち増税」の根底には、日本人特有の「金持ち悪玉観」が見え隠れするよね。

一括りにして悪者扱いしたって何も始まらないと思うけど。


☆社会を“設計”しようとした理想は、だいたい失敗してきた

しかも歴史を見れば、この手の話はもう結論が出てる。

平等を徹底しようとした社会主義、国家が管理すれば上手くいくと信じた計画経済。

いわゆる「理想の社会」を“設計”しようとした、言ってみれば「共産主義」やね。

結果はどうやったか?

まぁご存知の通り、ソ連はこの世から姿を消した・・・。

人間は、そんな綺麗に設計できるほど単純やない

このことを大前提にしないとね。

怠けもするし、ズルもする。

そして、欲も好奇心も止まらないから、創意工夫も止まらない。

この“めんどくさい人間という生き物”の生態を無視した制度設計は、だいたい破綻する。

「これではモテんやろ」と思うわけ。

国家運営として(笑)。


☆それでも人は「誰かがなんとかしてくれる」と思いたがる

でも、人はすぐこう言いたがるよね。

「国がなんとかしろ」
「政治が悪い」
「制度がおかしい」

まぁこれに関しては、まっつんスタイルも例外じゃないけど(笑)。


もちろん、制度の問題はあるし、政治の責任もあるやろう。

でも、どこからどこまでを政府が面倒見るかの匙加減は、時代や社会情勢によって変化するもの。

このバランスをいかに取るかに日々苦心してるのが、政治家や官僚。

どう転んでも、必ず誰かに文句を言われる(苦笑)。

その努力たるや、涙ぐましい。

このことは、社会の一側面として知っておいてあげた方がいいね。

とはいえ、人って案外、「守られたい生き物」。

特に不安な時代ほど、人は強いリーダーや、手堅い管理制度を求めるもの。

自由より安定、挑戦より保障、責任より保護って感じ。

その気持ちもわかる。

人間、みんなそんなに強いわけじゃないからさ。

☆でも、善悪で裁いても何も始まらない

ここでよくやってしまうのが、悪者を見つけて(作って?)攻撃してしまうこと。

「怠け者が悪い」
「老人が悪い」
「政治家が悪い」
「金持ちが悪い」

みたいな犯人探し。

うん、まぁ場合によっては必要なことやし大事なことなんやろけど、たいがい目的がズレる。

正直それって、思ったほどの意味がないというか・・・。

人はみんな自分の文脈で生きてるわけやから。

育った時代も、受けた教育も、見てきた景色も違う。

そら考え方も変わる。


制度論は大事。

だからこそ、感情的に善悪や優劣で裁くより、

「そういう背景があるんやな」

って、まずは理解することが大切で、実はよっぽど建設的。

まっつんスタイルはそう思うけどね。


☆だから最後は「自分はどう生きるか?」になる

社会はあまりにも複雑。

そして世界は、あまりにも理不尽。

だからこそ、絶対確実は正解なんてものはない。

“よりベターな”現実が連続するだけ。


でも、個人のことで言うなら、結局最後に残るのはこれ。

「で、俺はどう生きる?」

誰が悪いとか、何が正しいとか、延々そんなことに拘泥しても詮無きことでね。

自分の人生は前に進めるために必要なんは、

“自分なりの哲学”を持つこと

「なぜ?」
「どうして?」
「それ、なんのため?」

これが全ての土台、全ての前提。


☆思想とは、他人を殴る棒じゃない

思想とか哲学なんて聞くと、えらい難しそうやけど、要はこういうこと。

「俺はこう考え、こう生きたい」

そういう、自分なりの行動指針。

正義を振りかざしたす旗でも、マウントを取るための知識でもない。

ましてや、他人を論破して悦に入るための武器でもない。

迷った時に、自分を導く羅針盤

それが思想であり哲学。


☆結び

世の中を語るのはええ。

例えば政治を、経済を、歴史を、大いに語ればいい。

でもそのすべては、最後に「自分はどう在るか」へ繋がってなきゃ意味がないよね。

社会を語ることは、自分の生き方を問うこと

問いを持って生きようや。

答えなんかなくてもええ。

問いを持ち続ける人間だけが、時代に流されず、自分の足で立って生きられる。

そして、それこそがまっつんスタイル


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