仏教動物園④|蛇(ヘビ) 〜執着と再生、そしてエロの正体〜


☆なぜ蛇は、嫌われるのか?

蛇って、だいたい嫌われるよね。

道で見かけたら、

「うぇ・・・」

ってなるやつ(笑)。

なんか不快感がすごい。

・細い

・冷たそう

・這う、グネる

・ヌメッとる

・毒がある・・・

物語の世界でも、現実の世界でも、

蛇が正しく綺麗な文脈で使われることってあんまない気がする。

じゃあ仏教の世界においてはどうかというと、

仏教の蛇は、単純な「悪」の象徴じゃなかったりする。

ときに「危険なもの」として現れ、

ときに「煩悩を脱ぎ捨てる比喩」として現れ、

ときには「仏法を守る存在」としてすら現れる。

なんとも一筋縄ではいかない生き物(笑)。

それでも嫌われるのはなぜか?

たぶんその存在が、

“あまりに生々しくて、正直”

だから(笑)。


☆出典|蛇はどこに出てくるのか?

仏教において「蛇」は、寓話や譬え(たとえ)として頻繁に登場する。

とくに有名なのが、

・三毒を表す図像の中で、「瞋=怒り・憎しみ」を表す蛇

・教えの扱い方を、蛇の捕まえ方になぞらえた「蛇喩」

・古い皮を脱ぐように煩悩を捨てよ、と説く**『スッタニパータ』の「蛇の章」**

ちなみに「三毒(貪・瞋・痴)」というのは、

・「貪」:むさぼり求める欲望

・「瞋」:怒りや憎しみ

・「痴」:物事を正しく理解できない愚かさ(無知・無明)

のこと。

蛇は、扱いを誤れば噛まれる。

仏教そのものも、つかみ方を間違えれば噛まれる。

毒があるから、結構シャレにならん(笑)。

でも正しく扱えば、そんなに危険じゃない。

仏教の世界ではそんな存在。


☆仏教的な意味|まっつんスタイルには、蛇が「執着」にも見える

さて、ここからはちょっと、まっつんスタイル的な連想。

仏教において、

「蛇 = 執着」

と決まってるわけじゃない。

でも、蛇のあの姿を見てると、どうしても“執着”を重ねたくなる(笑)。

・いつまでも離れない

・何度も思い出す

・手放したつもりで、また絡みつく・・・

まぁわかりやすいとこで言えば、

「フラれたあの子が忘れられない・・・」

的な?

まさに“蛇のように不快な”しつこさ(笑)

もちろん仏教では、執着は「苦」を生み出す大きな原因として警戒される。

ただ、

「執着する自分なんて最低や!」

と、さらに自分を責めればいいわけでもない。

まずは、

「あ、絡まれとるな」

と気づく(笑)。

まっつんスタイル的には、そこからでいいと思う。


☆なぜ蛇は「脱皮」するのか?

あと、蛇を象徴するものとして、

“脱皮”

があるよね。

古い皮を捨てて、

形は変えずに、

その先へ進む。

もちろんこれは、

「蛇の脱皮そのものに仏教がそういう意味を与えている」

っていう話じゃなく、

まっつんスタイル的に眺めると、

“自分を否定せずに変わる”

っていうメタファーに見えるって話。



脱皮は、人間に置き換えると、かなり前向き。

断ち切るんじゃない

“脱ぐ”だけ

蛇の皮だけ転がってるのを見ると、これまた、

「うぇ・・・」

ってなるけど(笑)。

でもその意味合いを考えると、実はめっちゃポジティブで、

どこか“神聖”ですらある。


☆生き物としての蛇(軽く)

蛇は、基本的には人間との接触を避ける。

こちらが不用意に近づいたり、触ろうとしたりすれば、防御として噛むことがある。

「近づきすぎなければ、向こうもだいたい放っといてくれる」

・・・なんかこれ、「執着との付き合い方」に似てる(笑)。

蛇は、追いかけるほど巻き付いてくる

・・・そんなイメージまで湧いてくる(笑)

あのウネウネ這い回る曲線の不気味さ。

蜷局(とぐろ)、

絡まり、

ポイズン、

睨み、

丸呑み・・・(笑)。

こういう姿を見てると、まっつんスタイルにはどうしても「執着」が重なる(笑)。


☆まっつんスタイル語訳|蛇とは何か?

蛇を、まっつんスタイルで翻訳すると、こうなる。

・欲や執着が湧いたこと自体で、自分を責めない

・かといって、絡まれたままにもしない

・近づきすぎない

・無闇に手を出さない

・観察する

誰の心にも、欲や執着はある。

それを蛇に重ねてみると、なんとなく付き合い方が見えてくる。

必要以上に苦しめられないためにできることは、

距離を取ること”。

この「距離」が、すべて。

まっつんスタイル的に、蛇は、

距離をとって観察する対象


☆エロモテZEN的・現代解釈

さて、ここは完全に、

まっつんスタイルが蛇から勝手に連想した話(笑)。

エロと欲は、切っても切れない。

誰かに惹かれる。

欲しいと思う。

触れたいと思う。

そういう欲そのものは、ごく自然なもの。

でも、

欲が「手放せない」に変わった瞬間、執着になる。

すると途端に、重くなる。

だから、まっつんスタイル的な、

“蛇的な色気”

とは、

欲はある。

でも、欲に着られてない。

絡みつかない。

絡まれない。

必要なら、古い皮を脱げる。

欲との距離感を保てる男は、エロい

欲を持ちながら、それに巻き付かれていない男は、モテる

そして“脱皮”。

これまた、まっつんスタイル的に眺めれば、

“進化と可能性”

“生命の躍動”

のメタファーにも見えてくる。

だから、

脱皮を繰り返す男は、エロい

そして、たぶんモテる(笑)。


☆小さな実践|蛇に噛まれないコツ

執着は、人の判断や行動を狂わせる。

じゃあどうする?

ここでも仏教の基本姿勢を崩さないことが大切。

・欲が湧いても、否定せず、ただ観察する

・焦らない、慌てない、拙速にならない

・執着が絡みついてきたら、「蛇がおるな(笑)」くらいに眺めて、一段階距離を取る

蛇も、執着も、近づき方が大事

距離を取って眺めれば、むしろ魅惑の存在?

そして、まっつんスタイル的には、

蛇に「執着」を重ねると同時に、“再生”も重ねてみたい。

執着に巻き付かれっぱなしになるんじゃなく、

必要なときには古いものを脱いでいく。

そんな付き合い方ができれば、人もまた少しずつ変わっていける。

脱皮(進化と再生)は、夜中に静かに起きる・・・

コツというか、考え方のバリエーションやね。

知っとくと、あの不気味だった蛇が愛おしくなってくるかも(笑)。


☆今日は蛇のエロさがいい

蛇は、仏教の中で一つの意味だけを背負った動物じゃない。

怒りにもなり、

危険にもなり、

教えの扱い方を示す比喩にもなり、

古い皮を脱ぎ捨てる姿にもなる。

そして、まっつんスタイルには、

あの絡みつく姿が「執着」にも見える。

近づきすぎれば絡まれる。

扱いを間違えれば噛まれる。

だから、距離を取って観察する。

そして、脱皮する蛇の姿には、“再生”も重なる。

古い皮を脱ぎながら、それでも蛇は蛇のまま進んでいく。

蛇を殺す必要はない。

欲も、

執着も、

怒りも、

「こんなもの持っちゃダメだ」と否定する必要はない。

ただ、絡まれすぎない。

噛まれない距離を取る。

そして古くなったものは、

蛇みたいに、するっと脱ぐ。

それくらいでいいんちゃうかなと。

だから、

付き合う、

飼い慣らす、

最後脱ぐ(笑)。

「蛇みたいに絡みつくものから、蛇みたいに脱いでいく」

そこまで忌み嫌うことはない。

今日はあえて、蛇はエロさをまとってみる☆


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