映画『ベルリン・天使の詩』を観た。
いやぁ、難解(笑)。
ず〜っと公案を聞かされてるような映画やったね。
「え?どういう意味?」
「いや、意味を考えたらあかんねやな」
「でもこれ、どういう意味?」
「いやいや、考えたらあかん」
「ごめん、やっぱどういう意味?」
このループ(笑)。
でも、観終わってからじわじわ思った。
この映画はおそらく、「問いそのものを体感する映画」なんじゃないかと。
この映画がメッセージは、もしかするとかなりシンプルなんかもしらん。
すなわち、
「“思考の世界”から、“感覚の世界”へ降りてこいよ」
ってこと。
天使ダミエルは見てる。
人間の声を聞き、心を観察し、世界を記録してる。
でも、決して触れられない。
匂いも味もない。
痛みもなければ温もりもない。
これって、すべてを知っているけど、“何も生きていない”状態。
やがてダミエルは人間になる。
人間の「不完全で、傷ついて、死ぬことができる」“有限の美”への羨望がそうさせた。
モノクロの世界が、一気にカラーになる。
あの瞬間、世界が“意味”じゃなくて“体感”になったんやろね。
“理解”よりも“受容”。
見るだけの存在から、感じる存在へ。
妙に悟ってる天使が、「痛み」や「愛」や「死」を通して、“生きる”ことのエロスに目覚めていく。
理解が深まると、まっつんスタイル的モテエロZENにはめちゃくちゃハマってると気づく(笑)。
☆現代人は、五感が麻痺している
ふと考えてみると、今の世の中って、とにかく便利で快適。
早く、確実に、簡単に、ラクで、ノーリスクで・・・。
みんなそういうものに囲まれて、そういうものを求めて生きてる。
もちろん、便利なのはいいこと。
でもその代わり、人間はかなり“感じる力”を失ってきたんちゃうやろかとも思うよね。
言うなれば“五感の退化”。
そして、それはおそらく「五感のインスタント化・外注化」によるもの。
食事は作業。
コミュニケーションは“処理”。
景色や体験は、スマホ越し・・・。
これってつまり、“摩擦のない世界”よね。
人は摩擦で熱を生む生き物やから、摩擦を失えば“生命の温度”が冷たくなるのは当然。
香りも、空気感も、肌感覚も、どんどん冷めて、遠くなる・・・。
そのくせ、脳はずっと刺激を欲しがってるってのが、またなんとも・・・。
ショート動画にSNS。
過剰な広告宣伝、刺激的なニュース、他人の成功譚・・・。
ドーパミン欠乏を埋めるように、次から次へと情報を浴び続ける。
でも、どれだけ情報を浴びても、どれだけモノに囲まれても、なぜか虚しさは消えない。
感覚は、どうしても満たされていない。
身体が「生きてる」って感じないから・・・。
☆「五感に還る」ということ
ここで言う五感は、「見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる」っていう、ごく当たり前のもの。
でもこの当たり前が、今の時代はめっちゃ鈍ってんじゃないのかな。
だからこそ、「五感を取り戻す」ってことは、ただのリラックス法じゃない。
これはもう、
“生きる実感”を取り戻すリハビリ
コーヒーの香りをちゃんと嗅ぐ。
あんこの食感と甘味を味わう。
音楽を聴いて、理由もなく泣く。
お香や香水の残り香に、心を預ける。
風の温度や圧を、肌で感じる。
人と会って、声や表情や間を感じる・・・。
こういう一つひとつの感覚が、実は人間を“今ここ”に戻してくれるのよね。
五感を使うというのは、「今に戻る」ということ
「今に戻る」というのは、「生を肯定する」ということ
☆小さな「生」の充足
最近、しみじみ思う。
大きな成功とか、名誉とか、莫大なお金とか、そういうものはまぁ・・・欲しい。
欲しいんかい!(笑)
って、いやでも、「人間の幸福」って、案外もっと小さいところにあると思うのよね。
たとえば、「明日はセブンのコーヒーと、『ぎっしり豆大福』を食べよう」と、そう決める。
その瞬間から、ちょっと楽しみになる。
で、翌日セブンに行く。
コーヒーの香りを楽しみ、豆大福のやわらかい抵抗を噛みしめ、口の中に広がる甘味を味わう。
そして、「あぁ、うまいなぁ」と、車の中でひとりごつ(笑)。
それだけで、けっこう幸せ。
こういう時、「意外とこんなもんやなぁ」とか思うわけ。
でも、この「意外とこんなもんやなぁ」ってのが、思ってる以上に大事。
欲を消すんじゃない。
大きな目標を諦めるんでもない。
ただ、目の前の小さな充足をちゃんと受け取れる身体でいること。
その身体のアンテナが拾う微細な快感に敏感であること。
これってよく言う、まっつんスタイル的なZENなのよね。
☆仏教にもある「六根清浄」
仏教(ZEN)にも、まさに五感に関する考え方がある。
それが「六根」。
「眼、耳、鼻、舌、身、意」。
「見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる」に、心の働きである「意」を加えたもの。
人間が世界を受け取る六つの窓口やね。
そして「六根清浄」という言葉。
「感覚を汚れから解き放ち、澄んだ状態に戻す」の意。
ここで大事なのは、感覚を否定するんじゃないということ。
「見るな、聞くな、味わうな、感じるな」じゃない。
感じてもいい。
ただし、囚われるなっていうね。
ここが仏教のおもしろいところ。
五感は、「感覚が透明化していく悟りへの入り口」でもある。
五感を抑えるのでなく、五感を澄ませる
そして、世界とひとつになる
これ、「まっつんスタイルZEN寺メソッド」で推してる、めっちゃ重要なところ。
☆「情報統制」とは、五感を守ること
「五感」を研ぎ澄ますということでは、やはり情報との付き合い方が重要になってくるよね。
まっつんスタイルでは、はっきりと「情報統制」って言い方をして重要視してる。
余計なニュースを見すぎない。
他人の成功譚を浴びすぎない。
動画やSNSに心を持っていかれすぎない。
これは別に、世間から逃げるってことじゃなくて、自分の五感を守るってこと。
自分の感覚を“外部のノイズ”に乗っ取られないようにするってこと。
情報の入れすぎは、自分の感覚を確実に鈍らせるからね。
「なんかすごい人がおる」
「俺、遅れてる?」
「なんか損してる?」
「このままでええんやろか?」
「もっと頑張らんとあかん?」
そんな声ばかりが頭の中で鳴り始めると危ない。
でも、情報を統制し、五感が整ってくると、本来の自分を感じ取れるようになる。
「いや、俺の心はどう感じてる?」
「今、何が心地いい?」
「俺の身体は何を欲してる?」
これ、「自分の波長に合わないノイズを感じ取れるようになる」とも言えるかな。
こういう状態になれたら強い。
過度に情報を追わず、自身の感覚を信じて判断する
現代の、そして“今この瞬間”の答えはこれやと、まっつんスタイルは思うね。
☆健康管理・情報統制・自己理解
『まっつんスタイル流・ZEN寺メソッド』ってのがあるけど、その教えの柱はシンプル。
「健康管理」
「情報統制」
「自己理解」
この三つ。
健康管理は、身体の静寂を作る。
食事、睡眠、運動、そして断食(笑)。
身体が整うと、五感が澄んでくる。
情報統制は、思考の静寂を作る。
余計なインプットを減らし、他人の物語から距離を取る。
すると、“自分の声”が聞こえやすくなる。
自己理解は、心の静寂を作る。
問いを立て、感情を観察する。
すると、自分の反応を言葉にできるようになる。
この三つが整うと、本当に思考や行動がブレにくくなる。
そして、食事がうまい、音楽で泣ける、香りに惹かれる。
あと、リアルで人に会うのが楽しみになる、とかもあるかな(笑)。
オンライン上の情報への興味が薄れていくし、他人の成功譚にゾワゾワしなくなる。
なにやら異質なものに触れたとしても、すぐに「自分はどうか?」へ戻れる。
「生きるのがラクになる」って感じ。
☆断食は、身体でやる「情報統制」
断食について、少し言及(笑)。
まっつんスタイルは、24時間断食とライト断食を習慣にしてる。
これも、単なるダイエットとかじゃなくて、“身体でやる情報統制”。
空腹時の自分を観察すると、身体の声が聞こえやすくなってて、思考がクリアになるのがわかるのよね。
そして、味覚のリセットがなされて、フル稼働してた胃腸が静まる。
胃腸が静まると、世界もまた静まる。
で、次の食事がめっちゃ美味くなる。
これ、マジ。
単に食べないんじゃなくて、“感じる”ために、いったん食を止める。
そう考えると断食も、本来の五感を取り戻す、ZEN的な行為だったりするよね。
☆結び
現代人は、あまりにも頭で生きすぎてる。
情報を浴び、意味を探し、比較し、焦り、もっともっとと追いかける・・・。
でも、本当に必要なものって、案外もっと原初的なことなんじゃないかね。
ちゃんと見る。
ちゃんと聞く。
ちゃんと嗅ぐ。
ちゃんと味わう。
ちゃんと触れる。
そして、ちゃんと今に戻る・・・。
ヴィム・ヴェンダース監督の映画。
まっつんスタイル流・ZEN寺メソッド、「健康管理」「情報統制」「自己理解」。
どちらもその根っこにあるのは、「五感を取り戻す」ということ。
五感を研ぎ澄ませば、世界はもっと豊かになる
“小さな生の充足”を感じ取れるようになれば、大きな金や名誉がなくても、人はそれなりに幸福に生きていける。
もちろん、金も名誉もあってええけど(笑)、でも、それらに過剰に振り回される必要はない。
自分の五感を信じて、今に生きる。
結局これが一番シンプルで、一番強い。
幸福は、通知をオフにしたあとにやってくる(笑)
そんなわけで、今日も一つひとつ、目の前の今を噛みしめて生きていこう!
ヴェンダース映画から断食まで(笑)。
まっつんスタイル流の五感を取り戻すお話でした☆


コメント