その違和感、人生からのヒントかもしれない 〜魚は木を登れない|適材適所という救い〜


昔から、ずーっと持ってる違和感があってね。

人間関係もそう。

仕事でもそう。

恋愛もそう。

いろんな場面で感じる。

「申し訳ないけど、俺が付き合いたい相手じゃない・・・」

とか、

「ごめんけど、俺の居場所とは思えん・・・」

っていう・・・。

まぁなんとも失礼な話。

俺のことを知ってる人が読んだら、遺憾で、噴飯もの(笑)。

もちろん楽しいこともあったし、感謝してる人もおる。

でも心のどこかに、ずっと抱えてるこの違和感・・・。

そう、でも同時に思ってるのよ。

「じゃあそう言うお前は何者やねん?」

ってね(苦笑)。

特別な学歴もない。

誇れるキャリアもない。

大した実績もない。

収入も多くない。

モテてきたわけでもない。

だから結局、違和感というか、「何様感?」を持ちながら、

「まぁ所詮、これが俺の実力なんかな・・・」

って、そうやって自分を納得させようともしてきた。

まぁ納得できることはなかったけど(笑)。

不思議なもので、この違和感は消えへんかったね。

仕事を変えても。

環境を変えても。

年齢を重ねても。

ずっと残る。

しつこく残る。

「なんか違う・・・」

って。

まぁ要するに、

「俺ってこんなもんじゃない」

とか、

「まだ本気出してないだけ」

みたいな、そんな感覚なんよね。

だから、「わがまま」とか「勘違い」やと思うこともあった。

理想が高いだけ。

現実を見れてないだけ。

自意識過剰なだけ。

そんなふうに。

まぁこれ、完全に外れってわけでもない(笑)。

ただ、ようやくこの歳になって、少し考え方が変わったかもしれん。

ずっと感じてきた違和感って、もしかして「欠陥」じゃなくて、“ヒント”なんちゃうかなと。

今日までの人生は、自分の最適環境を探すための“消去法の実践期”やったんちゃうかなと・・・。

例えば、魚が木登りできへんからって、能力がないとは言わん。

砂漠では苦しむ魚も、海に入った瞬間に元気になる。

まさに、「水を得た魚」(笑)。

人間も案外それに近いんかもしれん。

向いてる場所。

向いてる環境。

向いてる生き方。

適材適所。

そういうもんがある。

もう間違いなくある(笑)。

まっつんスタイルの場合、それがフリーのブロガーやったんかもしれん。

振り返ると、違和感があった場所やと、やっぱ努力が続かんかったんよね。

頑張ってるのに、ただ消耗した。

頑張ってるのに、ひたすらしんどかった。

頑張れば頑張るほど、自分が嫌になった・・・。

そんなんばっか。

でもブログは違った。

書き始める前は、

「どうせ続かんやろ」

「なにを今さら」

「誰が読むねん」

って、そんなことばっか考えてたもん(笑)。

でも実際に書いてみたら、なぜか続く。

数字とか関係なく。

楽しい。

ネタが尽きない(笑)。

これホント、自分でも不思議なくらい。

いや別に、「自分は特別やった」って言いたいわけじゃない。

ただ、長年感じてきた違和感には、ちゃんと意味があったんかもしれんなってこと。

無理やり合わせ続けてた感覚は、

「お前の適正、そこじゃない」

「お前に相応しい場所がある。そこじゃないけど」

っていう人生からのサイン(笑)。

人との距離感。

活躍できる環境。

社会貢献の方法。

どれもその人に適したものがある。

そんな感じ。

「どこへ行っても噛み合わん」

「何をしても違う気がする・・・」

そんな感覚って、意外と誰しも経験があるんかもしれんね。

でもそれを、能力不足って決めつけるのは、たぶん早い。

単に、“自分の使い方”を知らんだけって可能性、大いにあるから。


違和感は苦しい。

居場所がない感じは、時に辛い。

「自分がおかしんちゃうか」なんて思うことすらある。

でもそれは案外、

「そこちゃうねん」

っていう人生からの、ピュアで親切なサインなんかもしれん(笑)。


魚は木を登れん。

でも海に入れば泳げる。

まっつんスタイルは、たぶんその海を探してただけやった。

今にして思えば、そんなような気もする☆


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