人はなぜ、幸せになりたいのに、幸せがわからなくなるのか? 〜幸福を感じにくい理由と、自分に帰ってくるということ〜


今日も、幸福について。

まぁね、こういうテーマ好きなのよ(笑)。

ちょうど最近、考える機会があったのもあるし。

突然やけど、

「今、幸せ?」

って聞かれたら、なんて答えるかね?

「はい」

って即答できる人、意外と少ないかも?

不幸ってほどじゃない。

でも幸せかって言われると・・・うん、なんとも言えない。

「こんなもんじゃね?」

「まぁしゃーない・・・」

それくらい?(笑)

たしかに、

「はぁ〜、幸せやわぁ〜(うっとり)」

なんて心境になるのは稀なこと(笑)。

幸せなんて、実は瞬間的な感情なんかもしれん。

でも、そうじゃない時間の、なんていうか、満足度とか納得感の高さ?

そういうものが幸福側に寄ってるか否かって考えてみる。

どうやろ?

今、幸せ?(笑)

考えてみると不思議。

人はみんな、幸せになりたいわけで。

これはもう間違いない。

お金が欲しい。

恋人が欲しい。

健康になりたい。

自由になりたい。

認められたい。

安心したい・・・。

欲しいものは人それぞれ。

あるいは全部(笑)

でも結局、その先にあるのは必ず、

「幸福になりたい」

って願い。

「じゃあ、あなたにとっての幸せって?」

ここで急に言葉に詰まる・・・。

お金があれば幸せ?

結婚したら幸せ?

権力があったら、名誉があったら幸せ?

それとも健康?出世?

もちろん、それらは人生を豊かにしてくれる。

でもどうやら、それだけじゃ説明しきれないらしい。

だって、

お金もある。

家族もいる。

健康でもある。

でも、苦しそうな人がいる。

逆に、

何の肩書きもない。

収入も大してない。

でも妙に穏やかで満たされてる人もいる。

「なんで??」

このありふれて、言い尽くされた問いが、いつまでも残る・・・。

少し前に、生物学者の小林武彦さんのご著書を読んだ。

細かい話は端折るけど、

「人間は遺伝子的に、幸せを感じにくいようにできている」

っていう趣旨の本。

ちょっと「なるほどなぁ」って思っちゃったよね(笑)。

もし今の状態で完全に満足してしまったら、

必死に生き残ろうとも、

新しいことに挑戦しようとも、

より良い環境を求めようとも思わなくなる。

だから人間は、

「あと少し」

「もう少し」

「もうちょいなんかあるやろ?」

って、思い続けるように設計されているという。

進化による宿命みたいな話。

いかにも人間らしいよね(笑)。

でまた、考えてみると、めちゃくちゃ心当たりがある(苦笑)。

欲しかったものを手に入れる。

しばらく嬉しい。

でも慣れる。

飽きる。

でまた、次を探す(苦笑)。

新しい目標。

新しい刺激。

新しい理想・・・。

これ、ポジティブに作用していればいい。

充足が前提の、好奇心の発露としての欲求ならば。

でもこれが、不足や渇望が根底にある「もっと」だと、なかなかしんどい。

「幸せ」とは言いずらい・・・。

問題は、その「もっと」が、

自分の本心から生まれてるのか、

それとも誰かとの比較によって生まれてるのか。

そこらあたりにありそう。

だから人間って、幸せを求めながら、いつまでも経っても幸せに辿り着けないことが多いんかなと。

必死で自分の尻尾を追いかける犬、みたいな?

走るのをやめた瞬間、尻尾はちゃんと自分についてきてることに気づく。

なんかこの例え、禅っぽい。

やっぱ人間って業が深い?・・・(笑)

世の中には、幸せのテンプレートってたくさんある。

結婚。

出産。

マイホーム。

高収入。

出世。

FIRE。

最近なら、YouTuberとかインフルエンサー。

さらには、

「好きなことで生きる!」

なんていうテンプレまである(笑)。

もちろん、それらを望む人は、それ目指せばいい。

大いに結構。

でもそれが、

全員の幸福とは限らない。

誰かの理想が、自分の理想とは限らない。

ここは太字(笑)。

これはもうホンマに忘れちゃダメ。

自戒も込めて(笑)。

人って案外、

「幸せになる」

んじゃなくて、

「幸せそうに見える人の人生を追いかけ始めたりする」

もんやからさ。

本当は静かに暮らしたいのに、

競争をし続ける。

本当は挑戦したいのに、

安定ばかりを選ぶ。

本当は自由が欲しいのに、

世間体を優先する・・・。

気づけば、自分の人生じゃなく、誰かが作った「幸せのテンプレート」を歩いてる。

こういうことって、結構あるのよね。

だからおもしろいのが、禅。

禅は、生物学とは、ある種、真逆のことを言うから。

遺伝子は、

「もっと」

って言う。

禅は、

「今、ここ」

って言う。

「もっと稼げ!」

「もっと承認!」

「もっとゲット!」

「まだ不安が消えんぞ!」

「もっともっと!」

そう囁く脳に対して、

禅は静かに、

「いや、今を観てみ?」

って言う・・・。

何かを足すんじゃない。

何者かになるんじゃない。

まず、「今、ここ」に戻る。

今の自分を観る。

今の人生を観る。

今の心を観る。

幸せって、わからんけど、「未来の〇〇かもしれん・・・」に備えることじゃないからね。

「もっと頑張れ」

より、

「今のお前、ちゃんと見えてるか?」

っていう問い。

禅は、欲望を否定せず、

「幸せにしてくれそうな欲望に飲まれるな」

って言ってる。

そんな感じ。

で、まっつんスタイルの、今のところの回答らしきもの。

幸福って、

「自分に帰ってこれてる状態」

なんちゃうかなと。

誰かになろうとしてない。

誰かの人生を生きてない。

ちゃんと自分で選んで、

ちゃんと自分で納得してる。

その感覚。

何かを手に入れた状態じゃなくて、

自分の選択に責任を持ててる状態。

もう少し突っ込んで言葉にすると、

自己一致感。

自分の人生への納得と満足。

「らしさ」の体現。

で、、

「ちゃんと毎日楽しんでる」

「ストレスなく過ごせてる」

「うん、悪くない(笑)」

そんなふうに思える感覚。

そういうものの総称。

だから極端な話、何だっていいのよね。

前も書いたけど、

世間の金持ち像を目指してもいいし、別に目指さなんでもいい。

大谷翔平と同じことしてもいいし、しなくてもいい。

マイホームパパになってもいいし、ならんでもいい。

アートにのめり込んでもいい。

性癖を極めてもいい(笑)。

なんでかって、幸福って、

「何を選んだかじゃなく、その選択がホンマに自分のもんかどうか

やと思うから。

ここも太字(笑)。

人が苦しくなるのって、

能力不足でも、

努力不足でもなくて、

「らしさ」から離れてしまう“自己不一致”。

そういうことって結構あるんちゃうかなって。

これ、まっつんスタイルがよく思うこと。

小さな不一致が積み重なると、人ってちょっとずつ苦しくなる。

もうホント、心当たりがありすぎる(笑)。

逆に、自分らしさに近づくほど、心って自然と満たされていくもの。

少なくとも、納得とか充足は感じられるようになる。

そんなふうに思うけどね。

だから、まっつんスタイルが、

健康管理、

情報統制、

自己理解、

を押すのもそこ。

身体を整える。

ノイズを減らす。

自分を知る。

すると少しずつ、

ホントに好きなこと、嫌いなこと。

ホントに望む生き方、ライフススタイル。

そういう自己一致の感覚が見えてくるのよね。

自然と。

そこまで来たら、あとは人それぞれ。

筋肉をつける人もおる。

あてもなく旅に出る人もおる。

結婚する人もおる。

離婚する人もおる。

起業する人もおる。

海外に行く人も、出家する人もおる(笑)。

どれも正解。

自分の本心から選んだものならね。

だから、時々立ち止まって、自分に問いかける。

「これ、誰の幸せ?」

って。

「親?」

「会社」

「SNS上の誰か?」

「それとも、ちゃんと自分の幸せ?」

「で、自分はホンマはどんなライフスタイルに幸せを感じるの?」

ってね。

なんか幸せって、外に探しに行くもんじゃないやろと思う。

誰かから教えてもらうもんでもない。

案外、何度でも、

“自分の中へ帰っていくもの”。

やっぱまっつんスタイルは、そんなふうに思うかな。

そんなわけで今日も、

「俺にとっての幸せって何やろね〜?」

って、そんな問いを抱えながら、ブログを書いとります。

答えは今日も出ぇへん(笑)。

でも、この問いを持って生きてる時間そのものが、案外もう幸せなんかもしれん。

なんつってな☆


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