今日はちょっと珍しく、「老後の性愛」の話でもしてみようかな。
「性愛」。
なにやら変な想像をしてしまう人もおるかもしれん(笑)。
でも今日したいのは、“そっち系”の話じゃなくてね。
もっと広い話。
老い。
愛情。
色気。
触れ合い。
そして、人生の成熟について。
☆老後に性愛は残るのか?
世間的には、なんとなく、
若い頃は恋愛。
中年は家庭。
老後は趣味?
みたいなイメージがあるんかな(笑)。
要するに、
「年を取ったら恋愛や性愛は終わる」
っていう前提?というかイメージ?
でもホンマにそうなんやろか?
正確には、
「イメージできん」
って感じかもしれんね。
でも、人間の人生を観察してると、思うのよ。
若い頃より魅力的な老人っておる。
若い頃より色気のある老人も、意外とおる。
雰囲気。
空気感。
所作。
言葉。
余裕。
そういうもん。
もちろん、外見の話じゃないし、その数は多くはない。
“若い頃より”というか、“若い頃とは別の”というべきかな。
だから最近は思うのよ。
性愛って消えるんじゃなくて、
“形態変化するだけ”
なんちゃうかって。
老後の性は、減るどころか
“質が上がる”。
「量の時代が終わって、密度の時代が来る」
みたいなね。
つまり、老後の性愛は、
「精神 × 感情 × 余白 × 静かな刺激」。
禅で言えば、「観行」。
茶道で言えば、「点前の所作」。
音楽で言えば、「間(MA)」。
そんな感じ。
☆そもそも人は何歳まで性愛を求めるのか?
これも不思議な話。
ほとんどの人は、「性愛は若者のもん」って思ってる。
まぁ基本はそう。
性愛って、突き詰めると生殖(子孫繁栄)やから。
でも現実は違うやん。
老人ホームでも恋愛があるってのは有名な話。
再婚も起きる。
嫉妬も起きる。
別れも起きる。
ぶっちゃけた話、高齢者のリアルセックスに関するデータも普通にあるしね。
だから人って、
「最後まで誰かと深く繋がりたい生き物」
ってこと。
性愛ってむしろ、年齢を重ねるほど、その深部が見えてくるもんなんかもしれん。
☆性欲は消えるのではなく、潜る
ここ、今日の大事なところ(笑)。
若い頃の性欲は分かりやすい。
衝動。
興奮。
刺激。
繁殖本能。
とにかくエネルギーが前に出る。
でも年齢を重ねると、そこが少しずつ変わる。
もちろん個人差はあるやろう。
あるけど、“主役”が変わるって感じ。
だから、老後の性欲は“ゼロになる”んじゃなくて、
“深部に潜るだけ”。
海面の波が静まり、海の深さが見えてくる。
あるいはただ、表面の衝動が静まって、底の情緒が浮き上がる。
性欲は、年齢じゃ消えん。
身体より心。
刺激より安心。
興奮より親密さ。
そういう方向へ向きを変える。
そんな感じなんかな。
☆性交から性愛へ
若い頃はシンプル。
「性愛 = セックス」
まぁ極論(笑)。
でも人生後半になると、その定義自体が変わってくるんかもしれんね。
手を握る。
肩に触れる。
名前を呼ぶ。
隣で眠る。
同じ景色を見る。
一緒にご飯を食べる。
他愛もない話をする。
そういうもの全部が、性愛に転じる。
セックスがなくなるんじゃない。
“性愛の定義が広がる”。
つまり、単純なセックスじゃなく、
接触、
寄り添い、
交わり、
みたいなものに“進化”する。
“存在と存在の共鳴”かな?
性愛は
「肉体だけの出来事じゃなくなっていく」
ってわけ。
☆なぜ老後の性愛は奥深くなるのか
これも世間もイメージ。
「恋愛も性愛も、若い頃の方が楽しい」
そう思われがち。
もちろん、生々しい性欲は、若い頃がピーク。
勢いがあっていい。
体力もある。
刺激もある。
でも、“奥深さ”っていう意味やとどうやろう?
むしろ人生後半の方が豊かになる側面も、性愛にはある気がする。
価値が下がるとは、どうしても思えん(笑)。
まっつんスタイルが考える理由は大きく四つ。
一つ目。
・生物学的プレッシャーから自由になる
若い頃の性愛には、どうしても繁殖本能が強めに混ざるからね。
子どもを作る。
異性に選ばれる。
ライバルに勝つ。
モテる。
評価される。
人間も動物やから当然。
でもだからこそ、緊張や恐怖、劣等感や敗北感と常に隣り合わせ。
でも年齢を重ねると、
そういうプレッシャーが少しずつ薄れていく。
勝ち負けが消える。
競争が消える。
すると性愛は、純粋な喜びや親密さへと戻っていく。
そういうもんちゃうかな。
なんか皮肉よね。
若い頃より、ある意味自由になる気すらする(笑)。
二つ目。
・他人の評価から解放される
若い頃の恋愛は忙しい(笑)。
モテたい。
嫌われたくない。
魅力的に見られたい。
自信を持ちたい。
承認されたい。
あいつに負けたくない。
もちろん悪いことじゃない。
でもそこには常に、他人の目がある。
なんか、しんどい(笑)。
一方、人生後半になると、そのへんがだんだんどうでもよくなる。
いや、想像やけど、そうなんじゃない?(笑)
すると残るのは、
「自分が心地いいか」
「相手が心地いいか」
だけ。
性愛が、競技から“対話”に変わる。
そんな感じ。
三つ目。
・触れ合いが心の延長になる
ここが大きい。
若い頃の性愛は、どうしても肉体的なものを想像する。
で、若さを失うと、
「“肉体的快楽”を諦めなくちゃいけない」
って考えがち。
でも年齢を重ねると、
手をつなぐ。
肩に触れる。
寄り添う。
名前を呼ぶ。
そういうことの価値が上がる。
老後の性愛の本質は、
安心。
尊重。
感謝。
そして親密さ。
だから、触れた瞬間に、愛と性が同時に成立する。
そんな世界になるんやろうと思うのよね。
で、最後、四つ目。
・禅的な「間(ま)」が使えるようになる
若い頃は結果を求めるから、
焦る。
急ぐ。
でも年齢を重ねると、少しずつ余白を味わえるようになる。
待つ。
見つめる。
黙る。
呼吸を合わせる。
あるいは、何もしない(笑)。
この「間」が心地よくなる。
実はこれ、禅とまったく同じ構造なんよね。
老年の性愛は、「ただ“在ること”の快」に辿り着く。
☆成熟した性愛とは何か
さて、40代独身がいろいろ書いてきたわけやけど、大丈夫?(笑)
ここまでをあえて一言でまとめるなら、たぶん、
「成熟した性愛」。
若い頃の性愛は花火みたいなもん。
派手、
強烈、
眩しい、
一瞬で燃え上がる。
それはそれで素晴らしい。
人生には、そういう季節も必要。
でも、人生後半の性愛は、もうちょい違う。
花火というより、焚き火。
あるいは、炭火。
静かやけど、温かい。
派手さはない。
でも、長持ちする。
近づくと、心地いい。
離れると、少し寂しい。
若さの性愛が炎なら、成熟した性愛は“灯り”。
そして、その灯りを纏った人間から漂うのが、“風情”なんちゃうかな。
歩き方が静か。
触れ方が柔らかい。
感情の起伏が穏やか。
過去を引きずらない。
未来に焦らない。
今を味わう。
若い頃のギラギラした色気とは違う。
人生の辛苦をくぐり抜けた人間だけが持てる、“枯淡の色気”。
まっつんスタイル的に言うなら、これは中道愛の完成形。
若さのエロスが花なら、成熟のエロスは香り。
花は散る。
でも香りは残る。
例えは色々出てくる(笑)。
でも、老後の成熟した性愛って、案外こういう世界なんかもしれん。
☆老後の性愛は、死とセットになる
若い恋愛は、前途ある未来が前提。
でも老後は、どちらかが先に死ぬ。
それが現実になる。
だからこそ、
一緒に散歩すること。
一緒にご飯を食べること。
一緒に眠ること。
きっとその全てが重みを持つんよね。
愛情が深まる。
愛情が深まるから、性愛も深まる。
死を意識した瞬間、人は“今この瞬間”の価値に気づくから。
人生後半の性愛が、尊くて美しいのは、
「限りがあることを知ってるから」
なんやろね。
永遠じゃない。
だから愛おしい。
老後の性愛には、そんな静かで優しい“切実さ”がある。
☆老後の最高の相性とは何か
若い頃は、ドキドキする。
盛り上がる。
刺激がある。
そういう相性を求めがち。
でも人生後半、これまた評価基準が少し変わる気がする。
最強の相性って、“一緒にいて疲れないこと”。
そして、“触れられて安心すること”。
たぶんこの二つ。
どちらも、なんとなく“自然であること”。
口説き文句もいらん。
派手なデートもプレゼントもいらん。
朝、お茶を飲む。
散歩する。
スーパーに行く。
テレビを見る。
他愛もない話をする。
そんな日常が、ただ心地いい。
若い頃は、
「選ばれたい」
老後は、
「この人と自然に一緒におりたい」
刺激より安心。
興奮より信頼。
所有より同行。
「恋愛が、人生の“共同航海”に変わる」
みたいなね。
まっつんスタイルで言うなら「同心梅」。
近すぎない。
遠すぎない。
でも、同じ方向に向って歩いていく。
人生って、実はこの境地に辿り着くための長い旅なんかもしれん。
で、老後の性愛は、その終着点。
☆老後の性愛とZEN
ここでまたZEN(笑)。
禅って実は、
欲を否定しない。
老いも否定しない。
性愛も否定しない。
ただ、その執着を少しずつ減らしていく。
すると不思議なことに、
興奮だけを求めなくなる。
所有だけを求めなくなる。
競争だけを求めなくなる。
代わりに、“味わう”っていう感覚が育つのよね。
呼吸。
温度。
視線。
静けさ。
余白。
共鳴。
そういうものが愛おしくなってくる。
老後の性愛って、ある意味で瞑想に近いんかな。
二人で座禅しているような状態。
セックスが瞑想化する(いやマジで(笑))。
たぶんこれ、人生後半の性愛のおもしろさなんやと思う。
☆40代の妄想として(笑)
さて、ここまで偉そうに語っといてアレやけど、まっつんスタイル、まだ老後ちゃう(笑)。
せいぜい人生後半の入口。
しかも独身。
だから正直、ここに書いたことの半分くらいは妄想。
想像。
でも同時に、
憧れ。
願望。
やとも思うのよね。
だからこそおもしろい。
若い頃には見えてんかった景色が、40代になって少しずつ見えてくる。
若さだけが魅力やない。
情熱だけが恋愛やない。
セックスだけが性愛やない。
そういう可能性。
人生後半には、人生後半の楽しみがある。
もし老いが、失うだけのものやったら、人間はこんな長生きしてへんと思うし(笑)。
これたぶん、若い頃の自分が読んだら、
「お前、なに言うてんねん(苦笑)」
てなもんやろね(笑)。
でも今はちょっとだけわかるのよ、マジで。
刺激は慣れる。
興奮もキリがない。
でも安心は飽きにくい。
信頼は深まる。
一緒におること自体が喜び。
そんな関係って、実は思ってる以上にすごいことやと思うけどね。
☆おわりに
若い頃のエロスは、
情熱。
刺激。
ムラムラキュンキュン(笑)。
でも本当に成熟したエロスは、もっと静かなんかもしれん。
焦らない。
競わない。
所有しない。
でも深い・・・。
若さのエロスが花なら、老後のエロスは香り。
そして、若さの性愛が運動なら、老後の性愛は“祈り”。
若い頃の性愛は、
獲得。
衝動。
生命力。
前へ前へ進む力。
でも老後の性愛は、
寄り添い。
見守り。
呼吸の重なり。
連れ添う月日。
同じ景色のシェア。
“今ここ”の味わい。
人生も。
愛情も。
性愛も。
最後は、どれだけ激しく燃えたかじゃなくて、どれだけ静かに寄り添えたか。
そこに辿り着くための旅なんかもしれんね☆


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