全肯定はポジティブ思考じゃない 〜「排除しない態度」と「自分への二撃目」という話〜


啓発系とかスピ系の話で、よく聞く言葉。

「すべてを肯定して生きましょう」

これってええ言葉っぽいけど、正直、しんどない?(笑)

「どんなに嫌なことがあっても、なに?それを「いいこと」って解釈しろってこと?」

いやいや、それができりゃ苦労しねーよ、ってなもんで(苦笑)


「全肯定」っていうと、要するに「ポジティブ思考」のことと思われがちやけど、どうやらそういう話じゃないよね。

むしろ逆かも。


☆ポジティブ思考は“書き換え”の“技術”

じゃあ一般的なポジティブ思考ってどういうことかというと、ざっくりこういう仕組み。

出来事が起きる

何かしらの嫌な意味がつく

その意味づけを変える

前向きな出来事にする

例えば、

落ち込んだ
→ 成長のチャンス!

失敗した
→ 学びになった!

とかとか。

ていうかこんな話、とっくに耳タコやな(笑)。


まぁちゃんと身につければ、そこそこ役には立つ。

気持ちも楽になる、行動力も上がる。

これは確か。

でもどうやろ。

同時に疲れる人が出てくるんちゃうかな。。

しかもわんさか。

これ、なんでなんやろ?

それはたぶん、一度湧いた感情が消えてないからやろね。

言ってしまえばポジティブ思考は、“ごまかし”の技術やから。

“上書き”の技術とも言えるかな。

どこかに無理があるのがポジティブ思考って代物。


☆人がしんどい理由は「二重苦」

例えばそう、怒りが湧いたとする。

すると、思考や感情はどう動くかというと?

腹が立つ

「怒る自分は未熟やから・・・」と責める

嫉妬する

「こんな自分じゃダメ・・・」と否定する

怖い

「弱い自分は恥ずかしい・・・」と隠す


元々のしんどい出来事に、“自己否定”が追加される感じ?

「自分に二の矢を放つ」なんて言い方もするけど、これがしんどさの正体なんよね。

だからほとんどの人は、現実の出来事に苦しんでいるんじゃなくて、自分を嫌って苦しんでるってこと。

なんとなくわかるよね、この構造。


☆全肯定は「好きになること」じゃない

じゃあ冒頭の「すべてを肯定する」の真意はというと?

それは、嫌いなものを好きになることじゃない。

なんでも前向きに解釈することでもない。

ただ、

排除しない

それだけ。

まっつんスタイルはそう考える。


嫌い → 嫌いでいい
怒り → 怒りでいい
嫉妬 → 嫉妬でいい
不安 → 不安でいい

伝わるかな?

何でもかんでも正当化するのとは違う。

あきらめるとか我慢するとも違う。

ただ、存在を認める。

受容するとか折り合うに近いかな。

これが真の「全肯定」。


すると何が起きるかというと?

感情が前向きになれるとかじゃなくて、物事が抵抗なく自然に流れ始める。

そんな感覚になれるんよね。


☆禅は「ポジティブになれ」とは言わない

気づいた人もおるかもしれんけど、これって「禅」なのよね。

禅の態度。

禅の態度って、めっちゃシンプル。

良い悪いを“足さない”
排除もしない
ただ観る

それだけ。

不思議なことに、この方が心は落ち着く。

なんでかっていうと、抵抗がなくなるから。

これはもう体験して体感してくれとしか言いようがないけど、ホント。

だから、声に出してみるとかいいかもね。

なんかあった時に、「出来事と感情の動きを、だた観る」とね。


☆だから人は動ける

ポジティブ思考は、「前を向こうとする力」ではある。

ただこれは乱暴に言うと、その場しのぎのテクニックになりかねない。

人によって向き不向きがあるし、限界もある。

自分に嘘をつく行為に等しいからね。


一方全肯定は、「思考や行動を止めている力を抜く営み」。

これもまぁ言ってみれば技術かもしれん。

感覚に慣れるまでに時間もかかる。

けど、ポジティブ思考より確実で、なによりラク。


人は意外と、前進しようとがんばるより、フッとブレーキも緩めた方が動けたりするものでね。


☆まっつんスタイルZEN的まとめ

ポジティブ思考
→ 世界を書き換える

全肯定
→ 世界と戦わない

この二つ、似てるようで違う。

これがまっつんスタイル。


だから「全部いい」は、全部を好きになることじゃない。

「嫌いも、腹立つも、ここにあっていい」と許すこと。

人生が前向きになるというより、余計な抵抗が止まって前に流れるイメージ。


“ラクに生きる”って、必ずしも明るく前向きになることじゃなくてね。

無用な抵抗をやめることだったりするわけ。

それが「全てを肯定して生きる」ってこと。

ただそれだけの話☆


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