シロッコの天才論の是非 〜「世界を動かせる」と「世界の正解を知っている」は違う〜


最近、ずっと観てきた『Ζガンダム』も、いよいよクライマックス。

いやぁ、人間関係がずっとグジャグジャ(笑)。

カミーユも、ファも、

シャアも、ハマーンも、

エマも、レコアも、

サラも、カツも、

みんなそれぞれ、めんどくさい(笑)。

そんな中、最後の最後、圧倒的存在感を増してくるのが、パプテマス・シロッコ。

能力は抜群。

頭も切れる。

人心掌握の達人。

ある種のカリスマ。

自分が優秀であることを、本人が一番よく知ってる(笑)。

そして物語終盤、シロッコが言い放つ、彼の思想を象徴するようなセリフ。

「常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

これ言えちゃう神経がすごいし、シロッコが言うと、説得力がえぐい(笑)。

で、まっつんスタイルは思うのよ。

「・・いやこれ、けっこう正しい」

って(笑)。

「人はみな平等」

もちろん、人間の尊厳という意味ではそうなんやろう。

「でも、能力まで全員平等か?」

って言われれば、そんなわけない。

めちゃくちゃ頭の切れる人がおる。

異常な創造性を持ってる人がおる。

誰にも見えてないものが見える人がおる。

ものすごい行動力で、何かを一気に前へ進めてしまう人もおる。

歴史を振り返ってみても、

科学。

技術。

芸術。

思想。

政治。

いろんな場面で、時代を大きく変えた「突出した人間」がいる。

もちろん、一人だけの力で世界が変わるわけじゃないのはそう。

でも、

「これ、できんちゃう?」

って、最初に扉を開ける人は、案外“いわゆる”一握りの天才なんやと、まっつんスタイルも思う。

だから、

「世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

これ、まっつんスタイルは、半分どころか半分以上は、

「まぁ、そうやろな」

って、正直思ってる(笑)。

で、別に、それが悪いこととも、おかしなこととも思わん。

「そういうもんやろ」

と。

考えてみたら、俺らは毎日、

“どっかの天才と呼ばれる人が変えた世界”

で暮らしてる。

例えば科学。

電気。

飛行機。

自動車。

冷蔵庫。

エアコン。

インターネット。

スマートフォン。

あるいは医学。

俺らは普通に使ってるけど、その原理を全部説明できる人なんて、ほとんどおらん(笑)。

少なくとも、まっつんスタイルには無理。

エアコンの仕組みを知っただけで、

「え? 熱を外へ運んでるん? 知らんかった!」

って感動して、ブログ記事一本書いてるくらいやから(笑)。

でも昔、誰かが考えた。

誰かが発見した。

誰かが、

「こんなことできるんちゃう?」

って思った。

そこから世界が変わっていった。

そういう意味ではやっぱり、シロッコの言ってることは分かる。

天才とは、セロからイチを生み出す人。

さっき書いたのは、あくまでか科学の世界の一例。

世の中は基本的に、

“何かの能力が傑出した少数の人間によって動いてる”

事実がある。

ただし、天才一人だけで文明ができるわけでもない。

発見した人がおる。

改良した人がおる。

設計した人がおる。

作った人がおる。

運んだ人がおる。

売った人がおる。

修理する人がおる。

そして、それを使う人がおる。

だから、

「天才“だけ”が世界を作ってる」

も、ちょっと違う。

天才が扉を開く。

そこへ、たくさんの普通の人たちが入っていって、道を作り、家を建て、街にする。

そんな感じなんかもしれない。

「天才が世界の扉を開き、凡人がそこを街にする」

うん。

これくらいの認識でちょうどいい(笑)。

じゃあ、先のシロッコのセリフ。

なんか問題ある?

「一握りの天才が世界を動かしてきた」

ここまでは、まぁいい。

でもシロッコは、そこから一歩踏み込む。

「優れた人間が、世界を導くべきだ!」

そして当然、その“優れた人間”の側に、自分自身を置いてる。

要するに、

「世界は優秀な人間が導くべき」

「ちなみに、その優秀な人間ってのは俺のこと」

「お前ら凡人はそれに従えばいい」

ってこと(笑)。

いや、そうなると話が変わってこん?

シロッコのセリフに、どこか“怖さ”を感じるのは、たぶんここの部分。

頭がいい。

能力が高い。

人より遠くまで見通せる。

人を惹きつける魅力がある。

全ては天才的才能。

でも、

「だから、多くの人を導く資格がある」

は、別の話ちゃう?

さらに、

「俺には人類を“正しい方向へ”導く使命がある」

まで行くと、かなり怖い。

「え? なにそれ? 誰に頼まれたん?」

神?

宇宙?

ニュータイプ?

ていうかそれ・・・、自分がそう思っとるだけやろ(笑)。

この、

“天才の謎の使命感”。

これがなかなか危うい代物。

「俺ってこれが得意ですねん」

くらいならいい。

「こんなものを作りたいねん」

もいい。

「この問題を解決したいねん」

も。

「こういう社会の方が良いと思うねん」

これも全然いい。

でも、いつの間にか、

「大衆は、何も分かってない愚か者」

「しかし、私には分かる」

「だから私が導いてやらねばならない!」

になってしまう。

こうなると、急に新興宗教の教祖っぽい(笑)。

しかも、厄介なのは、

「“俺のために”従え!」

じゃないこと。

そんなやつなら、まだ分かりやすい。

「あ、イタい独裁者(笑)」

で済む。

人は寄りつかん。

怖いのは、

「あなたたちのためです」

って言い始めるやつ。

「あなたたちは分かってない」

「でも私は分かってる」

「あなた自身より、あなたにとって“何が正しいのか”を、私は知ってる」

「だから私に任せなさい」

・・・ね?

怖い怖い(笑)。

本人が本気で善意やったら、なおさら怖い。

完全に「カルト」の萌芽。

だから問題は、天才が世界を動かすことじゃない。

能力の高い人が、大きな影響力を持つことでもない。

「世界を動かせる」と「世界の正解を知ってる」を混同すること。

ここなんやと思う。

天才は、普通の人より遠くまで見えるんかもしれん。

でも、

世界のすべてが見えるわけじゃない。

天才も間違える。

専門家も間違える。

リーダーも間違える。

ニュータイプだって、間違える(笑)。

人より優れてることと、“人間を超越してる”こととは、全く別もの。

とはいえ、や。

ここは『まっつんスタイル』。

「だから、優秀な人間は信用したらあかん!」

っていう話でもない。

それは極端。

まっつんスタイルは、いついかなる時も極端には走らない。

優秀なリーダーには決断してもらいたい。

専門家には、専門知識を使ってもらいたい。

研究者には、俺らには理解できんところまで行ってもらいたい。

飛行機を作る時に、

「人間はみんな平等なんで、翼の設計も多数決で決めましょう」

とはならん(笑)。

そんな飛行機、絶対乗りたくない。

だから、

エリートが悪いわけじゃない。

権力が悪いわけでもない。

リーダーシップも必要。

一握りの天才が世界を大きく変えることも、たぶんこれから何度もある。

ただ、

人に影響を与えることと、

人を所有すること。

そこには、太い太い一本の境界線があるんやと思う。

でも、そう考えていくと、だんだん分からんようになってくる(笑)。

天才も間違える。

大衆も間違える。

専門家も間違える。

政治家も間違える。

多数決だって間違える。

科学も万能じゃない。

宗教も、

思想も、

資本主義も、

民主主義も、

何かを救うこともあれば、別の問題を生むこともある。

もう、

グジャグジャ(笑)。

「誰か正解知ってる人、おらんの?」

って言いたくなる。

すると、

「私が知ってる」

と、シロッコ的な、自意識が肥大化したバケモノが出てくる(笑)。

・・・いや、やっぱ怖い。

どうしよ?

ひょっとすると、

人間社会って、この“グジャグジャ”を消そうとしすぎると危ないんかもしれんね。

人によって価値観が違う。

正義も違う。

能力も違う。

欲望も違う。

意見がぶつかる。

揉める。

間違える。

反省する。

また揉める(笑)。

めちゃくちゃ非効率。

でも、その非効率さって、いろんな人間が一緒に生きるために必要な余白なんかもしれん。

グジャグジャを全部整理しようとすれば、誰かが、

「とりあえず、これが正解で」

って決めんとあかんくなる。

で、、

「じゃあ俺が決める」

っていう人間が現れる。

シロッコの怖さって、世界のグジャグジャを“俺の正解”で整理してしまおうとするところなんかもしれん。

それってつまり、他人が考えたり、迷ったり、間違えたりする余白まで奪ってしまう怖さ。

そしてここで、まさかのZEN(笑)。

禅って、

「世界を完璧にしましょう」

じゃない。

世界は思い通りにならない。

他人も思い通りにならない。

そしてなにより、自分自身すら、ろくに思い通りにならん(笑)。

それを、

「こうあるべき!」

「こんなの間違ってる!」

と全部整理しようとするんじゃなく、

まず、

「あぁ、グジャグジャやな」

と見る。

“観る”。

それはそれとして、自分にできることはやる。

目の前の人は大切にする。

良くできるところは良くする。

間違ったら直す。

優れた人がおったら学ぶ。

天才が便利なものを作ってくれたら、ありがたく使わせてもらう(笑)。

でも、その人を神にはしない。

そして、自分がちょっと人より何かできたからって、自分も神にならない。

人類を完成させようとしない。

でも、

自分のいる場所くらいは、少し良くする。

極端に振れない。

世界を固定しない。

一握りの天才を盲信しない。

まっつんスタイルZEN。

これくらいのスタンスが、天才と凡人のいい関係?

改めて、

「常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

っていうシロッコの名言。

というか「放言」?

でもやっぱり、まっつんスタイルは半分以上納得(笑)。

天才はおる。

能力差はある。

突出した人間が世界を大きく動かすこともある。

それでいい。

というか、たぶんそういうもん。

でも、

天才は世界を動かせる。

だからといって、

天才が世界の正解を知ってるわけじゃない。

そこを勘違いすると、天才はいつの間にか、破壊者たる“教祖”になる。

世界はこれからも、天才が扉を開ける。

凡人がそこを通り、道を作り、街にする。

で、誰かが、

「いや、それは違うんじゃね?」

って文句を言い出す。

誰かが失敗し、

誰かが修正し、

その過程で、また別の天才が現れて、また世界をひっくり返す。

そんな感じで、グジャグジャと回っていくんやろう(笑)。

完璧な世界なんて、たぶん来ない。

でも、それでええやん。

というわけでシロッコ。

天才論までは、けっこう肯定的。

でも、

「だから俺に任せろ」

までいくと、やっぱ怖い。

世界を動かすのはええ。

でも、「傍から見ているだけで、人を弄んで」はいかん(笑)☆


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