シロッコの天才論の是非 〜「世界を動かせる」と「世界の正解を知っている」は違う〜


最近、ずっと観てきた『Ζガンダム』も、いよいよクライマックス。

いやぁ、人間関係がずっとグジャグジャ(笑)。

カミーユも、ファも、

シャアも、ハマーンも、

エマも、レコアも、

サラも、カツも、

みんなそれぞれ、めんどくさい(笑)。

そんな中、最後の最後、圧倒的存在感を増してくるのが、パプテマス・シロッコ。

能力は抜群。

頭も切れる。

人心掌握の達人。

ある種のカリスマ。

自分が優秀であることを、本人が一番よく知ってる(笑)。

そして物語終盤、シロッコが言い放つ、彼の思想を象徴するようなセリフ。

「常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

これ言えちゃう神経がすごいし、シロッコが言うと、説得力がえぐい(笑)。

で、まっつんスタイルは思うのよ。

「・・いやこれ、けっこう正しい」

って(笑)。

☆

「人はみな平等」

もちろん、人間の尊厳という意味ではそうなんやろう。

「でも、能力まで全員平等か?」

って言われれば、そんなわけない。

めちゃくちゃ頭の切れる人がおる。

異常な創造性を持ってる人がおる。

誰にも見えてないものが見える人がおる。

ものすごい行動力で、何かを一気に前へ進めてしまう人もおる。

歴史を振り返ってみても、

科学。

技術。

芸術。

思想。

政治。

いろんな場面で、時代を大きく変えた「突出した人間」がいる。

もちろん、一人だけの力で世界が変わるわけじゃないのはそう。

でも、

「これ、できんちゃう?」

って、最初に扉を開ける人は、案外“いわゆる”一握りの天才なんやと、まっつんスタイルも思う。

だから、

「世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

これ、まっつんスタイルは、半分どころか半分以上は、

「まぁ、そうやろな」

って、正直思ってる(笑)。

で、別に、それが悪いこととも、おかしなこととも思わん。

「そういうもんやろ」

と。

☆

考えてみたら、俺らは毎日、

“どっかの天才と呼ばれる人が変えた世界”

で暮らしてる。

例えば科学。

電気。

飛行機。

自動車。

冷蔵庫。

エアコン。

インターネット。

スマートフォン。

あるいは医学。

俺らは普通に使ってるけど、その原理を全部説明できる人なんて、ほとんどおらん(笑)。

少なくとも、まっつんスタイルには無理。

エアコンの仕組みを知っただけで、

「え? 熱を外へ運んでるん? 知らんかった!」

って感動して、ブログ記事一本書いてるくらいやから(笑)。

でも昔、誰かが考えた。

誰かが発見した。

誰かが、

「こんなことできるんちゃう?」

って思った。

そこから世界が変わっていった。

そういう意味ではやっぱり、シロッコの言ってることは分かる。

天才とは、セロからイチを生み出す人。

さっき書いたのは、あくまでか科学の世界の一例。

世の中は基本的に、

“何かの能力が傑出した少数の人間によって動いてる”

事実がある。

☆

ただし、天才一人だけで文明ができるわけでもない。

発見した人がおる。

改良した人がおる。

設計した人がおる。

作った人がおる。

運んだ人がおる。

売った人がおる。

修理する人がおる。

そして、それを使う人がおる。

だから、

「天才“だけ”が世界を作ってる」

も、ちょっと違う。

天才が扉を開く。

そこへ、たくさんの普通の人たちが入っていって、道を作り、家を建て、街にする。

そんな感じなんかもしれない。

「天才が世界の扉を開き、凡人がそこを街にする」

うん。

これくらいの認識でちょうどいい(笑)。

☆

じゃあ、先のシロッコのセリフ。

なんか問題ある?

「一握りの天才が世界を動かしてきた」

ここまでは、まぁいい。

でもシロッコは、そこから一歩踏み込む。

「優れた人間が、世界を導くべきだ!」

そして当然、その“優れた人間”の側に、自分自身を置いてる。

要するに、

「世界は優秀な人間が導くべき」

「ちなみに、その優秀な人間ってのは俺のこと」

「お前ら凡人はそれに従えばいい」

ってこと(笑)。

いや、そうなると話が変わってこん?

シロッコのセリフに、どこか“怖さ”を感じるのは、たぶんここの部分。

☆

頭がいい。

能力が高い。

人より遠くまで見通せる。

人を惹きつける魅力がある。

全ては天才的才能。

でも、

「だから、多くの人を導く資格がある」

は、別の話ちゃう?

さらに、

「俺には人類を“正しい方向へ”導く使命がある」

まで行くと、かなり怖い。

「え? なにそれ? 誰に頼まれたん?」

神?

宇宙?

ニュータイプ?

ていうかそれ・・・、自分がそう思っとるだけやろ(笑)。

☆

この、

“天才の謎の使命感”。

これがなかなか危うい代物。

「俺ってこれが得意ですねん」

くらいならいい。

「こんなものを作りたいねん」

もいい。

「この問題を解決したいねん」

も。

「こういう社会の方が良いと思うねん」

これも全然いい。

でも、いつの間にか、

「大衆は、何も分かってない愚か者」

「しかし、私には分かる」

「だから私が導いてやらねばならない!」

になってしまう。

こうなると、急に新興宗教の教祖っぽい(笑)。

☆

しかも、厄介なのは、

「“俺のために”従え!」

じゃないこと。

そんなやつなら、まだ分かりやすい。

「あ、イタい独裁者(笑)」

で済む。

人は寄りつかん。

怖いのは、

「あなたたちのためです」

って言い始めるやつ。

「あなたたちは分かってない」

「でも私は分かってる」

「あなた自身より、あなたにとって“何が正しいのか”を、私は知ってる」

「だから私に任せなさい」

・・・ね?

怖い怖い(笑)。

本人が本気で善意やったら、なおさら怖い。

完全に「カルト」の萌芽。

☆

だから問題は、天才が世界を動かすことじゃない。

能力の高い人が、大きな影響力を持つことでもない。

「世界を動かせる」と「世界の正解を知ってる」を混同すること。

ここなんやと思う。

天才は、普通の人より遠くまで見えるんかもしれん。

でも、

世界のすべてが見えるわけじゃない。

天才も間違える。

専門家も間違える。

リーダーも間違える。

ニュータイプだって、間違える(笑)。

人より優れてることと、“人間を超越してる”こととは、全く別もの。

☆

とはいえ、や。

ここは『まっつんスタイル』。

「だから、優秀な人間は信用したらあかん!」

っていう話でもない。

それは極端。

まっつんスタイルは、いついかなる時も極端には走らない。

優秀なリーダーには決断してもらいたい。

専門家には、専門知識を使ってもらいたい。

研究者には、俺らには理解できんところまで行ってもらいたい。

飛行機を作る時に、

「人間はみんな平等なんで、翼の設計も多数決で決めましょう」

とはならん(笑)。

そんな飛行機、絶対乗りたくない。

だから、

エリートが悪いわけじゃない。

権力が悪いわけでもない。

リーダーシップも必要。

一握りの天才が世界を大きく変えることも、たぶんこれから何度もある。

ただ、

人に影響を与えることと、

人を所有すること。

そこには、太い太い一本の境界線があるんやと思う。

☆

でも、そう考えていくと、だんだん分からんようになってくる(笑)。

天才も間違える。

大衆も間違える。

専門家も間違える。

政治家も間違える。

多数決だって間違える。

科学も万能じゃない。

宗教も、

思想も、

資本主義も、

民主主義も、

何かを救うこともあれば、別の問題を生むこともある。

もう、

グジャグジャ(笑)。

「誰か正解知ってる人、おらんの?」

って言いたくなる。

すると、

「私が知ってる」

と、シロッコ的な、自意識が肥大化したバケモノが出てくる(笑)。

・・・いや、やっぱ怖い。

どうしよ?

☆

ひょっとすると、

人間社会って、この“グジャグジャ”を消そうとしすぎると危ないんかもしれんね。

人によって価値観が違う。

正義も違う。

能力も違う。

欲望も違う。

意見がぶつかる。

揉める。

間違える。

反省する。

また揉める(笑)。

めちゃくちゃ非効率。

でも、その非効率さって、いろんな人間が一緒に生きるために必要な余白なんかもしれん。

グジャグジャを全部整理しようとすれば、誰かが、

「とりあえず、これが正解で」

って決めんとあかんくなる。

で、、

「じゃあ俺が決める」

っていう人間が現れる。

シロッコの怖さって、世界のグジャグジャを“俺の正解”で整理してしまおうとするところなんかもしれん。

それってつまり、他人が考えたり、迷ったり、間違えたりする余白まで奪ってしまう怖さ。

☆

そしてここで、まさかのZEN(笑)。

禅って、

「世界を完璧にしましょう」

じゃない。

世界は思い通りにならない。

他人も思い通りにならない。

そしてなにより、自分自身すら、ろくに思い通りにならん(笑)。

それを、

「こうあるべき!」

「こんなの間違ってる!」

と全部整理しようとするんじゃなく、

まず、

「あぁ、グジャグジャやな」

と見る。

“観る”。

それはそれとして、自分にできることはやる。

目の前の人は大切にする。

良くできるところは良くする。

間違ったら直す。

優れた人がおったら学ぶ。

天才が便利なものを作ってくれたら、ありがたく使わせてもらう(笑)。

でも、その人を神にはしない。

そして、自分がちょっと人より何かできたからって、自分も神にならない。

人類を完成させようとしない。

でも、

自分のいる場所くらいは、少し良くする。

極端に振れない。

世界を固定しない。

一握りの天才を盲信しない。

まっつんスタイルZEN。

これくらいのスタンスが、天才と凡人のいい関係?

☆

改めて、

「常に世の中を動かしてきたのは、一握りの天才だ!」

っていうシロッコの名言。

というか「放言」?

でもやっぱり、まっつんスタイルは半分以上納得(笑)。

天才はおる。

能力差はある。

突出した人間が世界を大きく動かすこともある。

それでいい。

というか、たぶんそういうもん。

でも、

天才は世界を動かせる。

だからといって、

天才が世界の正解を知ってるわけじゃない。

そこを勘違いすると、天才はいつの間にか、破壊者たる“教祖”になる。

☆

世界はこれからも、天才が扉を開ける。

凡人がそこを通り、道を作り、街にする。

で、誰かが、

「いや、それは違うんじゃね?」

って文句を言い出す。

誰かが失敗し、

誰かが修正し、

その過程で、また別の天才が現れて、また世界をひっくり返す。

そんな感じで、グジャグジャと回っていくんやろう(笑)。

完璧な世界なんて、たぶん来ない。

でも、それでええやん。

というわけでシロッコ。

天才論までは、けっこう肯定的。

でも、

「だから俺に任せろ」

までいくと、やっぱ怖い。

世界を動かすのはええ。

でも、「傍から見ているだけで、人を弄んで」はいかん(笑)☆


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