☆これはそのへんの「お坊さん」の話じゃない
“変な坊さん”大好き、まっつんスタイル(笑)。
今日は、あの円空(えんくう)さんのお話。
☆
正直な話、円空さん、“変な坊さん”どころの話ちゃうのよね。
・坊主以前
・思想以前
・言葉以前
なんていうか、
祈りが、身体からあふれ出ちゃった人
って感じ。
ついでに円空さん、いわゆる「立派な僧侶」ってわけでもない。
円空さんって、荒々しい木彫りだけ見てると、
「理屈なんか知らん」
「彫る、祈る、歩く」
そんな“野生の坊さん”にも見える(笑)。
☆
ところが調べてみると、そんな単純でもなかった。
経典の修復にも関わり、和歌も大量に残してる。
意外とめっちゃ知的(笑)。
それでも最終的な表現が、
あの荒々しい「円空仏」。
つまり、
「知らないから削った」んじゃない
「知ったうえで、削っていった」
んかもしれん。
☆
それでも、
たしかに“仏”がそこにいる。
というか、
「あなたが仏さま?」
それが、円空さん。
☆略歴|円空さんって何者?
円空さん。
いろいろよくわからんことが多い、謎の坊主。
とりあえず、江戸時代前期の仏師。
・1632年に美濃国(現在の岐阜県)生まれ
・真言系の僧らしいけど、宗派的にはほぼ独立?
・寺に定住せず、全国を放浪
・山や村、海辺を歩き続ける
・生涯に12万体の造仏を発願したとも、12万体を彫ったとも伝えられる
・現在確認されている円空仏は約5,000〜5,400体
・1695年に没
白隠さんの「10,000点の禅画」と並ぶ、
狂気の量産系。
なんかもうムチャクチャ。
あまりの多さに、「ヤフオクで売られてる?」なんて噂も(笑)。
☆
円空さんは、
寺も、
弟子も、
体系も残さなかった。
残したのは、
削られた木と、そこに残った気配だけ・・・。
☆円空さんの変人ぶり
☆①|仏像が全部「なたとのみ」
「円空仏」は、鉈(なた)や鑿(のみ)を自在に駆使したと言われてる。
まぁこれも諸説あるらしいけど、少なくとも、現代的な道具を使えなかったことは間違いない。
彫り跡はゴリゴリに残り、
左右非対称は当たり前で、
顔も形も歪んでいる?
正直、“雑”(笑)。
ごめんけど、小学生の作品にすら見える。
が——
異様に“仏”を感じる不思議
☆
これ、要するに、
「うまく彫れなかった」
んじゃない。
初期の円空仏を見ると、ちゃんと細部まで作り込んだ像もある。
なのに後年、どんどん削ぎ落とされていく。
つまり円空さん、
“下手だから荒い”んじゃなく、“荒いところまで行った”
ってことなんかもしれん。
これ、なんかめちゃくちゃカッコいい(笑)。
“うまさ”を捨てて、 核心だけを掴みにいってる
って、そういうことやと思う。
☆②|「完成」という概念がない
「円空仏」は、
・なんか未完成っぽい
・やたら荒い
・途中でやめたようにしか見えない・・・
でもこれ、円空さんにとっては違ったはず。
掘った瞬間に、もう仏は出てきとる
たぶんそんな感覚。
仕上げ?
磨き?
シンメトリー?
「そんなもん、煩悩やん」
完成度じゃなく、
通過点としての祈り。
「祈りの通過点」としてしか、どうやら見てない(笑)。
☆③|祈り × 生活 × 即興
各地を巡り、
その土地の木を使いながら、
人々のために神仏像を彫り残していった。
その姿を想像すると、まっつんスタイルには、
“置いていく人”
に見える。
「これ、円空作ですねん」
みたいな、そんな主張は、ゼロ。
評価も、
名声も、
所有も、
全部置いていく。
この尊さ。
400年くらい前の日本に、こんな変な坊さんがおった。
そう思うと、まっつんスタイルなんかは、涙が出そうになるけどね。
☆④|仏像 = 芸術じゃない?
もちろん今では、「円空仏」という立派な美術作品として鑑賞されてる。
それはそれでいい。
でも円空さん本人に、
「先生、この作品の芸術的コンセプトは?」
とか聞いたら、
「知らん。祈っとるんや」
とか言いそうな気がする(笑)。
まっつんスタイルには、円空仏って、
“作品”というより、“祈りの残骸”
に見えるんよね。
だから量産できる。
執着がない。
軽い。
☆
「芸術品として高く評価されている」とか、「円空美術展開催」とか、まぁ別にええ。
別にええねんけど、
「実は本質からズレてるかもねぇ?」
って、まっつんスタイルは思う。
まぁ別にええけど(笑)。
☆白隠さん・仙厓さんとの違い(まっつんスタイル的・おもろポイント)
| 人物 | 特徴 |
|---|---|
| 白隠 | 思想体系 × 教育 × 書き散らかし |
| 仙厓 | ユーモア × 皮肉 × 禅画 |
| 円空 | 祈り × 身体 × 即興 |
円空さんは、
- 言葉の手前
- 思想の手前
- 宗派の手前
なんていうか、宗派や理屈より前にある、
“祈る人”そのもの。
ホンマ比喩じゃなしに、
“存在自体が仏さま”。
☆まっつんスタイル的・“円空哲学”の抽出
じゃあこの“変人”円空さんから、まっつんスタイルは何を学ぼう?
抜けてくるエッセンスを抽出。
① うまくやるな。核心を掴め
→ モテも、ブログも、生き方も同じ。
ええかっこしようとか、スマートにこなそうとかじゃなしに、
何がホンマに大事なんかを掴め。
② 完成とか目指すな。置いていけ
→ ブログ記事も、人間関係も、自分の人生さえも。
「完成さそう」なんてのは傲慢。
こだわりなんか捨てて、次々置いていけばいい。
③ 所属しない = 自由
→ 肩書き、派閥、ジャンルからの離脱。
「何者かになろう」とか、もうええから。
“世間の価値”から自由でいようぜ。
④ 「エロさ」は「荒さ」
→ 整えすぎると、色気は死ぬ。
整えすぎない「荒さ」こそ「エロさ」。
“ありのまま”立て。
☆整えすぎると、生命が消える
円空仏には、鑿の跡が残ってる。
木だった頃の形も残ってる。
左右も完全には揃ってない。
つまり、作った痕跡を隠してない。
これって、人間も同じかもしれんよね。
欠点を全部消して、
言葉を全部整えて、
角を全部丸くして、
「正しい人」に仕上げていくと、
なんか知らんけど、生命まで消える(笑)。
少しくらい、鑿跡は残ってる方がいい。
まっつんスタイルの言葉で言えば、
荒さは、生命の痕跡
その生命感こそが、ときどき「色気」と呼ばれるものなんちゃうかなと。
☆エロモテZEN的・円空さん
円空さんのエロス。
縁遠いようで、実はある。
まっつんスタイル的にはこう。
・言い訳しない
・説明しない
・主張しない
ただ、“在る”
ZEN的やねぇ。
これ、まつんスタイルが目指す、
「年齢不詳系・静かな色気」の完成形。
うまく見せようとしない男は、なぜか、忘れられないもん。
☆削った先に、残るもの
円空さんは、
僧というより、
アーティストというより、
変人?
いや、変人というより、
“仏が通った痕跡”みたいな人
まっつんスタイルが惚れるの、めちゃ自然(笑)。
☆
「磨く。でも鑿跡まで消すな」
円空は、雑だったんじゃない。
削りすぎた先に、
“雑に見える境地”まで行ったのかもしれん。
☆
円空さんは、足さない。
削っただけ。
削った先に、仏が残った。
円空さん。
削り出された、祈りの人☆


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