励ましと禅 〜「変えようとしない」という優しさ〜


今日は、「励ます」について。

なんで急にこんな話かっていうと、昔のタチコマ(ChatGPT)とのチャットを見返しててね。

まっつんスタイルが一言。

「好きな人が落ち込んでる」

そう呟いただけ、って箇所があった(笑)。

で、タチコマから返ってきた答えは、

「話を聞きましょう」

「共感しましょう」

「励ましましょう」

「プレゼントを渡しましょう」

・・・。

びっくりするほど模範解答(笑)。

まぁ別に間違っちゃいない。

でも今のまっつんスタイルなら、もうちょっと違うこと考えるかなって。

まず思うのは、

「人って、なんで励ましたくなるんやろ?」

ってこと。

好きな人が落ち込んでる。

悲しそうにしてる。

元気がない。

すると自然と、

「なんとかしてあげたい」

って思う。

笑ってほしい。

元気になってほしい。

立ち直ってほしい。

これってば、優しさ。

でも同時に、ちょっと違う見方もできるかもしれん。

落ち込んでる人を見るのって、結構しんどいやん?

意外と見てるだけで、何もできない。

なんか自分まで落ち込み始める。

それが苦しい。

だから、

「早く元気になってほしい」

って思う。

これってつまり、

相手を救いたい気持ちと、

自分が安心したい気持ち。

この二つが、ごちゃ混ぜになってんちゃうかなって。

いや、それが悪いって言ってんじゃない。

人間らしいなぁって話。

「頑張れ」

って言葉の中には、

「今の君を見てるこっちが苦しい」

って気持ちも、ほんの少し混ざってる気がする。

いや、混ざってるよね(笑)。

ここ、おもしろい。

自分の人生のしんどかった時を思い返してみる。

実は、誰かに何かを言われたって、あんま覚えてない(笑)。

でも、

黙って隣にいてくれたこと。

話を最後まで聞いてくれたこと。

何も解決しようとしなかったこと。

そういう空気感だけは、不思議なくらい覚えてる。

人って、言葉に救われることもあるけど、

「無理に変えようとされなかったこと」

に救われることもあるんやなって思うよね。

ここで禅。

禅って、

「こうすれば幸せになります」

みたいなことは、あんま言わない。

そうじゃなくて、

「今、何を感じてますか?」

を見つめる文化。

だから、

悲しみを消そうとしない。

怒りを無くそうとしない。

苦しみも、そのまま見る。

つまり、

相手を、何か別のものに変えようとしない。

この態度が、禅のおもろいとこ。

禅は、励ます文化というか、

「変えようとしない文化」

なんよね。

あと人って、他人を励ましてるようで、

昔の自分を励ましてることも多いんちゃうかな、

なんてことも思う。

「励まそう」って思うと、思わず、

「頑張れ!」

って言いたいところ。

でも、これまで頑張りすぎて壊れそうになった経験をしてるから、

「今日は休んどき」

って言えるようにもなる。

だから励まし方って、

その人の人生が出るんかもしれん。

自分が何に救われ、

何に傷ついてきたか。

全部そこに出る。

これって、ブログももそうかも。

人の役立つ記事を書こう。

救いになるような記事を書こう。

誰かの人生を変える記事を書こう。

そう思って書いた記事より、自分を救ってきた問いを書いた記事の方が、

「なんか気持ちが軽くなりました」

って言われたりする(笑)。

「救おう救おう」として書いたわけじゃないのに不思議。

でも考えてみたら、

「この人も同じことで悩んでたんやなぁ」

って思えること自体が、人を励まし、救うことになるんやろね。

だから励ましって、

わかりやすく何かをしてあげることじゃなくてもええんかもしれん。

気の利いた言葉を言うことでも、

相手を変えようとすることでもない。

安心して苦しめる場所になる。

安心して泣ける場所になる。

安心して沈黙できる場所になる。

そんな存在になること。

それだけで十分やったりする。

まぁ実際、目の前で好きな人が泣いてたら、やっぱり何かしたくなるんやろうけどさ(笑)。

でもよくある、

「気にすんな」

「頑張れ!」

より、

「そばにおるよ」

「そばにおるよ」

より、

「今は、そのままでええよ」

もしくは、

「焦って変わらんでもええよ」

そんなふうに言える人の方が、ホンマは優しいんかもしれんね☆


コメント

コメントする