永平寺はなぜ人を惹きつけるのか? 〜人生二度目の永平寺で感じたこと〜


今日は、先日、福井県の永平寺に行ってきた話。

今回で二度目。

福井市の中心部から、車で数十分走るだけ。

たったそれだけの距離。

でも不思議なもんで、近づくにつれ少しずつ、世界の空気が変わっていく。

地名も「永平寺町」(笑)。

俗世から異界へ。

いや、異界というより、「その間(あわい)」へ。

そんな感覚。

古より続く禅の道場。

永平寺って、そんなところ。

到着して、今回もまず思う。

永平寺前の一画は、なかなかにカオス(笑)。

昔ながらの土産屋。

やたら新しい土産屋。

大型観光バス。

普通の民家。

なんなら、謎の廃屋まである。

正直、美しいのか汚いのかよくわからん(笑)。

でもこの、時間が交錯した独特感が、なんとも日本的。

神聖な場所と生活の匂いが、自然に混じり合ってる。

「聖」と「俗」をきっちり分けない。

日本という国のおもしろさがモロに表れてるよね。

今回、妙に気になったのが、そこで働く人たち。

駐車場管理のおじさん。

食堂のおばちゃん。

子綺麗な土産物屋のお姉さん。

別に僧侶でもなんでもない、。普通の人。

でも、なぜか少しだけ仏様っぽく見える(笑)。

もちろん気のせい。

でもなんかそんな気になる。

たぶんこれ、毎日この空気の中で暮らしてるからなんかな。

京都人が持ってる感覚に少し似てる、かも。

特別なことが、特別でなくなってる雰囲気。

当たり前なんやけど、当たり前じゃない世界。

それが背景に存在してる暮らし。

そういう土地には、そこ特有の空気が宿る気がする。

そして、永平寺の門をくぐる。

自然と頭を垂れる(笑)。

すると、やっぱり空気が変わる。

ピンとした空気と、凛とした佇まい。

自然物と人工物が、見事に調和してる。

木々。

石畳。

長い回廊。

静寂。

整った建築。

ただ美しいってだけじゃない。

何かが整ってる。

何かが静かに調和してる。

ある種、“人が目指す理想の世界”が表現されてるよう。

そんな感覚。

なぜか背筋が伸びる。

別に誰かに見られてるわけじゃないのに(笑)。

スリッパに履き替え、建物に入る。

総合受付では、お坊さんがパソコン仕事をしてた。

失礼ながら、思わずプッと笑ってしまう(笑)。

でも、こういう光景を見るたびに思う。

「僧侶も意外と普通の人なんよね」

と。

飯も食う。

寝る。

仕事もする。

パソコンも触る。

悩みもあるし、腹が立つこともあるんやろう。

ただ違うのは、人生や世界を見つめてる時間が長いっていうこと。

「悟り」というものに対する理解が、普通人よりも少しだけ深いっていうこと。

まぁ極論やけど、大きく外れてはないと思う(笑)。

それくらいの理解の方が、仏教を身近に感じられる気がするしね。

今回、特に感動したのが、空間の美しさ。

建築。

仏像。

天井画。

回廊。

どれも無駄がない。

でも、質素なだけとも違う。

ちゃんと華やかさがある。

質朴と華美。

その絶妙なバランス。

見ているうちに、ふと思ったのが、もしかして仏教芸術って、

「自分と世界の境界が消えた状態」

を形にしたものなんかもしれんってこと。

自然と人工。

自分と他人。

内と外。

そういう区別が、少しずつ薄れていく。

永平寺全体が、そんな世界観を体現しているように見えた気がした。

目線を転じて、来訪者さん。

なんかちょっと不思議な顔ぶれ。

若い女性。

大学生くらいかな。

意外と多い。

あとは、乳飲み子を連れた若夫婦。

いや正直言うと、最初は、

「なんで来てるんやろ?」

って思ったのよね。

失礼な話やけど(笑)。

取り立てて禅に関心がありそうにも見えん。

仏教を深く学んでる・・・、とも思えん。

まぁでも考えたら、完全なる偏見(笑)。

これぞまさに、「ザ・見た目で判断してはいかん」ってやつ。

その逆の可能性って、普通にある。

それに、人は理解してから惹かれるとは限らんからね。

まず惹かれる。

あとから理由を探し、深める。

そんなこともある。

音楽もそう。

恋愛もそう。

芸術もそう。

たぶん禅も同じ。

永平寺には、理屈を飛び越えて人を引き寄せる何かがあるってこと。

そう考えれば、極めてナチュラル。

だから、老若男女が集まる。

ついでに洋の東西を問わず集まる(笑)。

それだけの話なんかもしれん。

今回、一番心を動かされたのは、初老の夫婦たち。

寄り添って、静かに歩く。

静かに眺める。

静かに、そして一心に手を合わせる。

病。

別離。

失意。

災害。

老衰。

人生にはいろんなことがある。

おそらく彼らも、嫌と言うほどそれを知ってる年代。

だからこそその姿が、やけに美しく見えた。

願い事をしてるとか、何かを求めてるとか、たぶんそういうことじゃない。

ただ静かに、この世界と折り合いをつけてる。

そしてたぶん、感謝してるんかもしれんとも思ったかな。

そんなふうに見えた。

それが妙に胸に響いてね。

なんか夫婦で、

「今度、永平寺にさんに行こか」

って話をしてる姿を思い浮かべるだけで、なぜか泣けてくる・・・(笑)。

少し前に、永平寺の雲水の体験記を読んだ。

ドキュメンタリーも観た。

正直、なかなかに意味不明の世界(笑)。

現代人から見たら、時代錯誤も甚だしい。

不合理で理不尽(なように感じられる)。

一般人には理解不能。

でも、それでも若者は永平寺の門を叩く。

俗世の自由を知りながら、

家族や友人と別れながら、

それでも修行の道を選ぶ。

「なんでなんやろ?」

たぶんそこには、よくある成功とか安心では表現できない、もっと根源的な何か。

人間の魂が求める何かがあるんやろう・・・。

永平寺ってきっと、答えをくれる場所じゃなんよね。

むしろ逆。

“問いを思い出させる場所”。

人生とは何か?

幸せとは何か?

祈りとは何か?

生きるとは何か?

そんな問い。

普段は忘れてしまう問い。

それを思い出させてくれる。

だから人は惹かれる。

女子大生も。

子供連れも。

初老の夫婦も。

雲水も。

みんな、それぞれの形で・・・。

人生二度目の永平寺。

永平寺はなぜ、人を惹きつけるのか。

建築が美しいから。

歴史があるから。

禅の総本山だから。

それぞれあるやろう。

でもたぶん、それだけじゃない。

俗世との間(あわい)で、人の祈りに触れられるから。

人生の重みと優しさに触れられるから。

そして、

「世界は美しい」

「この世は、まだまだ捨てたもんじゃない」

そう、少しだけ思わせてくれるから。

ちょっと臭いけど、そんな気がした(笑)。


というわけで、またいつか、行こう☆


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