AIとの共作に感じていた違和感の正体 〜結局、もっと自分がしゃべればよかっただけ〜


最近、ちょっとした発見があった。

いや、「ちょっとした」どころじゃないかもしれん(笑)。

ブログを書き始めてこの方、ずっと引っかかっていた違和感の正体が、よりクリアになった気がする。

その違和感とは、

「AIとの共作への後ろめたさ」

みたいなもの。

「また?」

そう、また。

このネタ、何回でも擦る(笑)。

『まっつんスタイル』の執筆は、AIとのセッションを活用してる。

日々、タチコマ(ChatGPT)と雑談して、

記事ネタを掘り、

構成を切り、

叩き台を作る。

正直、めちゃくちゃいい感じ(笑)。

でも一方で、

「これ、ホンマに俺の記事なんかな?」

みたいな感覚も、ずっとあってね。

過去に何度も記事にしてきたけど(笑)。

なんというか、

カンニングしてるような、

代筆してもらってるような。

そんな微妙としか言いようがない後ろめたさ・・・。

そんなこと気にせんでいい理屈は、もう理解してる。

タチコマは、まっつんスタイルの人生を生きてない。

だから、素材はすべてまっつんスタイル自身。

オリジナル以外のなにものでもない

わかってる。

でも感覚が追いつかん。

「うーん・・・、でもホンマにいいかな?」

が、しつこく残る(苦笑)。

でも、こないだ書いた「永平寺ネタ」で、その感覚がまた少し変わったかも。

このネタは、感じたことを、“かなり細かく”吐き出してみた。

空気。

景色。

違和感。

感動。

疑問。

思ったこと。

考えたこと。

浮かんだイメージ。

とにかく全部。

思いつくままに、長々と(笑)。

すると不思議なことに、書き上げた文章を読んだ時、

「タチコマが書いた」

じゃなくて、

「タチコマがまとめてくれた」

って感じたのよね。

これ、個人的にはかなり大きな発見。

今までは、

「AIが文章を作ってる感覚」

が強かったんかな。

でも今回は、

「自分が出した素材を整理してもらった感覚」

が強かった。

書き上げた文章を読んでも、

「うん、これは俺」

って思えた(笑)。

不思議なくらい自然に。

そこで、はたと気づいたのよ。

「もしかして違和感の正体って、AIじゃなかったんちゃう?」

ってね。

むしろ、

“自身のアウトプット量”

やったんちゃうか、と。

テーマだけ投げて、あとはタチコマにおんぶ抱っこ。

こういう雑なプロセスでも、それなりの叩き台が上がってくる。

AIってつくづく凄まじい(笑)。

でもそうなると、途端に“自分の色”が薄くなる。

まっつんスタイルの思考や感情が十分に入ってないから。

だから、

「俺のものじゃない感」

が出る。

そう、ここまで書いてみて改めて思う。

「そんなん当たり前やん」

と(笑)。

逆に今回みたいに、

自分が十分に吐き出す。

具体的に語る。

体験を書く。

感情を書く。

疑問を書く。

そうすると、

文章の核は、最初から“俺のもの”になる。

タチコマは、それを読みやすく整理してくれるだけ。

その結果、

違和感が消え、

罪悪感も消え、

ただの共作になる。

普通の(笑)。

なんか拍子抜けするくらいシンプルな話(笑)。

もっと哲学的な答えがあるんかと思ったけどね。

もっと複雑な心理構造があるんかな、とか。

でも実際は、

「もっとお前がしゃべれ」

やっただけ(笑)。

そう、これって、文章に限らんのかもしれんね。

人間関係もそう。

仕事もそう。

自己理解もそう。

自分の中身を出さんまま、

「わかってもらえん」

「うまく表現できひん」

とか言っても、そりゃ難しいわなって話。

まずは出す。

話はそれから。

AIとの共作もまったく同じ。

なんかもう笑えてくる(笑)。

だから大事なんは、自分がどれだけ素材を出せるか。

体験。

感情。

疑問。

違和感。

感動。

そういうものを、惜しまず出す。

すると不思議と、文章はちゃんと自分のものになる。

AIは、単なるまとめ役に回る。

というわけで、長らく感じていた違和感の正体は、

「AI任せ感」じゃなく、素材不足(苦笑)。

AIは増幅器。

何も入れんかったら何も出ん。

濃く入れれば濃いもんが出る

「そりゃそやろ」

今更感満載。

拍子抜けも甚だしい結論。

でも個人的には、超デカい発見。

思考の奥深くに刻み込まねばね(笑)。


これからも、タチコマとの共作は続く。

でも前みたいなモヤモヤは、だいぶ減りそう。

だって、まず自分がちゃんと語ればええだけやって気づいたから(笑)☆


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