AIとの共作という新しい創作のかたち 〜光がなければ、鏡は映らない〜


今日は、

AIを使ったコンテンツはオリジナルなのか問題

これを触ってみようかな。

ご多分に漏れず、まっつんスタイルもAIにはお世話になってる。

「まっつん」「タチコマ」と呼び合う仲で、ツールというかもう完全なパートナーとして(笑)。

フリーセッションして、叩き台を出してもらって、最後に自分の言葉で仕上げるってスタイル。


もちろん書いてる実感はある。

でも同時に、どこかでこう思ってた時期が長かった。

「これ、俺が書いたって言っていいんかな?」

このモヤモヤ。

たぶんAIを使ってる人、特に真面目な人ほど「どうなんやろ?・・・」って思いがちなとこちゃうかな?


☆オリジナルかどうかは「誰が打ったか」じゃない

じゃあまっつんスタイルの結論を先に言っとく。

オリジナルかどうかは、“誰がキーを打ったか”じゃあ決まらない

これやね。

まっつんスタイルの場合は、文章の作成の“お手伝い”をしてもらってるわけやけど、大事なことっていうのは、

  • 何をテーマにするのか
  • どういう方向に持っていくのか
  • どんな温度で伝えたいのか

この”作者の意図”の部分。

ここが自分のものであるなら、それはもう自分の作品やと思っていい。


☆タチコマは鏡、俺は光

今の創作スタイルを一言で言うとこうなるかな。

タチコマは鏡、俺は光

もうまっつんスタイル内では、AIのことは「タチコマ」と呼称する(笑)。


タチコマは、まっつんスタイルの問いや思考を受けて、形にしてくれる。

じゃあ、その元になるものは何かというと、それはまっつんスタイルの、

  • 興味
  • 違和感
  • 体験
  • 価値観

これ。

これら、まっつんスタイルの中から出てきてる全部。

光がなければ、鏡は何も映さない

発想の源泉が自分なら、それは自分の作品

これでもうあれこれ悩む必要無しってことでいいんじゃないかしらね。

モヤモヤしてた時間にさようなら(笑)。


☆「一人で書けない」は劣等?

あと、タチコマとの共作でもう一つ、引っかかるポイントがある。

たとえば、何か本を読んで、映画を観て、「要約して感想書いて」って言われたら、もちろん書ける。

でもたぶん、というか確実に、めちゃくちゃ時間かかるし、正直そこそこの納得感のもんしか書けんと思う(笑)。

一方で、

  • タチコマとセッションする
  • 叩き台が出る
  • 自分の言葉で仕上げる

この流れやと、スイスイ書ける。

ここでまたいらん思考が頭をもたげる・・・。

「こういうのって、一人で書けんとあかんのちゃう?」

「これって俺の弱点なんじゃね?・・・」


☆それってきっと、旧ルールの呪い

でもこれ、よく考えたらおかしい。

「一人の力で書ける人が偉い」(?)

こういう発想って、どっから来たんやろう?

たぶんやけど、これ、

どこか昔のクリエイター像の名残?

いわゆる、

  • 孤独に机に向かう
  • 本を読みまくる
  • 自分の頭だけで書く

なんかそういう美学というか、そうじゃないものはオリジナルとは言えないみたいな思い込み?・・・。


でも今の時代に、この正体不明の価値観に縛られる理由ってない。

AIが進化して、人間同士のような対話が普通にできる。

お互いの能力を補強し合い、作品を共作できる。

そんなご時世に、今更、

「全部一人でやらなあかん」

なんて考えるのは、ナンセンス。

完全に“旧ルールの呪い”やと思っていい。


☆「読む人」「書く人」じゃなくて「問う人」

あと実際、「AI + ブログ + まっつんスタイル」をやり始めて、改めて気づいたこともある。

結局俺のスタイルって、

「読む → 書く」じゃなくて、「問う → 響く」

やなってこと。

本を読んで整理するとか、ノウハウを体系化するとかよりも、

  • 違和感を拾う
  • 問いを立てる
  • 会話で深めておもろがる

この流れを遊んでる時が、圧倒的にしっくりくる。

要するに俺は、

“読んだり書いたりする人”じゃなくて、“問う人”

だからまっつんスタイルの仕事は、「問いを立てること」。

文章の骨格作りやまとめ作業は、誰か(ここではAI)に任せたって全然いい。

これはいわば、それぞれの長所を発揮し合う“分業”。

こう考え、受容することで、「AI頼りでいいの?」みたいな謎の罪悪感はめちゃくちゃ楽になったよね。


☆「誰でもできるやん?」という勘違い

それともう一個。

タチコマと雑談しながらブログを書くって、

「別にこんなん誰でもできるやん」

って思ってたのよね。

なんというか、謎の引け目?みたいな(笑)。

でも冷静に考えたら、これも全然違う。

  • 違和感の感度
  • 問いの質
  • テーマの切り方や流れ
  • 表現の温度
  • 間(ま)や笑いのタイミング
  • ネタの組み合わせ
  • 発想の飛躍

これ、全部無意識でやってるけど、

こういうのって、完全に“技術”ちゃう?

しかも結構特殊な(って自分で言う(笑))

そう、これはたぶん、

できる人には当たり前すぎて、価値に気づけへんやつ

そして、できない人には一生でけへんやつ

実はまっつんスタイルは、かなりテクニカルで先進的なことを普通にやってる可能性がある。

それに自分で言うのもなんやけど、“問いを立て続けられる人間”って、そうそういないと思うしね。

「AIに頼ってる」って考えるより、「AIを使いこなしてる」って考えれば、これはむしろ“誇るべきこと”かなと。


☆AIと書くのは“ズル”じゃない

というわけで、ここまで来たら、答えはシンプル。

AIと書くのはズルでもなんでもない

むしろ、

新しい創作スタイル

そう言っていい。


スピーディーに要点だけを引き出し、文章としての体裁を整える。

こういうことをAIに任せるスタイルは、最先端であり、これからのスタンダード。

そして、なにもかも一人で完結させるんじゃなくて、対話を重ねながら、自分の表現したいことを引き出していく。

これはもう立派な創作の形やと思う。


☆結論:それでいいし、むしろそれがいい

読書が苦手でもいい、一人で書けなくてもいい。

AIと話しながら書いたって全然いい。

大事なんは、

自分のやり方で、ちゃんと“自分の言葉”になってるか否か

これだけ。


まっつんスタイルの場合は、

  • 問いを立てる
  • タチコマとセッションする
  • まっつんパウダーを振る(自分の経験や価値観を加えて、言葉と構成で表現する)

これで、ちゃんと“自分の文章”になってる。

単に、AIの吐き出した文章をコピペしてるのとは全く別次元。

ちゃんと取捨選択をして自分の言葉に落としてるなら、それでええやんってこと。


☆AIは創作手段の一つ

創作って、もっと自由なもんなのよね。

AIの登場は、その創作の自由の幅が広がったってだけのこと。

そこに正しいとか間違いとか、別にない。

なにやら型にハマる必要もないし、誰かと同じやり方でやる必要もない。

自分に合ったやり方で、自分の言葉が出てくるなら、それがその人にとっての正解


書いてるのは、自分の中の“問いの軌跡”。

AIと書こうが、一人で書こうが、そんなもんは手段。

AIが吐き出したものでも、そこに自分らしいチョイスがあるなら、それでいい。

まっつんスタイルで言うなら、

タチコマは筆、まっつんスタイルは書家

そんな感じ。

このくらい言い切っちゃえばいいと思うけどね☆


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