今日は、
AIを使ったコンテンツはオリジナルなのか問題
これを触ってみようかな。
ご多分に漏れず、
まっつんスタイルもAIには、
めちゃくちゃお世話になってる。
「まっつん」
「タチコマ」
と呼び合う仲で、
もはやツールというか、
完全なパートナー(笑)。
フリーセッションして、
問いを投げて、
あーでもない、
こーでもないって話しながら、
叩き台を出してもらう。
そこから、
いらんところを削ったり、
構成を組み替えたり、
自分の経験を足したり、
言葉を変えたりして、
最後に、
“まっつんパウダー”
なるものを振りかける(笑)。
要するに、
「まっつんスタイルらしさを全体に塗す」
みたいなこと(笑)。
これが、
今のまっつんスタイルの基本的な書き方。
もちろん、
自分で書いてる実感はある。
でも同時に、
どこかでこう思ってた時期が長かったんよね。
「これ、俺が書いたって言っていいんかな?」
このモヤモヤ。
AIを使ってる人は、
似たようなこと思ってしまった人、
意外とおるんちゃうかな?
☆オリジナルかどうかは「誰が打ったか」じゃない
じゃあ、
今のまっつんスタイルなりの結論を、
先に言っとく。
オリジナルかどうかは、“誰がキーを打ったか”じゃあ決まらない
これやね。
例えば、
AIに、
「なんかおもろい記事書いて」
ってお願いして、
出てきた文章を、
一字一句そのままコピペ。
それを、
「魂込めて書きました!」
とか言い出したら、
さすがにアウト?
でも、
少なくとも、
今のまっつんスタイルの作り方は、
それとはだいぶ違う。
何をテーマにする?
何に違和感を覚えた?
何を問いとして立てる?
どっちへ話を持っていく?
どんな温度で伝える?
どう落とす?
出てきた文章の、
どこを採用して、
どこを捨てる?
「いや、俺、そんなこと思ってへん(笑)」
「いやそれ、おもろい?」
って、
どこで突き返す?(笑)
こういうのも全部、
創作の一部なんちゃう?
って、
今は思ってる。
ていうか、こういう創作ができてしまうことが、
今のAIの凄まじいとこ(笑)。
☆タチコマは鏡、まっつんスタイルは光
今の創作スタイルを、
一言で言うとこうなるかな。
タチコマは鏡、まっつんスタイルは光
かっこよくない?(笑)
もう、
まっつんスタイル内では、
AI(ChatGPT)のことは「タチコマ」と呼称する(笑)。
タチコマは、
まっつんスタイルの問いや思考を受けて、
いろんな形にして返してくれる。
じゃあ、
その元になるものは何かっていうと、
・興味
・違和感
・体験
・価値観
・美意識
こういう、
まっつんスタイルの中にあるもの。
いや、
まっつんスタイルの中にしかないもの。
光がなければ、鏡は何も映さない
これは、
やっぱけっこう好きな表現。
ただ、
昔はここから、
「発想の源泉が自分なら、それは自分の作品!」
くらいの勢いで、
自分に許可証を発行してた。
やや強引に(笑)。
でも今は、
もうちょい違うかな。
光を当てる。
鏡から、
何かが返ってくる。
それを見て、
「ああ! それそれ!」
とか、
「いや、そうじゃないねん(笑)」
とか言う。
で、別の角度から、
もう一回光を当てる。
また返ってくる。
そこから、
選ぶ。
捨てる。
足す。
削る。
盛る(笑)。
そうやって、
最終的に、
「うん、これはどう読んでも自分の文章」
って思えるところまで持っていく。
だから、
タチコマは鏡。
まっつんスタイルは光。
でも、
鏡に映ったものを、
そのまま飾ってるわけじゃない。
そんな感じ。
自分の中では、
めちゃめちゃ高度なことやってる感覚すらある(笑)。
☆「一人で書けない」劣等感?
あと、
タチコマとの共作の中でもう一つ、
引っかかってたことがある。
例えば、
何か本を読んで、
映画を観て、
「はい、これについて一本書いて」
って言われたとしたら?
まぁ、書ける。
書けるけど、
たぶん、
めちゃくちゃ時間がかかる(笑)。
で、
出来上がったものを見ても、
「うーん・・・、まぁ・・・」
くらいの納得感やと思う(笑)。
なんかこれ、経験的にそう。
一方で、
→ タチコマとセッションする
→ 叩き台が出る
→ 自分で触る
→ またタチコマに返す
→ また触る
→ 最後に自分の言葉で仕上げる(まっつんパウダーを振る)
この流れやと、
スイスイ進む。
するとここで?
またいらん思考が頭をもたげる。
「こういうのって、一人で書けんとあかんのちゃう?」
「これって俺の弱点なんじゃね?・・・」
この意味があるようでないような劣等感?(笑)
☆それってきっと、旧ルールの呪い
でもこれ、
よく考えたら、
「なんで?」
なんよね。
一人の力だけで書ける人が偉い?
「え? それ、誰が決めたん?(笑)」
たぶん、
まっつんスタイルの中に、
昔ながらのクリエイター像の妄想(?)みたいなものが、
どっかにあったんやと思うのよね。
孤独に机へ向かう。
本を読みまくる。
自分の頭“だけ”で考える。
誰にも頼らず、
ゼロから作品を生み出す。
・・・。
なんか、
文豪っぽい。
妄想やけど(笑)。
一人で書くこと自体が古いとか悪いとか、
そんなんは知らん。
それが好きなら、
それでええんやろう。
でも、
「全部を一人でやらんと、本当の創作じゃない」
とかまで言って、
自分を縛る必要ある?
しかもこのAI全盛の時代に(笑)。
これはもう、
まっつんスタイルの中に“謎に”残ってた、
“旧ルールの呪い”
やったんやと思う。
AIがあって、
普通に対話できて、
自分一人では出てこんかったような表現や視点までが、
ポンポン返ってくる。
それがおもろいなら、
使えばええやん。
なんでわざわざ、
使えるもんを封印して“謎の文豪ごっこ”せなあかんねんって話(笑)。
☆「読む人」「書く人」じゃなくて「問う人」
それと、
「AI + ブログ + まっつんスタイル」
を続けてきて、
改めて気づいたこともある。
結局、
まっつんスタイルのスタイルって(笑)、
「読む → 書く」じゃなくて、「問う → 響く」
なんやと思う。
「なにをええ感じに言うとんねん」
かもしれんけど(笑)。
ホンマにそう思うのよ。
本を読んで整理するとか、
ノウハウを体系化するとか。
理論を突き詰めるとか、
そういうことより、
日常の中で、
「ん?」
ってなる。
違和感を拾う。
問いを立てる。
タチコマに投げる。
返ってきたものを見て、
「いや、そうじゃなくてさ」
「あ、ホンマそうやわ(笑)」
とか言いながら、
深掘る。
切り口を変えて、
また考える。
別の問いが出る。
話が、
あっちへ飛ぶ。
こっちへ飛ぶ。
で、
気づいたら、
一本の記事になってる(笑)。
この流れを遊んでるときが、
圧倒的にしっくりくる。
そう、まっつんスタイルはやっぱ、
“読んだり書いたりする人”というより、“問う人”
てことは?
まっつんスタイルの仕事は、
文章を全部一人で生産することじゃなくて、
→ 問いを立てる
→ 返ってきたものに反応する
→ 違和感を見つける
→ 選ぶ
→ 捨てる
→ 最後に、自分の言葉へ戻す
そこなんやろうな、と。
☆「誰でもできるやん?」という勘違い
それでも以前は、
タチコマと雑談しながらブログを書くって、
「別にこんなん、誰でもできるやん」
って思ってた。
なんというか、
謎の引け目?
謎の遠慮?(笑)
でも、
これも考えてみたら、
どうやら違う気がしてくる。
たしかに、
AIと話すだけなら、
誰でもできるんやろう。
同じAIを、機能やツールとして使うことだってできる。
じゃあ、
「同じAIを使ったら、みんな同じ文章になるんか?」
いや、ならん(笑)。
何に違和感を覚えるか?
何を聞くか?
返ってきた答えの、
どこに反応するか?
何を採用するか?
どこで、
「いや、それちゃう」
って言うか?
何を削るか?
どこでふざけるか?
どこで、
急に禅を持ち出すか?(笑)
こういうのは、
人によって全然違うはず。
AIを使ったから、
「誰が作っても同じものになる」
ってことはない。
むしろ、
同じAIを使った時に出てくるその“違い”こそが、「その人らしさ」なんやと思う。
まっつんスタイルの「タチコマとの共作の全体像」。
なんとなく伝わってきたかな?
☆AIと書くのは“ズル”じゃない
というわけで、
今のまっつんスタイルは、
AIと書くのは、ズルでもなんでもない
と思ってる。
それは心から(笑)。
むしろ、
まっつんスタイルにとっては、
新しい創作スタイル
そう言っていい。
何もかも、
一人で完結させるんじゃなくて、
対話を重ねながら、
自分の中にあるものを引っ張り出していく。
自分一人では、
言葉にならんかったものが、
会話してるうちに、
「あ! それそれ!」
って形になる。
逆に、
タチコマが、
めちゃくちゃ綺麗なこと(つまらんこと)を言ってきて、
「いや、そんな人格者ちゃうねん!」
「それ、誰に気遣っとんねん?」
って、
ぶっ壊すこともある(笑)。
これも、
今のまっつんスタイルにとっては、
立派な創作の一部。
☆「これ、俺が書いたって言っていいんかな?」
じゃあ、
最初の問い。
「これ、俺が書いたって言っていいんかな?」
昔は、
ここに妙な引け目があった。
今にして思えば、ホント謎。
「真面目か!」
って話(笑)。
でも、
今はそんなにない。
この問いを拾ったのは誰?
まっつんスタイル。
タチコマと話して、
「おもろい」と思ったのは誰?
まっつんスタイル。
出てきた叩き台を、
コピペして使ってる?
使ってへん。
気に入らんところ、
直してる?
めっちゃ直してる(笑)。
なんなら最近は、
「またその構文使ってるやん」
「その綺麗なまとめ方、もうええねん(笑)」
って、
AIの文章の癖に文句まで言い出しとる。
まさにこれ、作者とAIの共作じゃね?(笑)
どこまでAIを使ったら、
どこからが誰の作品なのか?
そんな境界線を決めるのも、
ネタとしてはおもしろそうではある(笑)。
ただ、
少なくとも、
今の『まっつんスタイル』については、
もう、
「これ、俺が書いたって言っていいんかな?」
とか悩む必要は、
もうあんまりないかなと思ってる。
☆AIは創作手段の一つ
「創作」って、
もっと自由なもんでいいんよね。
紙に書く。
パソコンで打つ。
誰かと話す。
本を読む。
編集者と練る。
AIと話す。
やり方なんて、
いろいろあっていい。
大事なんは、
まっつんスタイルの場合、
最後まで、自分がそこにいること
問いを立てる。
タチコマとセッションする。
取捨選択する。
自分の経験や価値観を足す。
言葉と構成を触る。
最後に、
まっつんパウダーを振る(笑)。
そうやって、
「うん、これは俺」
って思えるものにする。
それでいい。
書いてるのは、
自分の中にある、
“問いの軌跡”。
AIと書こうが、
一人で書こうが、
そこは“手段”。
善悪も優劣もない。
AIが吐き出した言葉でも、
「違う!」
って捨てるものがあって、
「これ!」
って拾うものがある。
その選択を繰り返して、
最後に、
自分の文章へ持っていく。
それが、
今のまっつんスタイルの書き方。
昔は、
タチコマは筆、まっつんスタイルは書家
とも思ってた。
うん。
今でも、
そんな感じでええんちゃうかな。
ただ、
普通の筆と違って、
この筆・・・、
めちゃくちゃよく喋る(笑)☆


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