仏教動物園③|心猿(しんえん) 〜考えすぎる男のためのZEN〜


☆なぜ、心は「猿」になるのか?

さて今回は、仏教の中の「猿」

意外と仏教動物のド定番やったりする。

で、いきなり結論的なことを言うと、

猿 = 制御されてない心

もうちょいピンポイントに言うと、

思考・欲望・比較・衝動なんかが跳ね回ってる状態

落ち着かない。

考えが止まらない。

あれこれ気になって、“今ここ”にいられない・・・。

仏教は、こうした心の状態を昔から「猿」に例えてきたのね。

木から木へ飛び移りながら、一瞬もじっとしていられない猿。

もうこれ、笑えるくらいに“現代人の心”そのもの(笑)。


☆出典|「心猿」という比喩

「心猿」

や、

「意馬心猿」

っていう比喩は、仏教の長い歴史の中で繰り返し使われてきた。

人の心は、

目に入ったものに飛びつき、

次の刺激を探し、

休むことを知らない。

まるで猿のように、絶えず跳ね回る。

仏教では昔から、

人の心は、木から木へ飛び回る猿のようなもの

そう表現してきたみたい。

・(思考が)じっとしてない

・すぐ次に行く

・目に入ったものがいちいち気になる

・落ち着かない

・飽きっぽい・・・。

集中できない心の比喩

もう少し現代的にぶっちゃけると、“猿的な心”って、

「あぁ、これも気になる」

「いや、やっぱこっち?」

「他の人は?」

「ウソ? 俺だけ?」

「もっといい答えあるんちゃう?」・・・

現代人、心当たりありまくり。

「もうええっちゅーねん!」

っていうね(笑)。

これ全部、心が勝手に暴走してる状態

つまり、

猿 = 考えすぎ(苦笑)


☆仏教的な意味|「猿は悪者」とは考えない

ただ、ここで大事なのは、

猿 = 排除すべき存在じゃない

っていう点。

少なくとも仏教の実践は、

「だから考えるな」

と、力ずくで押さえ込むこととはちょっと違う。

仏教が言っているのは、

猿を無理やり黙らせるんじゃない

「あ、今めっちゃ跳ねてるな」

と、気づいて観察する

こういう思考法が、めっちゃ重要。

まっつんスタイル的にも、まずはそこからで十分かなって思う。

ていうかこれ、現代のマインドフルネスなんかにも通じる発想。


☆生き物としての「猿」と「人」

ここ、皮肉たっぷりでおもろいとこ。

猿って、

・賢い

・器用

・学習能力が高い

・環境適応力がある

・人に近い

生き物

でもその分、

・欲張りで

・いつも不安で

・常に焦ってて

・集団内のポジションに敏感で

・ずっと落ち着かない

・・・と、人間から見ると、そんなふうにも見える(笑)。

知性があるゆえに苦しむ生き物

・・・あれ?

これ、人間の姿そのもの?(笑)


☆仏教的に見る、「猿」の「問題点」と「対処法」

仏教目線で言う、猿の問題点はというと、

× 欲が次々に生まれる

× “今ここ”にいられない

× 比較を止められない

× ネガティブにばかりフォーカス

× 未来と過去を行ったり来たり・・・

でもどうやろ?

こういう思考、「やめよう」つってもやめられるもんじゃない。

だから仏教の修行においては、

猿を追うな。

猿を叱るな。

猿を殺すな。

猿を“観よ”

と教える。

観るだけで、

“観られるようになるだけ”で、

猿は少しだけおとなしくなる。


☆まっつんスタイル語訳|「心猿」とは何か?

「心猿」を、まっつんスタイル的に翻訳すると、

・考えすぎてしんどい

・比較が止まらなくて辛い

・不安を解消しようとして疲れる・・・

そんな状態。

つまり?

悲しいけど、

“真面目すぎる”人間の”副作用”

って感じかな。


☆エロモテZENで翻訳

心猿がずっと暴れてるやかましい男。

例えば、

・モテ情報の奴隷

・スマホが気になってしゃーない

・常に他人へ意識が向いてまう

・自分の軸とかブレまくり

・思考が過去か未来に飛んでる・・・

だから、考え過ぎてて、なんかいろいろと不自然。

今風に言うと、「キモい」?(笑)

落ち着きがないから、そりゃ魅力も逃げる

一方で、

・心猿が騒いでも、そのことに気づける

・思考はあるけど、安易に従わない

・いちいち動じない

・すぐに自分の呼吸や身体感覚に戻れる

・一拍“間(ま)”を保てる

こういう状態の男は、常に自然体で、余裕と自信が漂う。

どっちの男に惹かれるかは、言うまでもない(笑)。


☆小さな実践|猿を黙らそうとしない

猿の象徴は、

思考が暴走してる心
比較・欲・不安で落ち着かない状態
でも、敵ってわけじゃない

だから、猿は叱らなくていい。

黙らせなくていい。

ましてや「殺す」とか、怖い(笑)。

ただ、

・今、何を考えているのか?

・どこへ行こうとしてるのか?

・なんで跳ぼうとしてるのか?

を、冷静に眺める。

まずはそれだけでいい。

目の前の出来事とか、

環境とか、

他人とか、

そういう外部に向かいがちな意識を、自分の心猿に向ける。

それだけで、猿は静まる。

猿を観られてる自分は、少なくとも、猿に完全には飲まれてはいない

慣れてくれば、猿は意外と扱いやすい?(笑)


☆今日は猿を飼っていこう

心猿は、消えない。

無駄に跳ね回る心を、跳ね回らないようすることって、たぶん無理(笑)。

これはもう諦めよう。

でも、

「過剰に振り回されなくすること」

はできる。

「心猿を“観る”」

習慣を持つことでね。

だから、考えすぎる自分を責めなくていい。

猿は、飼い慣らせばいい☆


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