「未来の子どもたちのために」って、どこまで? 〜未来への責任と、科学と、美意識と、自然への畏敬〜


「未来の子どもたちのために」

環境問題なんかの話をしてると、よく耳にする言葉。

美しい言葉やと思う。

「今さえ良ければいいじゃない」

「これから生まれてくる人たちにも、美しい地球を残そう」

うん、なるほどその通り。

・・・と言いたいとこやけど。

「俺らって、未来に対して、どこまで責任持たなあかんのやろ?」

実はこれ、ずっと思ってたこと(笑)。

10年後?

100年後?

1000年後?

まだ生まれてもない人たちのために、今を生きてる俺らは、どこまで我慢して、どこまで備えて、どこまで責任を負うべきなんやろ?

そもそも100年後の人たちが、何をもって「良い社会」と思ってるのかすら、俺らには分からん・・・。

今日はちょっと、そんな壮大なことをライトに考えてみたい(笑)。

未来へ残してしまう問題。

少し考えただけでも、いくらでも出てくる。

CO2。

石油をはじめとした資源。

原発。

放射性廃棄物。

産業廃棄物。

海洋汚染。

人口問題。

世界的な経済格差。

各種差別。

宗教対立、民族対立。

さらには、尊厳死なんかを含めた、医療技術や死生観の問題。

一時「SDGs」とか、盛んに言われたよね。

最近なら、AIだってそうかもしれん。

ハッキリ言ってどれも、

「俺ら世代だけで完結する話」

じゃない。

困ったことに、どれも正解がよく分からん(笑)。

例えば原発。

危険性や、長期にわたって管理せんとあかん廃棄物の問題がある。

じゃあ全部止めれば、それで未来に対して責任を果たしたことになる?

代わりのエネルギーは?

コストは?

安定供給は?

CO2は?

産業は?

生活は?

一つの問題を解決しようとすると、後ろから別の問題が、

「どうも」

って出てくる(笑)。

医療だってそう。

人類は、昔なら助からんかった病気を治せるようになった。

死産も減った。

寿命も延びた。

素晴らしい。

でもその結果?

「人は、どこまで生きるべきなのか?」

「どこまで治療するべきなのか?」

「自分の死を自分で選んでもいいのか?」

昔にはなかった問いが生まれた。

問題を解決したら、問題がなくなる?

いや、問題は、解決しないから問題?

どうやら人類って、そんな簡単なゲームをやってるわけじゃないらしい(笑)。

社会問題の話になると、よく言われる。

「一人ひとりが意識を変えることが大切」

ってやつ。

もちろん、そうなんやと思う。

教育も大事。

啓発も大事。

意識も知識も大事。

でも、ここでもちょっと意地悪なことを考えてしまう。

「それって、人間に期待しすぎてない?(笑)」

人間って、

便利に暮らしたい。

美味いものを食べたい。

暖かい部屋で寝たい。

夏は涼しく過ごしたい。

好きなところへ好きなときに移動したい。

長生きしたい。

モテたい(笑)。

もっと豊かに。

もっと豊かになりたい!

そういう生き物やんね?

中には、高い倫理観を持つ人もいる。

未来のために我慢できる人もいる。

でも、人類80億人全員が教育によって目覚めて、

「今日から未来世代のために欲望を抑えます!」

なんて、なる?

・・・ならんくない?(笑)。

人間の欲を、教育と啓発ですべて消そうとするなんてのは、そもそも人間という生き物の“仕様”と合ってない。

そう考えると、人類をなんとかここまで連れてきた大きな力って、結局、

「科学のイノベーションなんかな?」

とか思う。

暑い。

なんとかしたい。

エアコンができた。

遠い。

なんとかしたい。

車や鉄道や飛行機ができた。

感染症で人が死ぬ。

なんとかしたい。

衛生環境を整え、ワクチンや薬を作った。

食料が足りない。

なんとかしたい。

農業技術を進歩させた。

汚水が流れて不衛生。

なんとかしたい。

上下水道を作った・・・。

人間ってどう考えても、

「みんなで我慢しましょう」

だけでここまでの文明を作ってきたわけじゃない。

むしろ、

「我慢せんでも、なんとかなる方法ないの?」

を延々考えてきた厚かましい生き物(笑)。

そういう意味では、人類の未来を本当に大きく変えるのは、人心の劇的な変化より、やっぱり科学や技術なんか?

ただし。

ここで、

「どうせいつか、科学が全部解決してくれるやろ?」

とはしたくない(笑)。

これがまた、人類のおもろいところ。

車を作った。

めちゃくちゃ便利になった。

でも、排気ガスやCO2という問題が生まれた。

プラスチックを作った。

安くて軽くて丈夫。

奇跡みたいな素材。

でも、今度は廃棄物や海洋汚染が問題になる。

原子力を利用できるようになった。

少量の燃料から、とんでもないエネルギーを取り出せる。

でも、事故のリスクや放射性廃棄物、兵器転用っていう難題を抱えた。

医療が進歩した。

人が長く生きられるようになった。

すると今度は、

「どう生きるか?」

だけじゃなく、

「どう死ぬか?」

「予算は?」

まで考えなきゃいけなくなった。

AIだってそう。

人間の仕事を助けてくれる。

知識へのアクセスを変える。

創作まで手伝ってくれる。

でも同時に、雇用、著作権、偽情報、責任の所在・・・。

新しい問題を次々と生む。

つまりイノベーションって、悲しいかな、

「問題を消す魔法」

ってだけじゃない。

魔法であり、同時に、

「社会問題の母」(苦笑)

一つの問題を魔法のように解決して、人類に対して次の問題を産み落とす。

問題Aを解決。

問題B誕生。

問題Bを解決。

問題C誕生。

問題Cを・・・。

人類、社会問題の繁栄を更新中(笑)。

と、ここまでで思ったのが、

「弥縫策って、そんなに悪いことなんかな?」

ってこと。

「弥縫策」:「その場しのぎ・根本的な解決になってない方法」

普通は、あんまり良い意味では使われない言葉。

でも、人類の歴史をずーっと眺めたら、壮大な弥縫策の連続なんちゃう?(笑)

その時代を支配したような思想や制度も、技術や発見も、時を経て、まったく価値を失うなんてことすらざら。

完璧な政治制度なんてない。

完璧な経済システムもない。

完璧な医療も、完璧なエネルギーもない。

問題は起きる。

次から次へと。

でも、その時代の人が、

「これ、どうしよ?」

って考える。

制度を変える。

技術を作る。

思想から見直す。

で、なんとかする。

すると、しばらくして別の問題が出てくる。

また直す。

で、その途中で、ときどき、とんでもないイノベーションが起こる。

その繰り返し。

ならば、

「根本解決できてないからダメ」

って考えるんじゃなくて、最初から、

「その時代にできる範囲で、少しだけマシにする」

って考える。

肩の力を抜いて。

これだって立派な進歩やと思うし、未来への責任の取り方なんちゃうかなと。

そもそも俺らって、人類史の最先端かもしれんけど、別に完成形ってわけじゃない。

当たり前やけど(笑)。

例えば幕末の時代の人に、

「2026年の地球温暖化について、あなたたちも責任を持ってください」

なんて言っても無茶(笑)。

「知らんがな」

で終わり。

同じように、2126年の人類が何に困ってるのか、今の俺らには分からん。

今、良かれと思って選んだものが、100年後には、

「なんでこんなもん残したんや!」

って言われとるかもしれん。

例えば戦後、将来の木材需要なんかを見込んで大量に植えられたスギ。

「孫のために」って思いもあったらしいけど、今じゃ花粉症の原因。

迷惑千万(笑)。

逆に、今、

「こんな問題、どうすんねん・・・」

って頭を抱えているものを、未来人は、

「え?そんなことで悩んでたん?」

って、あっさり解決してるかもしれん(笑)。

俺らは、途中世代。

いくら考えたって、わからんもんはわからん。

だから、“未来を完成させて渡す”とか、そこまでギチギチに考える必要、ないんちゃうかな。

「できるだけ問題を小さくする」ってくらいの意識でいい。

同時に、

取り返しのつかないことには慎重になる。

科学の進歩は推し進める。

社会制度は、その都度微調整を繰り返す。

知識や記録は丁寧に残す。

で、

「俺らはここまでやったんで、あとよろしく(笑)」

って次の世代に渡す。

実際問題、それくらいのことしかできないんのちゃうかな。

と・・・、ここで、もう一つ別のトピック。

「そんなら、俺一人くらいが何をしたって一緒やん?」

ってやつ。

これも、ある意味その通り。

めんどくさいけど(笑)。

俺が今日、ペットボトルをきちんとゴミ箱へ捨てたところで、100年後の地球環境なんて、たぶんなんの影響もない。

俺一人が節電したところで、地球の平均気温が下がるわけでもない。

俺一人では、世界の経済格差もなくせない。

差別に対しても戦争に対しても、ただ無力・・・。

「だったら、もう好きにしたらええやん!」

これって、大半の人類の本音ちゃうんかな?

でもねぇ・・・、まっつんスタイル的には、これもなんか違う(笑)。

例えばまっつんスタイルは、山や海にゴミを捨てたくない。

それは、

「この空き缶一本を持ち帰れば、地球環境問題が0.0000001%改善する!」

からじゃない(笑)。

単純に、

“そんなことする自分が嫌やから”。

海にゴミを放り投げる自分って、なんかダサいやん(笑)。

例えば、目の前で明らかな理不尽に直面してる人がいて、自分にできることがあるなら、できる範囲で助けたい。

それも、

「世界の格差を是正するため!」

なんて大層な話じゃない。

目の前でなんとかできることを、知らん顔する自分ではいたくない。

差別と区別についてもそう。

自分の中から偏見を完全になくすなんてのは、たぶん無理。

俺にも好き嫌いはある。

先入観もある。

でも、

「これは合理的な区別なんやろか?」

「単に自分の嫌悪感を正当化してないか?」

くらいは、ときどき自分に問いかけたい。

つまりこういうのって、世界を救うためじゃない。

“自分がどういう人間でありたいか”

個人のことでいうと、最後はそこなんちゃうかなと。

これは倫理とかいうより、

「美意識」

に近い気がする。

法律で禁止されてるからやらない。

誰かに怒られるからやらない。

未来世代のためだからやる。

SDGsだから・・・(笑)。

もちろん、それもいい。

でももっと個人的に、

「俺は、そういう生き方を格好いいと思う」

「そんなことする自分は、ちょっと格好悪い」

そんなことでもいいんちゃうかな。

世界が変わるかどうかは知らん。

誰かが見てるかどうかも知らん。

それでも、自分が“美しい”と思う行動を選ぶ。

その積み重ねが、自分という人間を幸福にしていくし、誰かの幸福に寄与すると信じる。

あともう一つ。

自然に対する、

「畏敬」

みたいなものも、忘れたくない。

山。

海。

森。

川。

空。

地球。

どれも、人間が作ったもんじゃない。

俺らが生まれる遥か昔からあって、俺ら人類が死に絶えたあとも、おそらくそこにある。

海を見て、

「海洋資源が・・・」

「経済的価値が・・・」

とか考える前に、

「うわ、でっか・・・」

「なんか、深!」

でいい。

山へ入って、

「CO2吸収能力が・・・」

「生態系が・・・」

の前に、

「なんか知らんけど、神秘的」

「よーわからんけど、尊い」

でいい(笑)。

人間が理解して、計測して、利用できるものだけが、世界の価値じゃないからね。

自分なんかより遥かに大きいものを前にした時に感じる、

畏れ、

敬い。

圧倒される感じ。

そういうものもまた、自然を大切にする理由でいいと思う。

そう考えると、

「自然を守る」

っていう言葉すら、ちょっと傲慢よね。

意味は分かる。

環境保全は大事。

でも、地球の歴史から見たら、俺ら人類なんて新参者。

そんな人間が、

「自然は我々が守ってあげます」

っていうのも、なんかちょっと、偉そう(笑)。

むしろ、

「ここで生かしてもらってます」

「ありがとうございます」

くらいの感覚の方がしっくりくる。

だから粗末に扱わない。

支配しようとしない。

全てを理解した気にならない。

そういう態度も、人間には必要なんやと思うよね。

これは、科学を否定する話じゃなくて、むしろ逆。

科学は、人類が未来へ進むための、とんでもなく強力な力。

だからこそ、もっと進歩してほしい。

でも、科学で測れるものだけが、この世界のすべてじゃない。

森林が一年にどれくらいCO2を吸収するかは測れる。

生態系への影響も研究できる。

経済価値も計算できる。

でも、

朝霧の森の中に立って、

「・・・なんか、すげぇ」

そう感じた人間の感覚まで、数字にする必要はない(笑)。

科学を信頼する。

でも、科学で世界のすべてを理解した気にはならない。

「知性と畏敬」

人間は両方持っていたい。

で、これって自然に対してだけの話じゃない。

格差。

差別。

尊厳死。

AI。

これから先に出てくる、まだ名前すらない社会問題。

どれについても、

「これが絶対に正しい!」

っていう答えを、今の俺が持つ必要はないんやと思う。

分からない。

だから考える。

調べる。

その時点で暫定的に判断する。

新しいことを知ったら、また考える。

歳を取ったら、また考える。

大切な人を失ったら、考えが変わるかもしれない。

新しい技術ができたら、また変わるかもしれない。

もうそれでいい。

そういうもん(笑)。

一つの“正しい”価値観を持つことより、

“自分の価値観を問い続けること”。

その方が大切なんちゃうかなと。

価値観を完成させない。

世界が完成しないように、自分の思想も完成させない。

グジャグジャと共に生きる。

こういう態度、なんかちょっとZENっぽい(笑)。

「未来の子どもたちのために」

改めていい言葉やと思う。

でも俺らには、100年後の子どもたちが何を望むのかは分からん。

正しい未来を設計することもできん。

地球上の問題を全部解決して渡すことも、どうやらできそうもない。

だから、「未来を完璧にしよう」とか、肩肘張らんでいい。

ただ、自分の時代を、自分なりにちゃんと生きる。

問題があれば、少しだけマシにする。

科学を進める。

制度を見直す。

取り返しのつかないことには慎重になる。

目の前でできることは、できるだけやる。

自分の美意識に従う。

自然という、自分より遥かに大きなものへの畏敬を忘れない。

そして、

「これって本当に正しいんかな?」

を、ときどき自分自身に問いかける。

人類はもしかすると、

「正解」

を継承してきた生き物じゃなくて、

「問い」

を継承してきた生き物なんかもしれんね。

前の世代が、

「ここまで分かった」

って言って渡す。

次の世代が、

「いや、ここ違うんちゃう?」

と言って書き換える。

その次の世代が、また続きを考える。

それを何千年も繰り返して、今の俺らがおる。

やったら、未来に対する責任って、未来の正解を決めてしまうことなんか?

たぶんそうじゃない。

未来の人たちが、自分たちなりの答えを考えられる“余地”と“素材”を、なるべく残して渡すことなのちゃうかな。

俺らも途中。

未来の人たちも、たぶん途中。

人類なんて、永遠に途中(笑)。

だから、自分の持ち場を、自分なりにやればいい。

なるべく美しく。

自分より大きなものへの畏敬を忘れず。

分からないことは、分からないまま問い続ける。

そして自分の番が終わるとき、次の世代へ、

「俺らなりに、ここまでは考えた」

「間違ってるところも、大いにある」

「悪いけど、続きよろしく(笑)」

そう言って渡せれば。

それくらいが、人間にできる未来への責任として、ちょうどいい☆