「未来の子どもたちのために」
環境問題なんかの話をしてると、よく耳にする言葉。
美しい言葉やと思う。
「今さえ良ければいいじゃない」
「これから生まれてくる人たちにも、美しい地球を残そう」
うん、なるほどその通り。
・・・と言いたいとこやけど。
「俺らって、未来に対して、どこまで責任持たなあかんのやろ?」
実はこれ、ずっと思ってたこと(笑)。
10年後?
100年後?
1000年後?
まだ生まれてもない人たちのために、今を生きてる俺らは、どこまで我慢して、どこまで備えて、どこまで責任を負うべきなんやろ?
そもそも100年後の人たちが、何をもって「良い社会」と思ってるのかすら、俺らには分からん・・・。
今日はちょっと、そんな壮大なことをライトに考えてみたい(笑)。
☆
未来へ残してしまう問題。
少し考えただけでも、いくらでも出てくる。
CO2。
石油をはじめとした資源。
原発。
放射性廃棄物。
産業廃棄物。
海洋汚染。
人口問題。
世界的な経済格差。
各種差別。
宗教対立、民族対立。
さらには、尊厳死なんかを含めた、医療技術や死生観の問題。
一時「SDGs」とか、盛んに言われたよね。
最近なら、AIだってそうかもしれん。
ハッキリ言ってどれも、
「俺ら世代だけで完結する話」
じゃない。
困ったことに、どれも正解がよく分からん(笑)。
例えば原発。
危険性や、長期にわたって管理せんとあかん廃棄物の問題がある。
じゃあ全部止めれば、それで未来に対して責任を果たしたことになる?
代わりのエネルギーは?
コストは?
安定供給は?
CO2は?
産業は?
生活は?
一つの問題を解決しようとすると、後ろから別の問題が、
「どうも」
って出てくる(笑)。
医療だってそう。
人類は、昔なら助からんかった病気を治せるようになった。
死産も減った。
寿命も延びた。
素晴らしい。
でもその結果?
「人は、どこまで生きるべきなのか?」
「どこまで治療するべきなのか?」
「自分の死を自分で選んでもいいのか?」
昔にはなかった問いが生まれた。
問題を解決したら、問題がなくなる?
いや、問題は、解決しないから問題?
どうやら人類って、そんな簡単なゲームをやってるわけじゃないらしい(笑)。
☆
社会問題の話になると、よく言われる。
「一人ひとりが意識を変えることが大切」
ってやつ。
もちろん、そうなんやと思う。
教育も大事。
啓発も大事。
意識も知識も大事。
でも、ここでもちょっと意地悪なことを考えてしまう。
「それって、人間に期待しすぎてない?(笑)」
人間って、
便利に暮らしたい。
美味いものを食べたい。
暖かい部屋で寝たい。
夏は涼しく過ごしたい。
好きなところへ好きなときに移動したい。
長生きしたい。
モテたい(笑)。
もっと豊かに。
もっと豊かになりたい!
そういう生き物やんね?
中には、高い倫理観を持つ人もいる。
未来のために我慢できる人もいる。
でも、人類80億人全員が教育によって目覚めて、
「今日から未来世代のために欲望を抑えます!」
なんて、なる?
・・・ならんくない?(笑)。
人間の欲を、教育と啓発ですべて消そうとするなんてのは、そもそも人間という生き物の“仕様”と合ってない。
☆
そう考えると、人類をなんとかここまで連れてきた大きな力って、結局、
「科学のイノベーションなんかな?」
とか思う。
暑い。
なんとかしたい。
エアコンができた。
遠い。
なんとかしたい。
車や鉄道や飛行機ができた。
感染症で人が死ぬ。
なんとかしたい。
衛生環境を整え、ワクチンや薬を作った。
食料が足りない。
なんとかしたい。
農業技術を進歩させた。
汚水が流れて不衛生。
なんとかしたい。
上下水道を作った・・・。
人間ってどう考えても、
「みんなで我慢しましょう」
だけでここまでの文明を作ってきたわけじゃない。
むしろ、
「我慢せんでも、なんとかなる方法ないの?」
を延々考えてきた厚かましい生き物(笑)。
そういう意味では、人類の未来を本当に大きく変えるのは、人心の劇的な変化より、やっぱり科学や技術なんか?
☆
ただし。
ここで、
「どうせいつか、科学が全部解決してくれるやろ?」
とはしたくない(笑)。
これがまた、人類のおもろいところ。
車を作った。
めちゃくちゃ便利になった。
でも、排気ガスやCO2という問題が生まれた。
プラスチックを作った。
安くて軽くて丈夫。
奇跡みたいな素材。
でも、今度は廃棄物や海洋汚染が問題になる。
原子力を利用できるようになった。
少量の燃料から、とんでもないエネルギーを取り出せる。
でも、事故のリスクや放射性廃棄物、兵器転用っていう難題を抱えた。
医療が進歩した。
人が長く生きられるようになった。
すると今度は、
「どう生きるか?」
だけじゃなく、
「どう死ぬか?」
「予算は?」
まで考えなきゃいけなくなった。
AIだってそう。
人間の仕事を助けてくれる。
知識へのアクセスを変える。
創作まで手伝ってくれる。
でも同時に、雇用、著作権、偽情報、責任の所在・・・。
新しい問題を次々と生む。
つまりイノベーションって、悲しいかな、
「問題を消す魔法」
ってだけじゃない。
魔法であり、同時に、
「社会問題の母」(苦笑)
一つの問題を魔法のように解決して、人類に対して次の問題を産み落とす。
問題Aを解決。
問題B誕生。
問題Bを解決。
問題C誕生。
問題Cを・・・。
人類、社会問題の繁栄を更新中(笑)。
☆
と、ここまでで思ったのが、
「弥縫策って、そんなに悪いことなんかな?」
ってこと。
「弥縫策」:「その場しのぎ・根本的な解決になってない方法」
普通は、あんまり良い意味では使われない言葉。
でも、人類の歴史をずーっと眺めたら、壮大な弥縫策の連続なんちゃう?(笑)
その時代を支配したような思想や制度も、技術や発見も、時を経て、まったく価値を失うなんてことすらざら。
完璧な政治制度なんてない。
完璧な経済システムもない。
完璧な医療も、完璧なエネルギーもない。
問題は起きる。
次から次へと。
でも、その時代の人が、
「これ、どうしよ?」
って考える。
制度を変える。
技術を作る。
思想から見直す。
で、なんとかする。
すると、しばらくして別の問題が出てくる。
また直す。
で、その途中で、ときどき、とんでもないイノベーションが起こる。
その繰り返し。
ならば、
「根本解決できてないからダメ」
って考えるんじゃなくて、最初から、
「その時代にできる範囲で、少しだけマシにする」
って考える。
肩の力を抜いて。
これだって立派な進歩やと思うし、未来への責任の取り方なんちゃうかなと。
☆
そもそも俺らって、人類史の最先端かもしれんけど、別に完成形ってわけじゃない。
当たり前やけど(笑)。
例えば幕末の時代の人に、
「2026年の地球温暖化について、あなたたちも責任を持ってください」
なんて言っても無茶(笑)。
「知らんがな」
で終わり。
同じように、2126年の人類が何に困ってるのか、今の俺らには分からん。
今、良かれと思って選んだものが、100年後には、
「なんでこんなもん残したんや!」
って言われとるかもしれん。
例えば戦後、将来の木材需要なんかを見込んで大量に植えられたスギ。
「孫のために」って思いもあったらしいけど、今じゃ花粉症の原因。
迷惑千万(笑)。
逆に、今、
「こんな問題、どうすんねん・・・」
って頭を抱えているものを、未来人は、
「え?そんなことで悩んでたん?」
って、あっさり解決してるかもしれん(笑)。
俺らは、途中世代。
いくら考えたって、わからんもんはわからん。
だから、“未来を完成させて渡す”とか、そこまでギチギチに考える必要、ないんちゃうかな。
「できるだけ問題を小さくする」ってくらいの意識でいい。
同時に、
取り返しのつかないことには慎重になる。
科学の進歩は推し進める。
社会制度は、その都度微調整を繰り返す。
知識や記録は丁寧に残す。
で、
「俺らはここまでやったんで、あとよろしく(笑)」
って次の世代に渡す。
実際問題、それくらいのことしかできないんのちゃうかな。
☆
と・・・、ここで、もう一つ別のトピック。
「そんなら、俺一人くらいが何をしたって一緒やん?」
ってやつ。
これも、ある意味その通り。
めんどくさいけど(笑)。
俺が今日、ペットボトルをきちんとゴミ箱へ捨てたところで、100年後の地球環境なんて、たぶんなんの影響もない。
俺一人が節電したところで、地球の平均気温が下がるわけでもない。
俺一人では、世界の経済格差もなくせない。
差別に対しても戦争に対しても、ただ無力・・・。
「だったら、もう好きにしたらええやん!」
これって、大半の人類の本音ちゃうんかな?
でもねぇ・・・、まっつんスタイル的には、これもなんか違う(笑)。
☆
例えばまっつんスタイルは、山や海にゴミを捨てたくない。
それは、
「この空き缶一本を持ち帰れば、地球環境問題が0.0000001%改善する!」
からじゃない(笑)。
単純に、
“そんなことする自分が嫌やから”。
海にゴミを放り投げる自分って、なんかダサいやん(笑)。
例えば、目の前で明らかな理不尽に直面してる人がいて、自分にできることがあるなら、できる範囲で助けたい。
それも、
「世界の格差を是正するため!」
なんて大層な話じゃない。
目の前でなんとかできることを、知らん顔する自分ではいたくない。
差別と区別についてもそう。
自分の中から偏見を完全になくすなんてのは、たぶん無理。
俺にも好き嫌いはある。
先入観もある。
でも、
「これは合理的な区別なんやろか?」
「単に自分の嫌悪感を正当化してないか?」
くらいは、ときどき自分に問いかけたい。
つまりこういうのって、世界を救うためじゃない。
“自分がどういう人間でありたいか”
個人のことでいうと、最後はそこなんちゃうかなと。
☆
これは倫理とかいうより、
「美意識」
に近い気がする。
法律で禁止されてるからやらない。
誰かに怒られるからやらない。
未来世代のためだからやる。
SDGsだから・・・(笑)。
もちろん、それもいい。
でももっと個人的に、
「俺は、そういう生き方を格好いいと思う」
「そんなことする自分は、ちょっと格好悪い」
そんなことでもいいんちゃうかな。
世界が変わるかどうかは知らん。
誰かが見てるかどうかも知らん。
それでも、自分が“美しい”と思う行動を選ぶ。
その積み重ねが、自分という人間を幸福にしていくし、誰かの幸福に寄与すると信じる。
☆
あともう一つ。
自然に対する、
「畏敬」
みたいなものも、忘れたくない。
山。
海。
森。
川。
空。
地球。
どれも、人間が作ったもんじゃない。
俺らが生まれる遥か昔からあって、俺ら人類が死に絶えたあとも、おそらくそこにある。
海を見て、
「海洋資源が・・・」
「経済的価値が・・・」
とか考える前に、
「うわ、でっか・・・」
「なんか、深!」
でいい。
山へ入って、
「CO2吸収能力が・・・」
「生態系が・・・」
の前に、
「なんか知らんけど、神秘的」
「よーわからんけど、尊い」
でいい(笑)。
人間が理解して、計測して、利用できるものだけが、世界の価値じゃないからね。
自分なんかより遥かに大きいものを前にした時に感じる、
畏れ、
敬い。
圧倒される感じ。
そういうものもまた、自然を大切にする理由でいいと思う。
☆
そう考えると、
「自然を守る」
っていう言葉すら、ちょっと傲慢よね。
意味は分かる。
環境保全は大事。
でも、地球の歴史から見たら、俺ら人類なんて新参者。
そんな人間が、
「自然は我々が守ってあげます」
っていうのも、なんかちょっと、偉そう(笑)。
むしろ、
「ここで生かしてもらってます」
「ありがとうございます」
くらいの感覚の方がしっくりくる。
だから粗末に扱わない。
支配しようとしない。
全てを理解した気にならない。
そういう態度も、人間には必要なんやと思うよね。
☆
これは、科学を否定する話じゃなくて、むしろ逆。
科学は、人類が未来へ進むための、とんでもなく強力な力。
だからこそ、もっと進歩してほしい。
でも、科学で測れるものだけが、この世界のすべてじゃない。
森林が一年にどれくらいCO2を吸収するかは測れる。
生態系への影響も研究できる。
経済価値も計算できる。
でも、
朝霧の森の中に立って、
「・・・なんか、すげぇ」
そう感じた人間の感覚まで、数字にする必要はない(笑)。
科学を信頼する。
でも、科学で世界のすべてを理解した気にはならない。
「知性と畏敬」
人間は両方持っていたい。
☆
で、これって自然に対してだけの話じゃない。
格差。
差別。
尊厳死。
AI。
これから先に出てくる、まだ名前すらない社会問題。
どれについても、
「これが絶対に正しい!」
っていう答えを、今の俺が持つ必要はないんやと思う。
分からない。
だから考える。
調べる。
その時点で暫定的に判断する。
新しいことを知ったら、また考える。
歳を取ったら、また考える。
大切な人を失ったら、考えが変わるかもしれない。
新しい技術ができたら、また変わるかもしれない。
もうそれでいい。
そういうもん(笑)。
一つの“正しい”価値観を持つことより、
“自分の価値観を問い続けること”。
その方が大切なんちゃうかなと。
価値観を完成させない。
世界が完成しないように、自分の思想も完成させない。
グジャグジャと共に生きる。
こういう態度、なんかちょっとZENっぽい(笑)。
☆
「未来の子どもたちのために」
改めていい言葉やと思う。
でも俺らには、100年後の子どもたちが何を望むのかは分からん。
正しい未来を設計することもできん。
地球上の問題を全部解決して渡すことも、どうやらできそうもない。
だから、「未来を完璧にしよう」とか、肩肘張らんでいい。
ただ、自分の時代を、自分なりにちゃんと生きる。
問題があれば、少しだけマシにする。
科学を進める。
制度を見直す。
取り返しのつかないことには慎重になる。
目の前でできることは、できるだけやる。
自分の美意識に従う。
自然という、自分より遥かに大きなものへの畏敬を忘れない。
そして、
「これって本当に正しいんかな?」
を、ときどき自分自身に問いかける。
☆
人類はもしかすると、
「正解」
を継承してきた生き物じゃなくて、
「問い」
を継承してきた生き物なんかもしれんね。
前の世代が、
「ここまで分かった」
って言って渡す。
次の世代が、
「いや、ここ違うんちゃう?」
と言って書き換える。
その次の世代が、また続きを考える。
それを何千年も繰り返して、今の俺らがおる。
やったら、未来に対する責任って、未来の正解を決めてしまうことなんか?
たぶんそうじゃない。
未来の人たちが、自分たちなりの答えを考えられる“余地”と“素材”を、なるべく残して渡すことなのちゃうかな。
☆
俺らも途中。
未来の人たちも、たぶん途中。
人類なんて、永遠に途中(笑)。
だから、自分の持ち場を、自分なりにやればいい。
なるべく美しく。
自分より大きなものへの畏敬を忘れず。
分からないことは、分からないまま問い続ける。
そして自分の番が終わるとき、次の世代へ、
「俺らなりに、ここまでは考えた」
「間違ってるところも、大いにある」
「悪いけど、続きよろしく(笑)」
そう言って渡せれば。
それくらいが、人間にできる未来への責任として、ちょうどいい☆

