ニュータイプなのに、誰も分かり合えない 〜Ζガンダムは「人間の未熟さ」を描いた物語なのか〜


最近、『ガンダム』シリーズを、初代の『機動戦士ガンダム』から少しずつ見返してる。

今、『Ζガンダム』の中盤。

なんかひょっとしたら、ちゃんと通しで観るのは初めてなんちゃうかな?

子どもの頃は、あんなにプラモデルに夢中になってたのに、実はちゃんと見たことないって。

世界観だけ把握できたら満足してしまうまっつんスタイルらしい(笑)。

大人になって改めて観ると、不思議なくらい人間の挙動ばっかり目に入るよね。

で、心底思った。

登場人物、全員めんどくさい(笑)。

特に最初に気になったのは、女性キャラ。

Ζなら、

ファ。

エマ。

レコア。

ベルトーチカ。

ロザミア。

フォウ。

サラ。

ハマーン。

今の言葉で言えば、コミュ障というか、メンヘラというか。

もうひどい(笑)。

そりゃ比較的まともな人もおる。

でも全体として、感情の扱いが下手くそなキャラが多すぎる(笑)。

特にベルトーチカ。

「なんでミライさんに、あんな突っかかるん?」

初対面であれはない。

ちょっと病的ですらある(笑)。

初めて観た時も、

「なんやねんこいつ!」

って思って、で、大人になって観ても、やっぱり思う。

「なんやねんこいつ(笑)」

でも、途中で気付いちゃった。

「いや待て、男も全員めんどくさい(笑)」

アムロ。

いつまで拗ねとんねん!

どうしたいねん?(笑)

カミーユ。

繊細なんか知らんけど、感情に飲まれすぎ。

最後は壊れる・・・。

ジェリド。

劣等感と野心がアンバランス。

カミーユにこだわりすぎ。

シャア。

ララァへの執着、いつまで引きずっとんねん!

『逆襲〜』では、ついにキレちゃった(笑)。

シロッコ。

能力抜群。

でも、自尊心が宇宙規模(笑)。

カツもそう。

ハサウェイもそう。

とにかくみんな、自分の感情をうまく扱えない。

改めて並べてみると、Ζガンダムって、めんどくさいやつしか出てこん(笑)。

登場人物がことごとくめんどくさい。

うっとおしい(笑)。

これって、富野氏は何を描きたかったんやろか?

たぶん、ていうか相当意図的なはず。

これはまっつんスタイルの想像やけど、要するに富野氏は、

「人間そのもの」

を描きたかったんちゃうかな。

ガンダムには、「ニュータイプ」っていう概念がある。

めっちゃ簡単に言えば、

「人類が進化した先に現れる、互いを理解し合える存在」

そんな“希望の象徴”。

でも実際に作品を観ると・・・。

誰一人、分かり合えてない(笑)。

ニュータイプ同士ですら、

誤解する。

すれ違う。

嫉妬する。

傷つける。

結局愛し合えない。

これ、考えてみたら、めちゃくちゃな皮肉。

「人は分かり合える」

っていう希望を掲げながら、描かれるのは、

「人は分かり合えない」

っていう現実。

悲しいかなこれって、『ガンダム』っていう作品に通底する世界観よね。

例えば、ニュータイプじゃないけど、さっきも書いたベルトーチカ(笑)。

「なんでミライさんに対してあんなに攻撃的なん?」

これ、考えたらわかる気もする。

つまりあれ、羨ましかったんやないかな。

嫉妬(笑)。

ミライさんって、

自分よりアムロのことを知ってる。

家族を持ってる。

落ち着いていて、包容力がある。

周りから信頼されてる。

そしてどこまでも自然体・・・。

ベルトーチカが欲しいものを、全部持ってる。

対してベルトーチカは、まだ幼く未熟。

だから、羨望や尊敬じゃなく、攻撃になってしまう。

本人も、その感情を言葉にできない。

持て余してる。

結果、よく分からん突っかかり方になる。

ホンマ理不尽。

憐れみさえ感じる(笑)。

でもこういうことって、現実でも結構あるよね。

嫌いやから攻撃するんじゃない。

羨ましい。

悔しい。

でも認めたくない。

だから攻撃する。

攻撃して、相手の存在を否定することで、自己防衛や自己正当化をしようとする。

いやはや、なんとも人間らしい(笑)。

考えてみると、富野作品って、

「執着図鑑」

なんよね(笑)。

アムロは承認。

シャアはララァ。

ハマーンはシャア。

レコアは愛。

シロッコは支配。

カミーユは・・・、怒りと正義感?

みんな、それぞれ何かをこじらせて手放せない。

だから苦しむ。

これって、禅と真逆(笑)。

禅は、

「執着を手放しましょう」

あるいは、少なくとも、

「自分が何に執着しているかを観察しましょう」

って言う。

でもΖガンダムでは、誰一人として手放せない。

感情を観察できない。

“感情そのもの”になってしまう。

だから、いつでもすれ違い、悲劇になる。

そして壊れる・・・。

最初は、

「富野作品って、人間に絶望してるんかな?」

「ニヒリズム?」

とも思ったけど、どうも違う気がしてくる。

人間を嫌ってるわけじゃない。

むしろ、人間っていう生き物を、ものすごく冷静に見てる。

「人間なんて、本来こんなもんやろ?」

そんな諦観に似たスタンス。

理想化もしない。

美化もしない。

でも、見捨ててもいない。

だから逆に、

ブライトさんやミライさんみたいな人が光る。

ニュータイプでもなんでもない。

でも、ちゃんと働く。

ちゃんと責任を果たして、ちゃんと誰かを支える。

実は、一番成熟してる。

ヒーローじゃない。

でも、大人。

富野作品って、派手な主人公やボスキャラより、こういう人たちの方が、ずっと格好良かったりする。

で、ここまで書いて、一つ気付いく。

これ、Ζガンダムの登場人物がめんどくさいんじゃない。

要するに、現実の俺らが、めんどくさい(笑)。

そのことを描いたのがΖガンダム。

嫉妬する。

認められたい。

愛されたい。

分かってほしい。

期待する。

拗ねる。

執着する。

壊れる。

結局、ガンダムっていう物語の中だけの話じゃない。

会社でも、

夫婦でも、

親子でも、

恋人同士でも、

毎日のように起きてる。

だから40年以上経った今でも、Ζガンダムは古くならないんやろね。

ロボットのドンパチアニメと思って観始めて、最後に残るのは、こじらせた人間のめんどくささ(笑)。

でも、そのめんどくささを笑いながら、

「まぁ、人間ってそんなもんか」

って思えるようになる。

富野氏が伝えたかったのは、人類の進歩より、

「人間なんて、そう簡単には成熟せんやろ」

っていうことやったんかもしれんね。

でも、その未熟さを責めるんじゃなく、受け入れながら、それでも生きていく。

そんな、少し苦くて、少し優しい“人間讃歌”が、ガンダムという作品の奥底には流れてるような気がする。

まぁそれでもね、ベルトーチカには、もう少し大人になって欲しいと思うけども(笑)☆


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