「執着」と「執念」の違い 〜禅的に考える、真の強さとエレガンス〜


「執念」って言葉、ちょっと不思議な言葉よね。

どこか怖いニュアンスがある。

狂気を感じなくもない。

一歩間違えば、ホラーとかバイオレンスを連想しそう(笑)。

でも一方、スポーツの世界なんかを見ると、

「執念の〇〇劇」

「執念で勝ち取った〇〇」

なんて、ごく普通に褒め言葉として使われる。

あるいは、

「ほとんど執念やな・・・」

「執念ってすさまじい・・・」

とかいったような、ある種の憧憬や畏怖が滲むこともある。

そう、執念っていう言葉には、恐ろしさと美しさが同居してるんよね。

これって、なかなか珍しい言葉。

今日はこの「執念」っていう言葉の不思議さを、まっつんスタイルなりに掘ってみる。


☆執念と執着は何が違うのか

最初に思ったのは、

「執念と執着って、似てるようで違う」

ってこと。

漢字も似てるし、意味も近い。

でもたぶん、“向いてる方向”が違うんよね。

執着は、

「失いたくない」

っていう思い。

地位、

名誉、

お金、

恋人、

評価・・・。

今あるものを、良く言えば守ろうとする力。

一方で執念は、

「成し遂げたい」

っていう強い思い。

「絶対にあきらめない!」

「絶対に負けたくない!」

「絶対に成し遂げる!」

そんな未来へ向かう力。

どちらも強いエネルギー。

でも、

執着は「守る」。

執念は「進む」。

そんな違いがある気がするよね。


☆人はなぜ執念に惹かれるのか

考えてみると、人が感動する場面には、だいたい執念がある。

スポーツ。

芸術。

研究。

職人。

起業家。

恋愛だってそうかもしれん。

物語の世界だってそう。

「もう無理やろ」

って言われても、

なお前へ進む人。

そんな姿を見ると、なぜか胸を打たれる。

たぶん人は、成功そのものじゃなく、その奥にある“生命力”に惹かれるんじゃないやろか?

「まだ終わらん!」

「まだやれる!」

「まだ生きたい!」

そんな生命の叫び。

だから執念って、ちょっとエロい(笑)。

いや、毎度のこと、これは性的な意味じゃない。

『まっつんスタイル』で言う“エロ”は、

生命の躍動、

何かを生み出そうとする意志、

生きようとする力。

そういう意味で執念って、ものごっつい“生命的”。


☆でも、執念は見せない方が美しい

ただ、ここがおもろいとこ。

内に秘めた執念は、上品で美しい。

そして確実にモテる(笑)。

でも、それが外へ出過ぎると、急に怖くなる。

恋愛でもそうかな。

剥き出しの執念で落としにかかられたら、女子は逃げたくなる(笑)。

仕事でもそう。

「俺は執念で結果を出す!」

みたいな姿を前面に出されると、ちょっと見ていてしんどい・・・。

たぶんアートやエンタメもそう。

「俺はこんなに頑張った」

が作品から溢れてくると、ただ野暮ったい。

きっと本物の執念ほど、静か。

本物ほど、熱を内側に隠してるもの。

まっつんスタイルはそんなふうに思うんだけど、どうかしら?

そう考えると、前に書いた「エレガンス」の正体も、ここらへんにあるんかもしれんね。

エレガントな人は、情熱がないんじゃない。

情熱を周囲に押し付けない。

だから狂気じみていても、どこか美しい。


☆禅は執念を否定しない

ここで少し禅の話。

仏教では、

「執着が苦しみを生む」

と言われる。

でもだからって、

何も望むな、

何も目指すな、

とは言わない。

少なくともまっつんスタイルはそう読んでる。

実際、歴史に名を残した禅僧たちって、ものすごい執念の持ち主やったと思うし(笑)。

悟りたい、

教えを伝えたい、

人を救いになりたい。

そういう思いは、誰よりも熱かったはず。

だから問題なのは、執念そのものじゃなくて、執念に飲まれること。

「もっと!」

「まだ足りない!」

「絶対に!」

こういう火に焼かれてしまったとき、生命力やったものは、終わらない苦しみに変わる。

だから禅は、執念を捨てろじゃなくて、

「執念を観ろ」

って言っているような気がするのよね。

執念を否定するんじゃなく、

「その執念が、自分を苦しめ始めてないか?」

ときどき眺めてみよう、とね。

そう、禅的には、執念も行き過ぎれば、それはまた執着。


☆執念とは、自分の人生を握る力

ここまで考えて、ふと思う。

「執念って、結局なんなんやろ?」

まっつんスタイルなりに一番しっくりきたのは、

執念とは、

「自分の人生をもっと良くしたいっていう思い」

そして、

「自分の人生を、自分の手でグリップしていたいっていう願い」

これなんちゃうかなと。

だから、人は執念に惹かれる。

勝ちたいとか、有名になりたいとか、そんなんじゃない。

その人が、“ちゃんと自分の人生を生きようとしている姿”に、心が動くんやと思う。


☆執念は、人生を動かす

まっつんスタイルもブログを書いてる。

で、記事を書くたびに思うのよね。

「もっと深く伝えたい」

「もっとイケてる文を書きたい」

「もっとおもしろい問いを見つけたい(笑)」

これもある種の執念なんやろう。

だから、執念そのものは悪くない。

むしろ、人生を前へ進めてくれる力やと思う。

ただ、その執念が、いつしか自分の思考や行動を縛って、

「書かねば!」

「休むわけにはいかん!」

「まだ足りひん!」

いつの間にか、そんな“終わらない苦しみ”に変わってないか?

そこだけは、ときどき立ち止まって眺めなあかんなと思う。


☆執念と覚悟は何が違うのか

ここまで書いて、もう一つ。

執念と似た言葉に、「覚悟」ってあるよね。

この二つも、似ているようで少し違うかなって。

まっつんスタイルなりに言葉にすると、

執念は、燃え続ける炎。

覚悟は、静かに腹を決めた状態。

執念には熱がある。

「絶対にあきらめない!」

「絶対にやり遂げる!」

そんな前へ前へ進もうとするエネルギー。

一方で覚悟には、不思議と静けさがある気がする。

「もう迷わない」

「結果がどう転んでも受け入れる」

「今、やるべきことをやるだけ」

そんな落ち着いた強さ。

だから本当に強い人って、執念だけじゃなくて、覚悟も同時に持ってたりすんのかなって。

めっちゃ燃えてる。

でも、騒がない。

めっちゃ熱い。

でも、静か。

なんかこの、相反する対比が好き(笑)。

これもまた、エレガンスかな。

情熱がないんじゃない。

情熱を振り回さない。

その、自制されてる姿が美しい。


☆まっつんスタイル的「執念」

執念は、人生を動かす。

執着は、人生を縛る。

でも実際、その境界ってめっちゃ曖昧なもんかも。

だから大事なんは、執念を持つことじゃなく、“執念に持たれない”こと。

心の奥では、誰よりも熱く。

でも、表面は飄々と。

燃えてることを、わざわざ見せびらかさない。

そんな静かな執念を持った人に、まっつんスタイルは惹かれるよね。

たぶん、それが本当の強さなんやと思うから。

あとまっつんスタイル的には、心の奥で静かに燃えながら、最後にはこう笑えたらええとも思う。

「ま、えっか(笑)」

ってね☆


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