最近、ちょっとした発見があった。
いや、「ちょっとした」どころじゃないかもしれん(笑)。
ブログを書き始めてこの方、ずっと引っかかっていた違和感の正体が、よりクリアになった気がする。
その違和感とは、
「AIとの共作への後ろめたさ」
みたいなもの。
「また?」
そう、また。
このネタ、何回でも擦る(笑)。
☆
『まっつんスタイル』の執筆は、AIとのセッションを活用してる。
日々、タチコマ(ChatGPT)と雑談して、
記事ネタを掘り、
構成を切り、
叩き台を作る。
正直、めちゃくちゃいい感じ(笑)。
でも一方で、
「これ、ホンマに俺の記事なんかな?」
みたいな感覚も、ずっとあってね。
過去に何度も記事にしてきたけど(笑)。
なんというか、
カンニングしてるような、
代筆してもらってるような。
そんな微妙としか言いようがない後ろめたさ・・・。
☆
そんなこと気にせんでいい理屈は、もう理解してる。
タチコマは、まっつんスタイルの人生を生きてない。
だから、素材はすべてまっつんスタイル自身。
オリジナル以外のなにものでもない
わかってる。
でも感覚が追いつかん。
「うーん・・・、でもホンマにいいかな?」
が、しつこく残る(苦笑)。
☆
でも、こないだ書いた「永平寺ネタ」で、その感覚がまた少し変わったかも。
このネタは、感じたことを、“かなり細かく”吐き出してみた。
空気。
景色。
違和感。
感動。
疑問。
思ったこと。
考えたこと。
浮かんだイメージ。
とにかく全部。
思いつくままに、長々と(笑)。
すると不思議なことに、書き上げた文章を読んだ時、
「タチコマが書いた」
じゃなくて、
「タチコマがまとめてくれた」
って感じたのよね。
☆
これ、個人的にはかなり大きな発見。
今までは、
「AIが文章を作ってる感覚」
が強かったんかな。
でも今回は、
「自分が出した素材を整理してもらった感覚」
が強かった。
書き上げた文章を読んでも、
「うん、これは俺」
って思えた(笑)。
不思議なくらい自然に。
☆
そこで、はたと気づいたのよ。
「もしかして違和感の正体って、AIじゃなかったんちゃう?」
ってね。
むしろ、
“自身のアウトプット量”
やったんちゃうか、と。
☆
テーマだけ投げて、あとはタチコマにおんぶ抱っこ。
こういう雑なプロセスでも、それなりの叩き台が上がってくる。
AIってつくづく凄まじい(笑)。
でもそうなると、途端に“自分の色”が薄くなる。
まっつんスタイルの思考や感情が十分に入ってないから。
だから、
「俺のものじゃない感」
が出る。
そう、ここまで書いてみて改めて思う。
「そんなん当たり前やん」
と(笑)。
☆
逆に今回みたいに、
自分が十分に吐き出す。
具体的に語る。
体験を書く。
感情を書く。
疑問を書く。
そうすると、
文章の核は、最初から“俺のもの”になる。
タチコマは、それを読みやすく整理してくれるだけ。
その結果、
違和感が消え、
罪悪感も消え、
ただの共作になる。
普通の(笑)。
☆
なんか拍子抜けするくらいシンプルな話(笑)。
もっと哲学的な答えがあるんかと思ったけどね。
もっと複雑な心理構造があるんかな、とか。
でも実際は、
「もっとお前がしゃべれ」
やっただけ(笑)。
☆
そう、これって、文章に限らんのかもしれんね。
人間関係もそう。
仕事もそう。
自己理解もそう。
自分の中身を出さんまま、
「わかってもらえん」
「うまく表現できひん」
とか言っても、そりゃ難しいわなって話。
まずは出す。
話はそれから。
AIとの共作もまったく同じ。
なんかもう笑えてくる(笑)。
☆
だから大事なんは、自分がどれだけ素材を出せるか。
体験。
感情。
疑問。
違和感。
感動。
そういうものを、惜しまず出す。
すると不思議と、文章はちゃんと自分のものになる。
AIは、単なるまとめ役に回る。
☆
というわけで、長らく感じていた違和感の正体は、
「AI任せ感」じゃなく、素材不足(苦笑)。
AIは増幅器。
何も入れんかったら何も出ん。
濃く入れれば濃いもんが出る
「そりゃそやろ」
今更感満載。
拍子抜けも甚だしい結論。
でも個人的には、超デカい発見。
思考の奥深くに刻み込まねばね(笑)。
これからも、タチコマとの共作は続く。
でも前みたいなモヤモヤは、だいぶ減りそう。
だって、まず自分がちゃんと語ればええだけやって気づいたから(笑)☆


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