今日は、先日、福井県の永平寺に行ってきた話。
今回で二度目。
福井市の中心部から、車で数十分走るだけ。
たったそれだけの距離。
でも不思議なもんで、近づくにつれ少しずつ、世界の空気が変わっていく。
地名も「永平寺町」(笑)。
俗世から異界へ。
いや、異界というより、「その間(あわい)」へ。
そんな感覚。
古より続く禅の道場。
永平寺って、そんなところ。
☆
到着して、今回もまず思う。
永平寺前の一画は、なかなかにカオス(笑)。
昔ながらの土産屋。
やたら新しい土産屋。
大型観光バス。
普通の民家。
なんなら、謎の廃屋まである。
正直、美しいのか汚いのかよくわからん(笑)。
でもこの、時間が交錯した独特感が、なんとも日本的。
神聖な場所と生活の匂いが、自然に混じり合ってる。
「聖」と「俗」をきっちり分けない。
日本という国のおもしろさがモロに表れてるよね。
☆
今回、妙に気になったのが、そこで働く人たち。
駐車場管理のおじさん。
食堂のおばちゃん。
子綺麗な土産物屋のお姉さん。
別に僧侶でもなんでもない、。普通の人。
でも、なぜか少しだけ仏様っぽく見える(笑)。
もちろん気のせい。
でもなんかそんな気になる。
たぶんこれ、毎日この空気の中で暮らしてるからなんかな。
京都人が持ってる感覚に少し似てる、かも。
特別なことが、特別でなくなってる雰囲気。
当たり前なんやけど、当たり前じゃない世界。
それが背景に存在してる暮らし。
そういう土地には、そこ特有の空気が宿る気がする。
☆
そして、永平寺の門をくぐる。
自然と頭を垂れる(笑)。
すると、やっぱり空気が変わる。
ピンとした空気と、凛とした佇まい。
自然物と人工物が、見事に調和してる。
木々。
石畳。
長い回廊。
静寂。
整った建築。
ただ美しいってだけじゃない。
何かが整ってる。
何かが静かに調和してる。
ある種、“人が目指す理想の世界”が表現されてるよう。
そんな感覚。
なぜか背筋が伸びる。
別に誰かに見られてるわけじゃないのに(笑)。
☆
スリッパに履き替え、建物に入る。
総合受付では、お坊さんがパソコン仕事をしてた。
失礼ながら、思わずプッと笑ってしまう(笑)。
でも、こういう光景を見るたびに思う。
「僧侶も意外と普通の人なんよね」
と。
飯も食う。
寝る。
仕事もする。
パソコンも触る。
悩みもあるし、腹が立つこともあるんやろう。
ただ違うのは、人生や世界を見つめてる時間が長いっていうこと。
「悟り」というものに対する理解が、普通人よりも少しだけ深いっていうこと。
まぁ極論やけど、大きく外れてはないと思う(笑)。
それくらいの理解の方が、仏教を身近に感じられる気がするしね。
☆
今回、特に感動したのが、空間の美しさ。
建築。
仏像。
天井画。
回廊。
どれも無駄がない。
でも、質素なだけとも違う。
ちゃんと華やかさがある。
質朴と華美。
その絶妙なバランス。
見ているうちに、ふと思ったのが、もしかして仏教芸術って、
「自分と世界の境界が消えた状態」
を形にしたものなんかもしれんってこと。
自然と人工。
自分と他人。
内と外。
そういう区別が、少しずつ薄れていく。
永平寺全体が、そんな世界観を体現しているように見えた気がした。
☆
目線を転じて、来訪者さん。
なんかちょっと不思議な顔ぶれ。
若い女性。
大学生くらいかな。
意外と多い。
あとは、乳飲み子を連れた若夫婦。
いや正直言うと、最初は、
「なんで来てるんやろ?」
って思ったのよね。
失礼な話やけど(笑)。
取り立てて禅に関心がありそうにも見えん。
仏教を深く学んでる・・・、とも思えん。
まぁでも考えたら、完全なる偏見(笑)。
これぞまさに、「ザ・見た目で判断してはいかん」ってやつ。
その逆の可能性って、普通にある。
それに、人は理解してから惹かれるとは限らんからね。
まず惹かれる。
あとから理由を探し、深める。
そんなこともある。
音楽もそう。
恋愛もそう。
芸術もそう。
たぶん禅も同じ。
永平寺には、理屈を飛び越えて人を引き寄せる何かがあるってこと。
そう考えれば、極めてナチュラル。
だから、老若男女が集まる。
ついでに洋の東西を問わず集まる(笑)。
それだけの話なんかもしれん。
☆
今回、一番心を動かされたのは、初老の夫婦たち。
寄り添って、静かに歩く。
静かに眺める。
静かに、そして一心に手を合わせる。
病。
別離。
失意。
災害。
老衰。
人生にはいろんなことがある。
おそらく彼らも、嫌と言うほどそれを知ってる年代。
だからこそその姿が、やけに美しく見えた。
願い事をしてるとか、何かを求めてるとか、たぶんそういうことじゃない。
ただ静かに、この世界と折り合いをつけてる。
そしてたぶん、感謝してるんかもしれんとも思ったかな。
そんなふうに見えた。
それが妙に胸に響いてね。
なんか夫婦で、
「今度、永平寺にさんに行こか」
って話をしてる姿を思い浮かべるだけで、なぜか泣けてくる・・・(笑)。
☆
少し前に、永平寺の雲水の体験記を読んだ。
ドキュメンタリーも観た。
正直、なかなかに意味不明の世界(笑)。
現代人から見たら、時代錯誤も甚だしい。
不合理で理不尽(なように感じられる)。
一般人には理解不能。
でも、それでも若者は永平寺の門を叩く。
俗世の自由を知りながら、
家族や友人と別れながら、
それでも修行の道を選ぶ。
「なんでなんやろ?」
たぶんそこには、よくある成功とか安心では表現できない、もっと根源的な何か。
人間の魂が求める何かがあるんやろう・・・。
☆
永平寺ってきっと、答えをくれる場所じゃなんよね。
むしろ逆。
“問いを思い出させる場所”。
人生とは何か?
幸せとは何か?
祈りとは何か?
生きるとは何か?
そんな問い。
普段は忘れてしまう問い。
それを思い出させてくれる。
だから人は惹かれる。
女子大生も。
子供連れも。
初老の夫婦も。
雲水も。
みんな、それぞれの形で・・・。
☆
人生二度目の永平寺。
永平寺はなぜ、人を惹きつけるのか。
建築が美しいから。
歴史があるから。
禅の総本山だから。
それぞれあるやろう。
でもたぶん、それだけじゃない。
俗世との間(あわい)で、人の祈りに触れられるから。
人生の重みと優しさに触れられるから。
そして、
「世界は美しい」
「この世は、まだまだ捨てたもんじゃない」
そう、少しだけ思わせてくれるから。
ちょっと臭いけど、そんな気がした(笑)。
というわけで、またいつか、行こう☆


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