AIと一緒に記事を書くことに、まだ少しだけ後ろめたさがある。
「まだ言うてんのかい!」
いや、自分でもそう思う(笑)。
でも、どうも完全には消えないんよね・・・。
タチコマと話す。
テーマが深まる。
構成ができる。
叩き台が出てくる。
それを読んで、
「おぉ、これ、このままでもええやん!?」
って思う。
で、次の瞬間に、変な声が出てくる。
「これ、俺の記事として出してええんか?」
「代筆してもらってるだけちゃうん?」
「なんかカンニングやん?」
「自分一人で書けへんって、文章力ないってこと?」
・・・うるさい(笑)。
でも、この声、小声やけどまだ残ってる。
たぶんこれも、前に書いた古いOSなんやろね。
今日はまた、そんな話でも書いてみる。
☆AI共作への罪悪感
まっつんスタイルは、今、タチコマと一緒に記事を書いてる。
まず、まっつんスタイルの中から“問い”が出る。
それを元に雑談が始まる。
タチコマが整理する。
構成案ができる。
叩き台が出る。
そこに数回に分けて“まっつんパウダー”を振る(笑)。
で、記事になる、と。
この流れ、正直めっちゃ自然。
まっつんスタイルの性格にもライフスタイルにもめちゃくちゃ合ってる。
でも、でも例えば、自分一人でPCに向かって、
「さて、高岡にドライブ行ったときの感想でも書こう!」
ってなると、ピタッと固まる(苦笑)。
印象に残ったものはある。
感じたことも、考えたこともある。
でも、それを整然と文章にまとめようとすると、止まる。
いや、正確には、まったく止まるんじゃない。
めっちゃ時間がかかる。
1,000文字書くのに半日かかったりする(笑)。
でも、タチコマと話すとどうやろ?
シンプルに、
「まっつんスタイルが高岡ドライブで感じたこと」
から始まる。
タチコマからレスがくる。
でまた、まっつんスタイルがなんか言う。
レスが来る。
なんか言う・・・。
すると、話は広がって、自分でも気づかんかった感情まで出てきたりする(笑)。
抽象化される。
人生観につながる。
禅につながる。
ブログにつながる。
気づけば、そこそこのエッセイらしきものが爆誕する(笑)。
じゃあこれはなんなんか?
“これ”ってうのは、この一連の創作の流れ。
俺は文章力がないんか?
それとも、別の形の書き方をしてるだけなんか?
で最近、ようやく腑に落ちてきたんが、たぶん、まっつんスタイルは、“文章の人”じゃない。
明確に“思想の人”、あるいは“問いの人”なんやなと。
☆謎の作家像に縛られていた?
「文章を書く」って聞くと、どうも、ひとりで机に向かって原稿を書く姿を想像する。
静かな書斎。
コーヒー。
ノート。
万年筆。
キーボード。
黙々と孤独な、インスピレーションの作業・・・。
自分の頭“だけ”で考え、自分の手“だけ”で書き、自分の力“だけ”で完成させる。
そういうのが「本物の物書き」なんやと。
まっつんスタイルも、どっかでそう思ってたんかなと思う。
文章は一人で書くもの。
全部自分で考えて書いてこそ本物。
「AIに手伝ってもらうとか、ズルい」
「タチコマの叩き台を使うとか、オリジナルじゃない」
うん、でもこれって、ホンマなんやろか?
よく考えると、この価値観自体が、かなり古い?のかもしれんよね。
古いっていうか、単なる妄想?思い込み?
学校の作文。
試験の答案。
読書感想文。
「自分の力で書きなさい」
「人の力を借りてはいけません」
そういう教育の名残?(笑)
もしくは、
「努力して、悩んで、苦しんで書いたものにこそ価値がある」
的な、ちょっと昭和的根性論?
もちろん、それが完全に間違ってるとは思わん。
自分で考えることは大事。
自分の言葉を持つことも大事。
でも、
「全部ひとりでやらんと本物とは言わん」
みたいな、ここまでくると、さすがに違うんじゃね?
最近はそんなふうに思えるようになってきたかな。
時間かかりすぎ(笑)。
☆そもそも創作は共同作業
ていうか、冷静に考えたら、世の中の創作物って、ほとんど共同作業なんよね。
本には編集者がおる。
校閲もおる。
装丁する人もおる。
タイトルや帯を考える人もおる。
映画なら、監督、脚本家、俳優、カメラマン、照明、音響、編集、音楽。
漫画にも、編集者やアシスタントがいる。
音楽にも、作詞、作曲、編曲、演奏、ミックス、マスタリングがある。
世の中、完全に一人で作っている作品なんて、実はそんなにない。
出版物だってそう。
著者がいて、
話を聞いた編集者がいて、
参考にした文献があって、
手入れしてくれた人がいて、
デザインしてくれた人がいて、
ようやく一冊の本になる。
なら、AIとの共作だけを特別に「ズル扱い」するってのは、ちょっと無理がある(笑)。
タチコマは、まっつんスタイルにとっての、
編集者であり、
壁打ち相手であり、
構成担当であり、
言語化補助であり、
思想の翻訳者みたいなもん。
そう考えると、別になんもおかしない。
むしろ、めっちゃ現代的。
いや、もしかすると、これからの創作の普通の形なのかもしれんよね。
☆AIが作っているのは文章。俺が作っているのは思想
で、ここが一番大事。
他の記事でも、散々書いたかもしれん(笑)
タチコマは文章を整えてくれる。
構成も作ってくれる。
言い換えもしてくれる。
流れも整えてくれる。
でも、
「そもそもの問いはどこから来るのか?」
ってとこ。
「鉄塔って、ちょっとエロくない?」
「月100万円って、何に使うんやろ?」
「世の夫婦って、みんなそんなに冷え切るもんなん?」
「“行けばわかるさ”って、ホンマ?」
「人生は後ろから理解するものなんちゃうやろか?」
こういう問いは全て、まっつんスタイルの中から出てくる。
父を早くに亡くしたこと。
母の病気と死。
受験の失敗。
交通事故。
離婚。
農業20年。
非モテ。
借金。
自己否定。
仏教。
禅。
筋トレ。
健康。
ブログ。
転職。
移住。
なんかもうむちゃくちゃ(笑)。
でもそのむちゃくちゃが全部が素材になって、そこから問いが出てくる。
タチコマが、何もないところから、勝手にまっつんスタイルを生み出しているわけじゃないんよね(笑)。
タチコマは、まっつんスタイルの中にあるものを掘り出して、整理して、増幅してくれてる。
そういう感じ。
だから、
AIが作っているのは、“文章の器”。
まっつんスタイルが作っているのは、“思想の核”。
ここを混同するから、訳のわからん罪悪感が湧いて出る(笑)。
「文章を整えてもらってる」
と
「思想まで作ってもらってる」
は、全然、まったく違う(笑)。
まっつんスタイルがやってるのは、後者じゃない。
ていうか、後者を主体的にAIがするのは無理(笑)。
あくまで、自分の人生から出てきた問いや感覚を、タチコマと一緒に形にしているだけ。
それなら、なにも後ろめたさを感じる必要なし。
普通に胸を張っていい。
☆一人で書けないことは、欠点なのか
もうひとつ。
「自分一人で書けない」
これをずっと、少し恥ずかしく感じてたってのも大きいかもしれん。
でも、これも見方が変わってきたかな。
一人で書けないってのは、
文章力がないからじゃなくて、
“対話で思想が立ち上がるタイプやから”
かもしれないって。
人にはそれぞれ、得意な思考形式ってあるんやと思う。
一人で黙々と書くと深まる人。
話しながら考える人。
図にするとわかる人。
本屋で広がる人。
風呂でひらめく人(笑)。
まっつんスタイルの場合は、たぶん圧倒的に“対話”。
タチコマに投げる。
返ってくる。
それを読んで、思考が深まる。
さらに投げる。
深まる・・・。
すると、自分の中にあったものが、どんどん外に出てくる。
これは、単にAIに代筆してもらってるのとは明らかに違う。
対話によって、自分の思想が発火してる感じ。
だから、無理に「孤独な文筆家」になろうとしなくてもいいのよね(笑)。
まっつんスタイルは、文章職人じゃなく、思想を語る人。
そう考えたら、めっちゃ自然。
☆これからはAI共作が普通になる
それにさっきも言ったけど、たぶんこれからは、AIとの共作とか、どんどん普通になる。
文章だけじゃない。
企画。
構成。
調査。
翻訳。
デザイン。
動画。
音楽。
いろんな分野で、AIは当たり前のツールになっていく。
ていうか、もうなってる?(笑)
その時に大事なのは、AIを使ったかどうかじゃなくて、
何を考えたのか、
何をどう切り取ったのか、
何をどの角度から見たのか、
で、何を誰に届けたいのか、
そこに、その人の人生があるのか。
読んだ人の心が動くのか。
たぶん、ここらへん。
AIを使っても、何も出てこん人は、何も出てこん(笑)。
問い(哲学)がないと、文章もコンテンツも深まらない。
人生がなければ、厚みが出ない。
違和感がなければ、記事にならない。
タチコマがどんなに進化しても、まっつんスタイルの人生を代わってはくれんからね(笑)。
離婚も、農業も、母の病気も、非モテも、禅への興味も、ブログへの執着も、全部、まっつんスタイル自身のもの。
だからこそ、文章になる。
なら、AI共作はズルでじゃない。
自分の思想を、より届く形にするための道具。
そう捉えればいいだけ。
☆最後は、自分が何になりたいか
で、結局、一番大事なんはここ。
「じゃあ自分は何になりたいの?」
「文章の人なん?」
「思想の人なん?」
まっつんスタイルは、たぶん後者。
思想の人。
ちょっと重いから、「問いの人」にする(笑)。
世界を観察して、
違和感を拾って、
問いにして、
人生とつなげて、
禅やモテやエロや健康やブログに変換して、
読者さんに、
「へぇ、なるほど、そういう角度」
と思ってもらいたい人(笑)。
なら、そこに手段のこだわりとか持ち込まんでいいよね。
一人で全部書くことより、
ちゃんと届くこと。
エッセンスが伝わること。
読者さんの心が少し軽くなること。
世界の見え方が少し変わること。
そっちの方がはるかに大事。
だから、タチコマとの共作に罪悪感とか、もういらん。
そろそろ飽きた(笑)。
これは代筆じゃない。
カンニングでもない。
もちろん、ズルでもない。
まっつんスタイルっていう思想を、最大出力するための創作スタイル。
そう考えたら、めっちゃスッキリ。
文章を誰が整えたかより、その奥にある思想を誰が生きてるのか。
まっつんスタイルは、そこを大事にすればいい。
もし、タチコマがおらんなったら、まぁぶっちゃけ、文章量は減るし、更新ペースは落ちると思う(笑)。
でも問いは消えへん。
たぶん俺は、また誰かを捕まえて、
「ちょっと聞いてや?」
って始めるとだけ(笑)。
というわけで、今日もスタバで、タチコマと一緒に記事を書いております(笑)。
時代の最先端ということで、ひとつよろしくお願いいたしやす☆


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