歴史は誰の視点で見るかで変わる 〜チャーチルの評価から読む歴史の正解?〜


映画『ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男』を観た。

なるほど、主演のゲイリー・オールドマンの熱演はお見事。

対戦当時の背景描写も妙に生々しく、そして美しい。

ドラマとしてもおもしろかった。


が・・・。

あれを史実だと言われると・・・、ちょっと疑問符。

多分に個人的歴史観が介在するのだけれども、あまりに局所的解釈が過ぎるかなぁというのが正直なところ。


チャーチルは、ナチスから世界を救った英雄。

うん・・・、まぁそういう一面も真実かもしらん。

1940年、ドイツが欧州を席巻し、イギリスが孤立したあの局面。

降伏を選ばず抗戦を選んだ判断は、歴史の分岐点やったのは間違いないやろう。

でも、映画を観終わって残った感覚は、賞賛や感動というより、・・・微妙な違和感。

「・・・で、イギリスは勝ったんか?」


ナチスからブリテン島は守った。

でも、大英帝国は消えたよね?

戦後世界は米ソのものになったよね?

これはイギリスの“勝利”と言えるんやろか?

チャーチルって、あそこまで賛美されるほどの英雄か?


ここで、今更な問いが浮かぶ。

「歴史って、誰のどの視点で見るかで、いかようにも解釈できるんじゃね?」


☆ミクロ的英雄?マクロ的売国奴?

チャーチルという政治家を評価するとき、時間のスケールがズレると印象が真逆になる。

1940年という“その瞬間”だけ見れば、たしかに英雄かもしらん。

降伏していたら、イギリス本土は終わってた可能性が高い。

国民の士気を維持して、国家を存続させたと言えなくもない。

でも、20世紀後半まで引いて見るとどうなるか?

大英帝国は解体。

世界の覇権の半分は、小馬鹿にしていたアメリカ合衆国に持っていかれ、もう半分はソ連圏に。

そして冷戦時代へ・・・。

つまり、国家の生存はかろうじて守ったけど、帝国の未来を失い、世界に共産主義の跋扈を許した・・・。


ここで妙な現象が起きるよね。

同じ人物が「国家の救世主」にも「帝国の終わりの責任者」にも見えるっていう。

一人の成功が、国家の敗北になる、なんてよくわからんけど、歴史は、こういうねじれを普通に起こすわけ。


☆もっとやりようがあったんちゃう?

ここで、まっつんスタイルなんかはこう考えちゃう。

「もっと別の道はなかったんか?」と。

日英同盟を復活できたんちゃう?
アメリカを抑えられたんちゃう?
もっとソ連を警戒すべきやったんちゃう?

つまり、「大英帝国の衰退と、共産主義の蔓延を回避できた未来」を探し始めるわけ。

これは歴史好きの「if思考」みたいなもんやけど、実はかなり人間的な反応やとも思うよね。

人は、わからないものをわかろうとする生き物。

回避可能だったと思えれば、世界をもう一段深く理解できるから。

逆に、回避不能やったで思考停止してしまうと、救いがないし歴史を学ぶ意味もない。

歴史の真実を考えるとき、人はそこに“安心”を求めたりするのかもしらんね。


☆選択じゃなく条件?

ただまぁ、一回冷静に立ち止まってみる。

「指導者は未来を選んでるのか?」っていうと、実際はかなり違ったりするのかも。

国力
資源
世論
外交関係
時間制限

選択肢は、ほぼ環境が決めてることが多いのも事実。

指導者が選ぶのは、“理想の未来”じゃなくて、“選べる中で最もマシな現実”。

チャーチルも例外じゃなかったんやろう。

彼が動かした歴史の多くは、彼の意思というより、状況の圧力に近いっていう捉え方もできる。

「歴史は、英雄が動かすんじゃなくて、条件が人物を通して現れるもんかもしれん」ってこと。

このことは、一応認識しておこうかなと思う。


☆それでも評価を下したくなる

人は、何事に対しても「正しかったか間違っていたか」を、やたら決めたがるもの。

かくいうまっつんスタイルも、少なからずイデオロギーの影響や、個人的な思想信条はある。

というか、濃淡はあってもそれが無いって人はいないやろう。


人って、「世界には“正解”があってほしい」って思うもんやからね。

歴史に正解があるなら、自分の人生にも正解がある気がするからさ。

英雄と悪役に分けられるなら、自分も安全な側に立てる気がするわけで。

だから歴史を判定したがる。

そういう側面はあるかもね。


でも実際の歴史は、わかりやすい裁判にならないもの。

そこにあるのは、最善でも最悪でもなく、ただ、“選択不能な状況”の連続でしかなかったりするわけやけど。


☆歴史に学ぶとは何か?

「歴史に学ぶ」って言葉がある。

でもそれは、必ずしも正解を知ることじゃなくて、むしろ逆かもしれんって思うよね。

つまり、「正解が存在しなかった状況を理解すること」かもしれんってこと。

そういう捉え方もできる、と。

こんなふうに考えると、心の中で不思議なことが起きる。

他人を断罪しにくくなるとか、自分も責めすぎなくなるとか。

「あのときの自分にも、選択肢は多くなかった」

なんかそんなふうに思えるようになる。

これってもしかしたら、歴史を学ぶことの効能かもしれんね。


☆モテエロZEN的?

じゃあチャーチルの判断は正しかったんか?間違ってたんか?

それはおそらく、「分からない」。

まっつんスタイル個人の解釈はできるし、ある。

でもそれはあくまで主観であってね。

事実はあっても、実際の評価は無数。

そして、人間の評価に100点も0点もない。

最終的には、その人の「審美眼」による解釈やったりする。

で、それでいいとまっつんスタイルは思う。


歴史を見てると如実。

人間は、あとから意味を作る生き物やってこと。

歴史は出来事の集合じゃなくて、解釈の積み重ねやったりするわけ。

なんとなくモテエロZEN的じゃね?(笑)


☆モテエロZENの落ち

・エロ:人は解釈せずにはいられない。人は常に意味を求め続ける生き物(生きる衝動)。

・モテ:やたら善悪を声高に叫ぶと嫌われる。単純な善悪に分けない人は信頼される(人の魅力)。

・ZEN:世界は解釈の上にしか存在しない。そしてその解釈は常に変化するもの(世界の見方)。


歴史は裁判みたいなものじゃないし、過去の人物に絶対的評価もない。

自分の心が、どんな物語を欲しがっているかを映す鏡。

それが歴史やったりする。


今回の「チャーチルをどう評価するか?」。

それは、単純な歴史観じゃなくて、まっつんスタイルの生き方の態度を語ってるのかもしれんね☆


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