現代はまさに動画の時代。
YouTube。
TikTok。
Instagram・・・。
分からんこと、知りたいことがあれば、とりあえず動画を見ればいい。
料理も、筋トレも、語学も、投資も、ほとんど動画で学べる。
しかもすでに、フツーの一般人が、動画を撮って、編集して、発信までできてしまう。
誰でもが芸能人みたいになれる可能性があるという。
なにを今更かもしれんけど、考えてみればどえらい時代になったもん。
一方、
「てことは、文字はもう読まれない?」
「文章読むとかコスパ悪いし・・・」
「ブログ? なにそれ?(笑)」
そんな言葉を聞くことも珍しくなくなった。
まぁたしかにそうかも。
じゃあもう文字媒体って、完全に価値を失った?
そこで、ちょっと頭の体操。
「夕暮れの帰り道、男はたい焼きを一口かじった」
さて、どんな景色が浮かんだ?
男の顔は?
年齢は?
どんな服装?
たい焼き屋は、どんな店?
たぶん、これを読んだ人それぞれで、微妙に違うと思う。
でも、同じ場面を動画で見せられたらどうやろ?
男の顔も、服装も、店の雰囲気も、もう決まってる。
・・・あれ?
もしかして文章って、読者にも作品を作らせてるんちゃうか?
今日はそんな話から、ちょっと「文章」の価値を探ってみる。
☆動画は世界を見せ、文章は世界を共創する
動画と文章の違いを、もうちょっと掘る。
まっつんスタイルは、なんとなくこう考えてみた。
動画は世界を見せる
文章は世界を共創する
動画は、ある程度完成された世界。
作者が見せたい景色を、そのまま受け取る比率が高い感じ。
一方、文章はそうじゃない。
文字しかない。
だから読者は、“自分で補完する”。
声を作る。
表情を作る。
匂いを、温度を、景色を作る。
同じ文章でも、人によって見えてる世界が違う。
同じ物語でも、読者によってまったく違う作品になる。
千人読めば、千通りの物語ができる。
おそらくこれが、文字媒体が持つ“無二の凄さ”なんじゃないかね。
☆想像力という最強の映像装置
人間の脳って不思議なもんで、文字を見るだけで勝手に映像を生成する。
小説を読んでる時、俺らは文字を読んでいるつもりで、実際には映画を観てる感覚に近いんよね。
しかもその映画は、世界に一つしか存在しない、自分だけの映画。
だからこそ、小説は映像化されると、賛否が分かれる(笑)。
「思てたんと違う・・・」
そんな感想が飛び交う。
そりゃまぁ当たり前。
読者一人ひとりの脳内に、すでに完成版が存在してるから。
例えば、もし村上春樹がYouTubeで自作を朗読し始めたらどうやろ?
いや、そりゃ一回くらいは観ると思う(笑)。
でも、作者本人の顔や声が目の前に現れる。
その瞬間、まっつんスタイルの中で育っていた作品世界に、別の景色が入り込んでくる気もする。
それはそれでおもしろいんやろうけど、たぶん俺は、しばらくしたら本を開き直す。
自分の中にある、あの景色に戻りたくて。
そう、だから文章って、想像力を起動する装置でもあるんよね。
あと文章って、読んでるようで、実は“作業”してるとも言えるかも。
文字を追う。
意味を組み立てる。
映像を想像する。
感情を補完する。
読書は意外と、忙しい。
これ、「ラジオドラマ」もそうかも。
一方で動画は、まんまを受け取る比率が高い。
だから、なんというか、簡単?
楽?(笑)
でも楽やからこそ、深く心に残らないこともある。
このあたりの違いも、まだまだ文字媒体が生き残る理由なんかもしれんと思うよね。
☆Testosteroneさんは、なぜ文字が強いのか
これって文学だけの話じゃない気もする。
例えば、筋トレ界隈で絶大な人気を誇る、Testosteroneさん。
Xでの影響力なんかは圧倒的。
書籍もバンバン売れてる。
でもYouTubeは・・・、その影響力ほど伸びてない印象がある。
あくまで印象(笑)。
これはじゃあなぜか?
これもまっつんスタイルの主観やけど、たぶん
「言葉の力が強すぎるから」
やと思う。
「筋トレとプロテインで、全ての悩みは解決します! 本当です!」
たったこれだけ(笑)。
でも刺さる。
これってどういうことかというと、
人は文字を読む時、自分の声で読むから
なんちゃうかなと。
自分の声で再生された言葉は、自分の考えのように感じられる。
でこれ、動画やとそうはいかん。
そこにあるのは、“他人の声”。
この違いって、実は想像以上にデカい気がするんやけど、どやろ?
☆情報量が多いほど優れてるわけでもない
動画は、視覚にも聴覚にも訴えられる。
だから文字は、情報量だけ見れば圧倒的に不利なのは間違いなさそう。
(何をもってして“不利”なのかは、ここでは触れない(笑))
それでも文字は生き残ってる。
これまたなぜか?
それはきっと、
人間は、情報量そのものに感動してるわけでも、したいわけでもないから
かなと。
人間が感動するのは、意外と「余白の部分」やったりする。
自分で考える余地。
想像する余地。
解釈する余地。
意味を見つける余地。
余白があるから、人はその物語の世界に参加できる。
で、文字や文章は、
その余白を最も多く残してくれるメディア
このことは、もっと認識されていい価値なはず。
☆YouTube時代だからこそ文字が輝く
動画はこれからも伸びるんやろう。
ショート動画も増えるやろう。
AIの進化で、さらに加速するかもしれん。
頭を使わんくても、“快”だけを手軽に享受できる。
あの魅力は、たしかに凄まじい。
でも同時に、人は疲れる。
刺激の強さに。
情報の多さに。
速度の速さに・・・。
だからこそ、静かに文章へ戻る人も、また増える。
願望であり妄想(笑)。
でもまっつんスタイルは、わりと本気でそう思うけどね。
文字媒体は効率が悪い。
(何をもって“効率が悪い”かは、ここでは触れない(笑))
時間もかかる。
でもその、
不便さの中にしかない価値
って、確実にあると思うから。
☆だからまっつんスタイルは、今日もブログを書く
「文字媒体は、“オワコンメディア”?」
いや、知らん。
ていうか、まっつんスタイルは、「オワコン」って言葉が好きじゃない。
この言葉は、どうもリスペクトを欠いてる。
まぁそれはいい(笑)。
文字媒体はむしろ、
人間という生き物に、最も深く接続できるメディア
やと思ってる。
動画は見せる。
文章は生み出させる。
これは、どちらが上とか下とかじゃなくてね。
ただ、「世界を共創する」という一点において、文章は今も圧倒的な力を持ってる。
これはもう間違いない。
「間違いない」とか言うのは避けがちなまっつんスタイルやけど、今日は言っていいやろ。
「間違いない!」(笑)
さて、冒頭のたい焼き男。
どんな顔をしてた?(笑)
まっつんスタイルは、あえて正解を用意してない。
その景色は、読んでくれた人のものやからね。
だから今日も、ブログを書く。
誰かの頭の中に、自分では見たこともない景色が生まれることを楽しみにしながら☆


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