現代はまさに動画の時代。
YouTube。
TikTok。
Instagram。
分からないことがあれば、とりあえず動画を見ればいい。
料理も、筋トレも、語学も、投資も、ほとんど動画で学べる。
しかもすでに、誰もが動画を撮って、編集して、発信までできてしまう。
誰でもが芸能人みたいになれる可能性があるという。
なにを今更かもしれんが、考えてみればどえらい時代になったもん。
一方で、
「てことは、文字はもう読まれない」
「ブログ?なにそれ?」
「文章読むとかコスパ悪い」
そんな言葉を聞くことも珍しくなくなった。
まぁたしかにそうかも。
じゃあ文字媒体ってもう、完全に価値を失った?
そこで、ちょっと頭の体操。
もし明日、村上春樹がYouTubeチャンネルを始めて、自身の作品を朗読し始めたら、どうやろ?
『ノルウェイの森』でもいい。
『ねじまき鳥クロニクル』でもいい。
若干、強引な設定やけど(笑)。
たぶん、めっちゃ話題になるやろね。
まっつんスタイルも、一回くらい見るかもしれん。
でもたぶん、しばらくしたらこう思うと思う。
「いや・・・、やっぱ本で読むわ」
今日はそんな話からちょっと「文章」の価値を探ってみる。
☆同じ朗読なのに違和感が違う
これ、もちろん想像でしかないし、なかなかムチャな飛躍ってこともわかってる(笑)。
でもちょっと不思議な感覚がするよね。
朗読そのものが嫌って意味じゃない。
いわゆるプロの声優さんが朗読するAudibleなら、まったく違和感ない。
ラジオで作家が、自らの作品について語るのも楽しい。
でも、YouTubeで本人が本人の作品を朗読するとなると・・・、なんか違う。
これ、なんでなんやろ?
まっつんスタイルなりに考えてみると、そこには媒体ごとの役割の違いがあるからのように思う。
Audibleは、「物語に浸るための場所」。
視覚情報なし。
だから聞き手は、自然と想像力を働かせる。
ラジオも似ている。
声は聞こえるけど、話し手の姿は見えない。
だから、余白が残る。
一方でYouTubeは違う。
声だけじゃなく、顔も見える。
服装も分かる。
部屋も、照明も見える。
作者そのものの現実が、容赦なく入り込んできてしまう。
するとその瞬間、読者が脳内で育ててきた世界が、少しだけ固定される。
もちろん、それを楽しめる人もおるやろう。
でもまっつんスタイルは、
「うん、なんか想像の余白が減ったな・・・」
って感じてしまう気がするのよね。
☆動画は世界を見せ、文章は世界を共創する
動画と文章の違いを、もうちょっと掘る。
まっつんスタイルは、なんとなくこう考えてみた。
動画は世界を見せる
文章は世界を共創する
動画は完成品。
作者が見せたい景色を、そのまま受け取る感じ。
一方、文章は違う。
文字しかない。
だから読者は、“自分で補完する”。
声を作る。
表情を作る。
匂いを、温度を、景色を作る。
同じ文章でも、人によって見えてる世界が違う。
同じ物語でも、読者によってまったく違う作品になる。
千人読めば、千通りの物語ができる。
おそらくこれが、文字媒体が持つ“無二の凄さ”なんじゃないかね。
☆想像力という最強の映像装置
人間の脳は不思議なもので、文字を見るだけで勝手に映像を生成する。
小説を読んでいる時、俺らは文字を読んでいるつもりで、実際には映画を観てる感覚に近いんよね。
しかもその映画は、世界に一つしか存在しない、自分だけの映画。
だからこそ、小説は映像化されると、賛否が分かれる(笑)。
「思てたんと違う・・・」
そんな感想が飛び交う。
そりゃまぁ当たり前。
読者一人ひとりの脳内に、すでに完成版が存在してるから。
文章って、想像力を起動する装置でもあるんよね。
文章って、読んでいるようで、実は“作業”してるとも言えるかも。
文字を追い、
意味を組み立て、
映像を想像し、
感情を補完する。
読書は意外と、忙しい。
一方で動画は、まんまを受け取る比率が高い。
だから、なんというか、楽。
でも楽だからこそ、深く心に残らないこともある。
このあたりの違いも、まだまだ文字媒体が生き残る理由なんかもしれんと思うね。
☆Testosteronさんは、なぜ文字が強いのか
これって文学だけの話じゃなくてさ。
例えば、筋トレ界隈で絶大な人気を誇る、Testosteroneさん。
Xでの影響力なんかは圧倒的。
書籍もバンバン売れてる。
でもYouTubeは・・・、その影響力ほど伸びてない印象がある。
あくまで印象ね(笑)。
これはじゃあなぜか?
これもまっつんスタイルの主観やけど、たぶん“言葉の力が強すぎるから”やと思う。
「筋トレとプロテインで、全ての悩みは解決します!本当です!」
たったこれだけ(笑)。
でも刺さる。
これってどういうことかというと、人は文字を読む時、自分の声で読むからなんちゃうかなと。
自分の声で再生された言葉は、自分の考えのように感じられる。
でこれ、動画だとそうはいかない。
そこにあるのは、“他人の声”。
この違いって、実は想像以上に大きい気がするんやけど、どやろ?
☆情報量が多いほど優れているわけではない
動画は、視覚にも聴覚にも訴えられる。
だから文字は、情報量だけ見れば圧倒的に不利なのは間違いなさそう。
(何をもってして“不利”なのかは、ここでは触れない(笑))
それでも文字は生き残ってる。
これまたなぜか?
それはきっと、
人間は情報量そのものに感動してるわけでも、したいわけでもないから
かな。
人間が感動するのは、意外と余白の部分やったりする。
自分で考える余地。
想像する余地。
解釈する余地。
意味を見つける余地。
余白があるから、人はその物語の世界に参加できる。
で、文字や文章は、
その余白を最も多く残してくれるメディア
このことは、もっと認識されていい価値なはず。
☆YouTube時代だからこそ文字が輝く
動画はこれからも伸びるんやろう。
ショート動画も増えるやろう。
AIの進化で、さらに加速するかもしれん。
頭を使わなくても、“快”だけを手軽に享受できる、あの魅力は凄まじい。
でも同時に、人は疲れる。
刺激の強さに。
情報の多さに。
速度の速さに・・・。
だからこそ、静かに文章へ戻る人もまた増えると、まっつんスタイルは思うけどね。
文字は効率が悪い。
(何をもって“効率が悪い”かは、ここでは触れない(笑))
時間もかかる。
でもその、
不便さの中にしかない価値
って、確実にあると思うから。
☆だからまっつんスタイルは、今日もブログを書く
文字媒体は、“オワコンメディア”?
いや、知らん。
ていうか、まっつんスタイルは、「オワコン」って言葉が好きじゃない。
この言葉はどうもリスペクトを欠いてる。
まぁそれはいいや(笑)。
文字媒体はむしろ、
人間という生き物に最も深く接続できるメディア
やと思ってる。
動画は見せる。
文章は生み出させる。
これは、どちらが上とか下とかじゃなくてね。
ただ、「世界を共創する」という一点において、文章は今も圧倒的な力を持ってる。
間違いない。
だからまっつんスタイルは、今日もブログを書く。
誰かの脳内に、その人だけの景色が立ち上がることを願いながらね。
もし明日、村上春樹がYouTubeで朗読を始めたとしても、たぶん左上の閉じるボタンを押すと思う(笑)。
で、本棚から一冊の本を取り出し、ゆっくりページをめくりながら、自分の心の声で読む。
やっぱりまっつんスタイルは、その時間が好き☆


コメント