☆今とは違う人生もあったんやろうな
「もし〇〇やったら、人生どうなってた?」
まぁ幾つになっても考えてしまうもの。
実際、人生には無数の「もし・たら・れば」がある。
もちろん、まっつんスタイルにもある、あった。
高校生活に順応してた世界線。
普通に就職して、今日まで勤め上げてる世界線。
両親ともに健在な世界線。
事故も病気もしない世界線。
一度も結婚“しない”世界線(笑)。
そしてなんと言っても、もし、大学に行ってたとしたらの世界線・・・。
何度妄想し、何度ため息をついたことか(笑)。
でも、40過ぎてからかな。
やっと、
「案外、今の人生も悪くない」
「それどころか、この人生じゃないと育たんかったもんもあるんちゃうかな」
と、そんなふうに思えるようになったよね。
今日はそんな話。
☆大学に行かなかったことは、ずっと大きな引っ掛かりだった
まぁ正直、大学失敗の傷は、それはもうみっともないほどに深かった(笑)。
考えてみれば、もう30年近く前の話。
ほぼ完治したものの、古傷はまだ時々痛む(笑)。
何がそんなに自分を傷つけたんやろか?
失敗そのもの?
学問の道を断たれたこと?
親の期待に背いたこと?
いわゆる世間の標準ルートから外れたこと?・・・
世の中には「普通のルート」らしきものがある。
高校を出る。
大学へ行く。
就職する。
結婚する。
家を建てる。
子を産み、育てる。
もちろん全員がそうじゃないけど、でも日本社会にはある、なんとなくのモデルコース。
そこから外れてると実感するたび、
「あれれ?」
と思う瞬間って、どうしてもある。
特に若い頃はそうやった。
周りはどんどん前に進んでるように見える。
自分だけが違う場所にとり残されてる気がする。
そんな、疎外感?敗北感?劣等感?
でも、時間の経過とは偉大のもので(笑)。
年齢を重ねるほど、そういう評価軸自体が怪しく見えてくる。
怪しく見えるというか、
「それ、自分に当てはめる意味、ある?」
っていう感じ?
こんな程度のことに気づくまで、30年かかったわけやけど(笑)。
☆もし大学に行っていたら?
ここでちょっと遊んでみる。
人生「たられば」シミュレーション。
「もし、大学に行ってたらば?」(笑)
・それなりに幸せな普通ルート
一番ありそうなのはこれ。
それなりの大学。
それなりの友人。
それなりの就職。
それなりの結婚。
それなりの人生。
いや、別に悪くない。
むしろ十分幸せやと思う。
休日は家族でショッピングモール。
子供の運動会。
住宅ローンの相談。
そんな人生やったかもしれん。
こういう言い方をすると、馬鹿にしてるみたいに聞こえるかもしれんが、そうじゃない。
一つの理想系。
もうおそらく手に入らない幸福。
ただ、その世界線のまっつんスタイルが、今みたいにブログを書いてる気がしない(笑)。
・楽しくて悩まない世界線
これもありそう。
大学生活が楽しい。
友達も恋人もおる。
サークルのバイトも全力。
そうなると、人間って案外深く悩まん(笑)。
いわゆる「リア充のエリート」?
いや、それはそれで素晴らしいことなんやけどね。
ただ、
人生とは何か?
孤独とは何か?
人はなぜ苦しむのか?
みたいなことを延々考える人間には、たぶんなってない。
今のまっつんスタイルに一番欠けてほしくない部分が、ごっそり抜け落ちてる気もする(笑)。
・もっと孤独になる世界線
で、意外とありそうなのがこれ。
大学に行ったけど、
「なんか、思てたんと違う・・・」
ってなるパターン(笑)。
周りと話が合わん。
ノリが合わん。
みんな就活や、色恋や、サークルの話で大盛り上がり。
で、こっちは、「人生ってなんやろ?」とか考えとる・・・。
システム順応とか、強制集団行動に辟易して。
軽薄、横暴、偽善、見栄、競争の世界に疲れ切って・・・。
今よりもっと拗らせてた可能性、十分ある(笑)。
人生って案外、どのルートを選んでみても、なにかしら“不足感”は発生するんやろうと思われる。
☆失ったものより、育ったものを見る
ここ数年で、大きく変わったなぁと思うのが「育ったもの」についての考え方。
大学に行かんかったことで「失ったもの」って確かにある。
修学機会。
人脈。
学歴。
就職の選択肢。
そこでしかできない体験。
いろいろあると思う。
これは今でもそう思う(笑)。
でも一方で、“大学に行かんかったから育ったもの”もあるのよね。
むしろ今は、こっちの方が気になる。
孤独力。
観察力。
内省力。
違和感センサー。
哲学。
仏教への興味。
人の痛みに対する想像力。
どれもたぶん、大学の講義じゃ教えてもらえんものばっかり。
で、ブログを書き始めてハッキリと思う。
結局、人の心に残る文章って、知識だけじゃ書けない。
したくもない経験。
葛藤。
痛み。
迷い。
そういうものが混ざって初めて、人の心に届く。
大学で、のほほんと4年過ごしたまっつんスタイル?
今とは違う幸せを手にしてたかもしれん。
まぁでも、良くも悪くも、自分の中身をアウトプットしようっていう志は育たんかったやろね。
☆独学という、ちょっと変わった学び方
大学は、体系的に学ぶ場所。
独学は、好奇心で学ぶ方法。
どっちが上とか下とかじゃなくてね。
ただ、まっつんスタイルは、どう考えても後者やったみたい。
仏教。
ZEN。
心理学。
モテ論(笑)。
健康。
文学。
アニメ。
歴史。
一貫性ゼロ。
全部バラバラ。
でも、興味があるから続く。
興味がなくなったら、自由にやめる。
で、また別のことにハマる。
まぁ効率は悪い。
でも結果的に、自分には合ってたような気もするよね。
なんかもう野良犬やん(笑)。
あぁ、ちなみに野良犬って、今のまっつんスタイルには褒め言葉(笑)。
☆遠回りした人間にしか見えない景色
若い頃は、
「遠回りしてるなぁ」
としか思えんかった。
いや、もっと酷い。
「ただひたすら、不本意な人生を歩まされとる・・・」
って思ってたかな(笑)。
周りはどんどん先へ進む。
自分はなに一つ思い通りに生きられてない。
そんな感覚がずーっとあった。
でも実際は、不本意な時間の中で育んでいたのもがあった。
遠回りしたからこそ見えた景色が、今。
たぶん、そういうこと。
人生の理不尽。
孤独。
喪失。
理解されない感覚。
何度も挫折した再出発。
そのへん、当時はホントにしんどかった。
ベタやけど、生きてるのが辛かった。
だから、いろんなものから逃げ回ってきた。
でも、その経験が今、全部ブログの材料になっとる(笑)。
人生なにがどう転がるかわからん。
まさに、
人間万事塞翁が馬
無駄やと思ってたことが、何年も経ってから価値を持ち始める。
だから、その当時の判断に、いつまでも固執する必要ないんよね。
☆ZEN的に言うなら
禅には、
「人生は完成しない」
っていう感覚がある。
いや、そんな言葉はないんやろうけど、感覚ね(笑)。
禅の世界って、
何かを達成して終わり
じゃない。
悟ったら終了
でもない。
毎日座る。
毎日掃除する。
毎日飯を食う。
毎日なんか失敗する(笑)。
その繰り返し。
それが「仏の道」であり、人生。
だからZEN的には、
大学へ行った人生も、
行かなかった人生も、
結局どっちも未完成やったんやろうなと。
もし大学へ行ってたら、また別の「足りなさ」を抱えてたはず。
また別の後悔をしてたはず。
それだけ。
人間って結局、どの道を選んでも、
「もっと別の人生があったんちゃうか?・・・」
って思う生き物なんよね。
さっき言った「普通のルート」を辿った人にも、その人なりの劣等感や欠乏感があるもの。
だから、大学へ行かんかったことを、無理やり肯定することもない。
一方的に否定することもない。
ただ、
この未完成な人生を味わったらえやん
それだけで案外十分。
それが禅的態度。
まっつんスタイル的生き方なんやろうなと。
☆おわりに
人生には「失われた可能性」がたくさんある。
でも同じくらい、
「その道を選ばなかったから育ったもの」
もある。
人はどうしても、
手に入らなかったものを数えてしまいがち。
でも、本当に大事なのってやっぱ、
今、自分の手の中にあるものを見つめること
なんかもしれんよね。
大学に行けなかった人生。
そりゃ今でも思うけどね。
「ええな〜」って。
キャンパスライフ、大学の同期、ゼミの恩師、合コン、サークル、卒論・・・。
「どれも俺の中にないなぁ」って(笑)。
でも同時に、
「まえっか」
「たぶん行ってても馴染めんかった確率高い(笑)」
「今のまっつんスタイル、そこそこ気に入ってるし」
そう軽やかに言える。
これは妥協でも負け惜しみでもないからね(笑)。
少なくとも、今こうしてブログを書いているまっつんスタイルを生んだくれた人生には納得してる。
もし大学に行ってたら、今より幸せやった可能性?
まぁあったかもしれん。
でも、今より“おもろかった”かどうかは、かなり怪しい(笑)。
そんなことを思う今日このごろ☆


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