家系図には載らない、自分のルーツ 〜親から受け継いだ「家の空気」と、その先の話〜


☆自分のルーツ?

数年前に、簡単な家系図を見る機会があってね。

人生初(笑)。

年齢を重ねたからかな。

不思議なもんで、「自分のルーツ」が、ちょっと気になりだしたりもして。

「自分ってなんなん?」を突き詰めると、避け難いのが「自らのルーツ」。

自分っていうのは、無数の先祖の営みの先っちょにいる存在。

今の自分一人だけで出来上がってるわけじゃないっていうね。

この事実に対する、畏敬?

ただ、今日したい話はちょっと違う(笑)。

まっつんスタイルは、そういった家系のルーツなんかを一切教えられずに育ったから。

今の性格や生き方に影響を与えたのは、血筋の誇りでも、継承した処世術でもないんかなってこと。

むしろ、もっと身近な、もっと曖昧なもの。

今日はそんな感じの話。


☆家系図よりおもしろいのは“家の空気”

家系図っていうのは、言ってみれば「血の履歴書」?

誰がどこで生まれて、誰と結婚して、何人子どもがいて・・・。

いや、正直めっちゃおもしろい(笑)。

「で、俺は、この人たちの何かしらを、ちょっとずつ受け継いできたんやなぁ」

って。

ただでも、今のまっつんスタイルを形作ってきたのは、血の履歴よりも、“家の空気”やったんちゃうかなと。

そんなことをふと思ったかな。

家って例えば、真面目な家。

自由な家。

怒りっぽい家。

我慢が美徳な家。

笑いの多い家。

沈黙の多い家・・・。

そんなもんがある気がする。

で、そういう“空気”って、知らん間に人の中へ染み込んでいくもんちゃうかなと。

畳の匂いみたいに。

住んでる本人は気づかんけど、外から来た人にはわかる。

家って、そういう独特の雰囲気がある気がするんよね。

で、そういうものの影響って、思ってる以上にデカいとも思うわけ。

家系図には、「誰から生まれたか」は書いてある。

でも「どんな空気の中で育ったか」までは、書いてないからね。


☆親に似たところ、親と違うところ

あとはシンプルに、両親の“気質”。

「親で人生が決まる」とか、そういう話をしたいんじゃなくてね。

そんな話は、もういい(笑)。

兄弟でも違う。

双子でも違う。

同じ親。

同じ家。

同じご飯。

なのに性格は全然違う。

だから、子は親のコピーじゃないってこと。

今さら言うまでもない話。

でもじゃあ、まったく影響を受けんかって言われたら、それも違う。

これまた言うまでもない?(笑)

例えば、まっつんスタイル。

親が音楽好きやったから、音楽への感度が高くなった?

働き者、生真面目、ナイーブ、ネガティブ・・・。

このあたりは受け継いだ?(笑)

あとおもしろいのは、「反発もまた一種の影響」って気がするよね。

「絶対こうはならん!」っていう反発というか、反面教師的な意識?

まっつんスタイルの場合の、「自由を尊ぶ、自由に憧れる」なんかまさにそうやと思う。

親がそうじゃなかった(ように見えた)から。

親とは違う生き方をしたい。

親と同じ価値観には縛られたくない。

そう思って選んだ道も、よく考えたら、その出発点には親がいる。

・・・なんだかなぁ。

「結局、親の影響を受けとるがな」って(笑)。

人は、どんなに親から離れようとしても、一度は親を経由して生きるものなんかもしれんね。

どうやらそれが人間。


☆「うちの家って、こういう家やったな」

で、またまっつんスタイル。

大人になると、自分の家を少し離れた場所から見られるようになった気がする。

うちの家が持ってた雰囲気・・・。

振り返ってみるとどうかな?

繊細。

堅実。

心配性。

ちょっと不器用。

知的好奇心は高め?

で、まったく「世間の王道」じゃない(笑)。

そんな空気があった気はするかなと。

父親も母親も、ぜんぜん派手なタイプじゃなかった。

確実に非モテ(笑)。

でも今にして思えば、それぞれに独特のこだわりや美学みたいなものを持ってたようにも思う。

歴史や音楽、バイクや車が好きやったり。

義理とか恩とか、一途さとか、そういうものを大事にしたり。

手先が器用、ルーティンワークが得意、意外と我が強い、とかとか(笑)。

で、なんか改めて、こういうものが知らん間に自分の中に流れ込んでたんやろうと思うよね。

そう思うと、少し笑える。

「結局自分も、似たようなもんになってるやん?」

って(笑)。


☆受け継ぐものと、終わらせるもの

じゃあ、気質のルーツ(受け継いだもの)に意味を持たせるとしたら、なんやろね?

ふむ・・・。

たぶん、なんでもかんでも全部を受け継ぐためじゃないよね。

むしろ逆かもしれん。

何を受け継いで、

何をここで終わらせるか。

それを見極めるため、とか?

例えば、誠実さは受け継ぎたい。

優しさも受け継ぎたい。

でも、過度な忍耐は手放してもいいかもしれん。

必要以上の遠慮も、ここで終わらせていいかもしれん。

人間関係の不器用さも、ちょっとは改善していい・・・。

両親から自分に引き継がれた物語って、全部守るものじゃなくて、編集していくもんかもしれんね。

親から受け取ったものを、自分の代で少し書き換える。

そう考えると、親と違う生き方をすることも、また一つの継承なんかもしれん。

なんか、ややこしいけど(笑)。


☆子どもがいなくても、何かは残せる

40代にもなってくると、「何を残すか」をリアルに考え出すよね。

若い頃にも「何かを残したい」とか言うけど、ちょっとだいぶ意味が変わる。

人生の方向性がかなり固まってきて、ほんの少しだけ死を意識し始めるからかな。

子どもがいるか、いないかって要素も、きっとデカい。

まっつんスタイルには、いない(笑)。

でも、人間が残せるものは、子どもだけじゃないからさ。

言葉。

考え方。

優しさ。

ユーモア。

世界の見方・・・。

ブログなんか書いてると、特にそう思う。

たった一つの記事が、誰かの考え方を変えることもある。

誰かの気持ちを、少しだけ軽くすることもある。

不特定多数への「精神の継承」って、案外バカにならん。

血統とかルーツの継承と同じくらいに価値があると、独身子なしのまっつんスタイルは思うけどね。

親から受け取ったものが、まっつんスタイルの中で少し形を変えて、今度は誰かのところへ届く。

そう考えると、ブログって、なかなかにおもしろい営みやと思う。


☆ルーツは、継承じゃなく編集

今の自分は、先祖だけでできてるわけじゃない。

親だけでもない。

環境。

友人。

本。

失敗。

挫折。

恋。

別れ。

偶然の出会い・・・。

全部が重なって、今の自分がある。

ただただ、そういう流れの中から自分が生まれたことに、静かに納得できるといい。

親の期待。

家の価値観。

先祖から続く物語。

そういうものって、なんか「守らなあかん」ような気がするけど、我々“普通民”はそうでもないんかもしれん。

人間って、継承者というより編集者。

親から受け取ったもの。

家庭から学んだもの。

人生で拾ったもの。

それらを全部そのまんま引き継ぐんじゃなくて、必要なものは残す。

必要なくなったものは手放す。

で、ときどき新しい解釈を書き加える。

一冊の本を編集するみたいな感じ?

だから、ルーツに縛られる必要もないし、親を呪う必要もない。

受け継ぐか、捨てるか。

その二択でもない。

受け取って、眺めて、編集する。

それくらいで、ちょうどいいんかもしれん。

まっつんスタイルみたいな、人に説明しづらい人生を歩んでくると、なおさらそう思う(笑)。

なんともZENっぽい。

そして、なんとも自分らしい。


☆おわりに

歳を重ねるほど、自分の中に親の影を見ることが増えた。

姿見に背中を映した時、「なんかどっかで見たことある?」って思ったのは、自分の父親のそれやった、とか(笑)。

また別の日には、祖父母の気配を見ることもある。

自分の中に、当時の家の空気の名残を見ることもある・・・。

ホント人って、ビックリするほど一人じゃできてない。

たくさんの人の物語の続きとして生きてる。

そう考えると、家系図って、なんかちょっとおもしろいよね。

名前が並んでるだけやのに、その一人ひとりが、それぞれの家の空気を作ってきたんやろうなって。

で、その空気の一部が、今の自分の中にも残ってる。

親に似たところも。

親に反発して生まれたところも。

全部ひっくるめて、今のまっつんスタイル。

ただし、ここから先は自分で編集していく。

受け継ぎたいものは受け継ぐ。

もう十分なものは、静かに終わらせる。

で、できれば、次に何かおもろいものを残したい。

家系図には載らんかもしれんけど。

・・・ていうか、独身子なしやから、そもそも家系図は俺のところで枝が止まるん予定やけどね(笑)。

まぁいい。

ブログはまだまだ枝を伸ばしていく予定やから☆


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