たい焼き屋は、現代人の禅寺 〜糖と調和し、「もっともっと!」から降りる〜


「悟り」って聞くと、山奥で座禅してる坊さんとか、断食して霞を食ってる仙人みたいなイメージ。

でもこないだ思ったのよ。

「もしかして悟りって、たい焼きを食べた瞬間に起こるもんなんちゃうか」

って。

意味わからんよね?(笑)

いや、でもこれ、意外とマジ。


☆和菓子は、意外と“調”している

和菓子って、よく考えたらすごい。

(たい焼きって、和菓子って認識でええのよね?(笑))

小豆。
もち米。
寒天。
砂糖。

材料そのものは、めちゃくちゃシンプル。

しかも、

  • 小豆 → 食物繊維
  • 寒天 → 水溶性食物繊維
  • もち米 → 腹持ち
  • あんこ → 満足感

という、腸活的にもなかなか理にかなった構造をしてる。


もちろん、食べすぎはあかん。

糖化(AGEs)とか、血糖値がどうとか、そういう問題はまぁある。

でも逆に言えば、“ほどよく甘味を味わう”なら、和菓子って超優秀な「快の食文化」なんよね。


☆糖化とは、「焦り」の味である

ついでなんで「糖化(AGEs)」について、ちょっとだけ。

「糖化(AGEs)」って、ざっくり言うと、“体の焦げ”のこと。

体の中で余った糖が、タンパク質や脂質とくっついてできるのが「AGEs(最終糖化産物)」。

こいつが、身体を老化させると言われてる。


で、これ、調べてると、なんか人生そのものやなぁ、なんて思わされる。

急いで食べる。
無意識に食べる。
不安を埋めるために食べる。
ストレスを誤魔化すために食べる。

こういう“焦りの食事”ほど、身体も心も濁っていく。

いや、この場合、“濁る”より、“焦げる”かな?

つまり、

AGEsとは、“無自覚な快楽”の蓄積

しかも、「焦げる(こげる)」と「焦る(あせる)」は、同じ字。

うん、なんか禅っぽい(笑)。


☆たい焼き即悟り

じゃあ、たい焼きを丁寧に味わって食べてる時はどうやろ?

なんかちょっと違うよね。

袋を開けた瞬間の香り。
皮の香ばしさ。
あんこの熱。
噛んだ時の甘み。

で、

「あぁ、うまいなぁ。もうこんなんでええのよね」

っていう感覚(笑)。

過去も未来も消えて、”ただ、今この瞬間の甘味”だけになる。

これって、普通にフローやん?

悟りやん?(笑)


☆「もっともっと!」から降りる

現代人は、常に「もっともっと!」に追われすぎ。

もっと稼げ!
もっと若く!
もっと効率よく!
もっと無駄なく!
もっと大きな成功を!

でも、たい焼き食ってる瞬間だけは、すべて止まる(笑)。

「あぁ、この一口がたまらん」って、それだけになる。


だから、悟りって、

「もっともっと!」から、一瞬降りること

その、肩の荷が降りた瞬間の、静かな安堵感。

意外とこんなことが、まっつんスタイルZENの核心かもしれん。


☆我慢ではなく、調和

まっつんスタイルは、洋菓子も、スナック菓子も、ジュースもアイスもほぼ食べない。

でもこれ、別に「苦行」をしてる感じじゃない。

和菓子を時々、ちゃんと味わう。

それで十分満たされる。

これって、制限とか我慢というより、“調和”なんよね。

「食べたらあかん!」じゃなく、「これくらいが気持ちいい」っていう“調和”。

自分自身の納得感と、身体が求める満足感の、これまた“調和”。

この感覚も、「たい焼き即悟り」の一形態(笑)。


☆甘味道場としてのたい焼き屋

禅寺で座禅を組まなくても、人は悟りに触れられる。

たとえばそう、いつもの夕暮れ時。

たい焼きを片手に、ホクホク顔で帰路につく。

立ち上る湯気と香りに鼻を突っ込みながらほくそ笑む。

あの瞬間、世界と自分が妙に噛み合う。

焦燥も比較も消えて、小さくても確かに満たされる。

そう、たい焼き屋は、

現代人の禅寺

なんかもしれん。

少なくとも、まっつんスタイルにとってはそう(笑)。


☆結び

まっつんスタイルで、何度も言ってること。

悟りは、

何も感じなくなることじゃなくて、ちゃんと感じること

甘みも、
香りも、
満足感も、
有限である“今”も。

全部ちゃんと味わった上で、

「これでいい」

と思えること。

その瞬間、人はほんの少しだけ、世界と“調”する。


悟りなんて実は、日常の些細な瞬間。

「たい焼き即悟り」は、意外とガチ(笑)☆


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