「あんなもん宗教やん(苦笑)」に込められた意味 〜信じることの温度感と姿勢の話〜


☆レッテルとしての“宗教”

唐突に浮かんだ問い。

「あんなもん宗教やん」

そんなふうに、侮蔑を込めて言われることがあるやん?(苦笑)

で、この場合の「宗教」っていう言葉には、どんな意味が込められてるんやろか?

まっつんスタイルの直感的にはこうかな。

・正しいか否かより、“信じるか否か”

・相手がどう思うかは関係ない

・押し付け上等

・でも、心から“善”だと思ってる

・だからときに過激になる

で、これ、もうちょい深く掘り下げたら、そこそこクリアになりそう。

結論から言うと、ここで言う「宗教」って、実在の宗教の話じゃない。

「人が“対話不能に見える状態”」につけられるレッテルの話

やね。


☆「あんなもん宗教やん」に込められてるニュアンス

まっつんスタイルが感じ取ってたニュアンスを整理すると、だいたいこんな感じ。

これも、世界の解像度を上げるための崇高な哲学。

悪趣味やとは、言わんといて(笑)。


① 「正しい/間違い」よりも「信じてるかどうか」

理屈や根拠よりも、“疑ってない感じ”が鼻につく。

正しさの議論じゃなくて、“信じ方の温度”の話。


② 他人の評価を考慮してない

「それ、引かれるで?」

「さすがにちょっと行きすぎやん」

「なんか、怖い・・・」

こういう周囲からの評価に対する想像力がない。

もしくは無視してる。


③ 押し付けがましい

「絶対正しい」との思いがあるからこそ、“ブレーキが壊れやすい”。

時に、「押し付け上等」になりがち。


④ 本人は心から「善」だと思っている

悪意じゃなくて、「100%善意」ということに疑いを持ってないように見える。

ここが一番厄介?

「俺は正しいことを言ってるだけ」っていう開き直り。


⑤ だから時に過激で排他的

・異論 = 敵

・否定 = 攻撃

ブラックオアホワイトの世界。

グラデーションが消える・・・。


☆言ってる側の“恐怖”も混じってる?

あと、「あんなもん宗教やん」って、侮蔑だけじゃなくて、ときには“自己防衛ワード”にもなってる気がする。

この視点も見逃せんかな。

何が怖いかっていうと、

・話し合いが成立しなさそう

・引き返す余地がなさそう

・自分が悪者にされそう

つまり、

「あ、これ“理屈で話しても無理そう”やな・・・」

そう感じた瞬間に、距離を取るための言葉。

ハッキリ言ってしまえば、「関わったらあかんやつ・・・」っていう意思表示。

「これ以上話しても、全部一括りにされて個別具体の話ができなさそう」っていう判断。

だから「あんなもん宗教やん」は、恐怖を回避するためのフレーズでもあるんやね。


☆日本において「宗教」という言葉はネガティヴに振れやすい?

これってたぶん、めっちゃ日本的な言い回しなんやとも思う。

少なくとも日本では、「宗教」という言葉そのものに、ちょっと身構える空気感がある気がする。

神社仏閣には行く。

墓参りもする。

お祭りも好き。

でも誰かが、

「私はこれを強く信じています」

的なことを、ちょっと前に出した瞬間、空気が変わる(笑)。

問題は信仰そのものというより、“その熱量に、こちらが火傷しそうになる感じ”なんかもしれん。

この「熱量の漏れ」が周囲に伝わった瞬間、

「あ、これ宗教やん・・・」

って思われる(苦笑)。

例えば、よく誤解されやすいのがこのへん。

・環境系・健康系の諸問題

・政治的な思想信条

・一部の子育て論や自己啓発

などなど。

要するに、“温度が高すぎる思想全般”が「宗教」扱いされやすい。

もちろん、これらがすべて、今回の文脈で言う「宗教やん」って言ってるわけじゃない。

一応誤解のないように。

どれも価値観が絡みやすく、単純な一つの答えにまとめにくいって話ね。

だからこそ、ときには「これこそが正解!」にすがって、先鋭化してしまうこともある・・・。

「そんなネガティブな空気感があるよね」って、そういうこと。


☆「正解にすがる」の正体は、実は“安心”?

で、ここが核心かな。

もしかすると人って、

「正解そのもの」より、その正解がくれる“安心”を欲しがってることがあるんちゃうか?

ってこと。

でも現実の世界は、

・複雑

・曖昧

・不確実

だからこそ、

“正解っぽいもの”を抱きしめたくなる

それを否定されると、不安になる

その不安が強すぎると、ますます正解にしがみついてしまうこともある

少なくとも、“宗教化して見える現象”の一部には、思想の強さというより、不安の強さが隠れてるんかもしれんね。


☆問題は「思想そのもの」よりも「信じる姿勢」

ここまで、「思想や宗教そのものが問題なんじゃない」ってニュアンスは伝わったかな?

一部過激化した宗教のように見えてしまうことが、侮蔑と警戒の対象になるってこと。

ここ、もう一回強調しとく。

・余白や揺らぎがない

・笑えない

・「引く」とか「止まる」っていう選択肢がない

こういう状態(姿勢)が、周囲の人を怖がらせる。

逆に言うと、

・信じてるけど、ちょっと笑える

・ちゃんと引けるし、疑える

・いつでも個別具体に降りられる

こういう余白を持って信じてる人は、「あんなもん宗教やん」とは言われにくい。

少なくとも今回考えてるタイプの「あんなもん宗教やん」は、

何を信じてるかより、相手から「信じ方に余白がない」って見えたときに出てくる言葉

なんやと思う。

人は「正しさ」に反発するんじゃなくて、「変化不能に見える態度」に反発するもんやと思うから。


☆余白がある思想は、一番安全でモテる(笑)

「あんなもん宗教やん(苦笑)」ってレッテルを貼られるとき。

相手が拒否してるのは、その“内容”というより、“温度感と、その取り扱い方”。

で、まっつんスタイルが思うに、

・自虐があって

・揺らぎを残して

・余白を許す

こういうスタンスが、宗教かどうかとか関係なく一番安全やし、長期的に信頼されると思うんよね。

意見が違うだけなら、案外付き合える。

しんどいのは、“変化する余地がなさそうな人”。

・・・と、ここまで来たら、オチはこうなる。

「曖昧さ・余白・揺らぎ・個別具体・笑い」

こういう要素を受容できる姿勢こそが、人として“モテる”態度

というわけで、今回も最後は「モテエロZEN」でした(笑)☆


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