こないだ仕事中に、ふと思ったことがあってね。
いつでもどこでも、“ふと思う”のがまっつんスタイル(笑)。
で、何を思ったかっていうと、
「これもご縁なんやろなぁ」
ってこと。
まっつんスタイルは、数ヶ月前、とある運送会社に入社した。
47歳。
京都で19年半続けた農業を離れて、東京へ引っ越して、新しい仕事を始めたわけ。
当然、新しい人たちとの出会いがたくさんある。
上司、先輩、同僚。
仕事を教わったり、叱られたり。
助けてもらったり、たまに笑いあったり。
そんな日々の中で、ふと浮かんだのよね。
「人生のこのタイミングで、この人たちと出会ったのも、何かのご縁」
「きっと何か意味があるんやろうから、こういうのは大事にせんとね」
・・・うん、なんかいいこと言ったっぽい(笑)。
でも直後。
脳内の別の俺が言う。
「いや、別に何の意味もないやろ」
「たまたまやん(笑)」
あ〜、うん・・・、たしかに?
って、どっち?(笑)
☆
☆ご縁って、そんな大層なもん?
そもそも、今回のサラリーマン復帰って、いろんな偶然が重なった結果。
農業への見切り。
自分らしい人生の模索。
そして、兄のいる関東で再就職という判断。
そこからの就職活動。
求人を見つけた時期。
応募したタイミング。
採用の可否。
配属された営業所。
そこに、今の人たちがいたこと。
何か一つ違ってたら、まったく別の人たちと、別の仕事をしてたかもしれん。
こういうのを、
「ご縁があった」
って言うのは分かる。
でも、
「この人たちに出会うことには、きっと何か特別な意味があったはず」
ってなると・・・、どうなんやろね?
偶然の出会いを、わざわざ“運命”に昇格させる必要ってあるんかね?(笑)
いや、「ご縁」っていう言葉はめっちゃ好き。
なんか、人との関わりを丁寧に扱おうとする、日本語らしい優しさがある。
「人は、さまざまなものに生かし生かされてる」、みたいな尊さも感じる。
でも、そのご縁を大切にすることと、出会いに特別な意味を見いだすことって、なんか微妙に違わんかね?
別に、「実際は大した意味なんかない」「単なるたまたま」でもええんかな、とも思う(笑)。
あ、いや、待て。
なんか矛盾してる?(笑)
じゃあ、ただの偶然なんやから、どーでもいいのか?
それも、なんか違う気がする。
ていうかそもそも俺、なんで今、この出会いの意味なんか考えたんやろ?(笑)
☆
☆サラリーマンが無理やから、サラリーマンを選んだ?
ここで、ちょっと話を変えてみる。
というのも、まっつんスタイルは、そもそも普通のサラリーマン人生を、最終的な生き方として選ぶつもりがない。
いや、もっと正確に言うと、
「サラリーマン人生が無理やから、今、サラリーマンをやってる」
わかる?
わからんよね(笑)。
まぁ要するに、
「自分の望む人生を実現するために、今は会社員として働いてる」
ってこと。
まっつんスタイルが目指しているのは、自分の文章で収入を得て、自分の時間を、自分で使える生活。
好きな場所で、好きなだけブログを書いて、興味のあることを学んで、行きたいところへ行く。
そんな暮らし。
そのために、今は本業で生活基盤を作りながら、ブログを育ててる。
ぶっちゃけた話、ライスワークとしてのサラリーマンってこと。
だから、今の会社で働き続けて、出世して、定年まで・・・、みたいなことが、人生の最終目的じゃないんよね。
ただそれは、仕事を適当にやるって意味じゃない。
給料をもらう以上、ちゃんと働く。
覚えることも覚える。
責任も果たす。
でも、この会社で稼ぎたいとか、率先していい職場にしようとか、そういう気持ちは、正直なところ、ない。
しかもこのことを、職場の人たちには話していない。
周囲から見れば、普通に入社してきた47歳の新人社員。
年齢的に、なにやら“訳ありっぽい”くらいの雰囲気は伝わってるかもしれん。
でも、本人の脳内では、別の人生計画が絶賛進行中、という(笑)。
☆
☆同じ職場でも、同じ未来を見てない
というわけで、職場で交わされる会話にも、どこか距離を感じることがあってね。
いや、距離が“できてしまう”というべきか(笑)。
会社の話。
仕事の話。
人事の話。
誰がどうした、あの人がどうだ。
今後はああなりそう、こうなりそう・・・。
まぁ、職場なんやから、当たり前の話題。
でもぶっちゃけ、まったく興味が湧かない(笑)。
話を聞いてても、
「ごめんけど、どうせ長くはおらんからなぁ」
っていう本心が、頭の片隅におる。
周りの人たちが、心の中でどんな人生を考えてるんかとか、そんなんは知らん。
実は、俺と同じように、別の未来を思い描いてる人だって、もしかしたらおるかもしれん。
ただ、俺自身は、今の職場に対しては、どうしてもそういう距離感になっちゃう。
同じ場所で、同じ仕事をしてる。
でも、同じ物語を生きてはいない。
で、この距離って、相手が作ってるというより、自分が作ってるもんなわけで。
・・・って、あれ?
ご縁の話は?(笑)
☆
☆「俺は、この人たちとは違う」
で、ここからが、ちょっとイヤな本音(笑)。
自分は、会社に人生を預けない。
別の道を選ぶ。
自分らしい生き方を実現する。
そういう意識がある。
すると、その奥に、時々こんな感覚が立ち上がる。
「俺は、この人たちとは違う」
・・・これね。
そうそう、上からなのよ(笑)。
選民意識?
優越感?
自意識過剰?
うん、全部その通り。
自分が望む生き方に対して、自負も理想もある。
自分には、もっと違う可能性があるとも思ってる。
そういう気持ちは、前に進むための原動力。
でも、自分の人生を高く見積もることと、他人の人生を低く見積もることは、本来、別の話よね。
でもたまに、その境界が怪しくなる。
「俺はここで終わるつもりはない」
この言葉は、自分を奮い立たせてくれる。
でも、その「ここ」で、人生を生きてる人たちが、目の前にいるわけ。
この感じ、我ながらなかなかに面倒くさい(笑)。
☆
☆じゃあ、そんな俺は満足してるんか?
ここまで思考を巡らすと、
「なるほど、自分の理想が明確やから、職場の人間関係には興味がないのね?」
って話に見える。
でも、どうやらそうでもない。
なんというか、そこには、ほんの少し寂しさもあるのよね。
例えば、同僚同士が自然に打ち解けている様子。
くだらない話で笑う。
仕事の愚痴を言い合う。
互いの近況や身の上を知ってる。
同じ場所に属してることに、安心感がある。
居心地がいい。
そういう関係を、素直に喜べる人たち。
なんか、いいのよね(笑)。
じゃあ、まっつんスタイルも、そうなれば?
・・・いや、どうやろ(笑)。
もう今の理想を捨てて、そこに混ざりたいとは思わない。
思えない。
もう会社中心の人生を“選べない”。
でも、そういう人間関係や、集団に属する心地よさを、シンプルに享受できないことには、一抹の寂しさがある。
自分で距離を取っているくせに、その距離がちょっと寂しい(笑)。
“普通”に対する憧れ、とでもいうのかな。
少年期からずっと、「俺は、他のやつとは違う」っていう自己認識がアイデンティティーやったから(笑)。
考えてみたら、京都農家時代もそうやったかも。
ただ農家は、自営業で、完全スタンドアローンで、人との距離が物理であったからね。
あんまり何も感じんかっただけかも。
・・・で? ご縁の話は?(笑)
☆
☆もしかして、普通の幸せを取りこぼしてる?
そう、改めて考えてみる。
まっつんスタイルは昔からそう。
組織に身を置くとか、誰かと目標を共有することに、そこまで大きな安心を覚えるタイプじゃなかったのよね。
一人で考える。
一人で動く。
自分の興味に従う。
そしてとにかく、時間の使い方を自分で決める。
どうにも、こっちの方が性に合う。
これは、単なる気質なんやろか?
それとも、長年かけて形成された価値観?
あるいは、自分の理想とか能力を、高く見積もりすぎた結果、普通の日常へ、素直に参加できなくなった?
はたまた、もっと先天的な何かによる作用?(笑)
「俺はこんなもんじゃない」
「俺にはもっと違う人生があるはず」
そう思うほど、目の前にある日常が、どこか仮のものになってしまってる?
実はそういうところ、ちょっとあるんかもしれん。
でもだからって、自分が、日常の小さな幸せを感じられない人間なのかというと、そんなことはないとも思う。
普通を享受できない寂しさはあっても、必ずしも不満ってわけでもないし、今更生き方を変えようとも思わない。
休日にスタバへ行く。
朝から4時間、
ブログを書く。
パソコンを閉じる。
帰りにおにぎり屋のおにぎりを買う。
月に数回は、赤身の牛肉を食う。
それだけで、めちゃくちゃ幸せやから(笑)。
むしろそういう、自分で自分の時間の使い方を決められる暮らしが大好き。
だから、集団(のルール)の中に居場所を見つけて、そこに安心して身を預ける。
そういう種類の幸福とは、どうにも相性がよろしくない。
で、相性がよくないくせに、それを単純に楽しめる人たちが、ちょっと羨ましい。
・・・いやぁ、人間ってやつは、常に“無いものねだり”(笑)。
☆
☆・・・で、ご縁の話は?(笑)
そうそう。
ご縁の話(笑)。
最初は、
「人生のこのタイミングで、この人たちと出会ったことに、何か意味があるんやろか?」
やった。
なのに、気づけば、サラリーマン人生。
自分の理想。
優越感。
人間関係。
寂しさ。
気質。
普通の幸せ。
・・・脳内セッションが止まらん(笑)。
でも、ここまで考えて、またふと思ったよね。
もしかすると、俺がこの出会いに、何か意味を見いだそうとしていたのは、
「目の前の人たちとの距離感に、納得できる理由が欲しかったから」
なんかなって。
あるいは、
「“この出会いには意味がある”って思えたら、もう少し、この人たちと自然に関われる気がしたんかもしれん」
って。
・・・うん、あくまで“かもしれん”って話(笑)。
で、ここでもまた、脳内の別の俺が言う。
「いやいや、そもそも意味なんか必要なん?」
えぇ? またお前?
・・・最初に戻る(笑)。
☆
☆出会いを大切にするのに、理由がいるのか?
まっつんスタイルにとって、今の会社員期は、人生の通過点なんかもしれん。
でも、そこで出会う人たちが、“仮の存在”になるわけじゃないよね。
自分と人生の目的が違ってもいい。
というか、そんなん当たり前。
深い関係にならなくてもいい。
相手の人生観に、必ずしも共感できなくてもいい。
逆に、自分の人生観を、理解してもらう必要も、またない。
ただ、今は同じ場所にいて、同じ仕事をしてる。
発見がある。
学びもある。
気づきもある。
理不尽もある。
腹が立つこともある(笑)。
でもきっと、感動もある。
その関係に、何か“特別な意味”を見出さなあかんのやろか?
「人生の通過点にいる人間は、仮の人間じゃない」
おぉ、これまた、なんかいいこと言った気がする(笑)。
出会いに意味を見いだすことと、目の前の人や出会いに敬意を払うこと。
これってたぶん、好悪とか損得とかを超えた、別の話なのやろね。
☆
☆たまたま出会った? で、どうする?(笑)
さて。
サラリーマンにカムバックして数ヶ月。
これから、いつまでここで働くかは分からん。
今の同僚たちと、どこまで関係が深まるのかも分からん。
もしかしたら、人生観が変わるような出会いになるのかもしれん。
何年か後には、名前も顔も思い出せんくなってるかもしれん(笑)。
そこに、何か意味があるのか?
・・・うん、わからん(笑)。
ただどっちにしても、俺は、“自分の人生を獲りにいく”っていうスタイルを変えるつもりはない。
同時に、今ここで出会ってる人たちを、どうでもいいとも思わない。
その二つは、併存させる。
「これも何かのご縁」
「きっと意味があるはず」
「大事にせねば」
・・・。
「いや、だから、意味なんかないって(笑)」
「たまたまたまたま(笑)」
「いつもは“意味づけはあかん”とか言ってるやん?」
・・・。
「でも、せっかく会ったんやし、雑に扱わないとか、敬意を払うくらいのことは大事にしていいんちゃう?」
「・・・うん、まぁ、それはそうかな(笑)」
俺は俺の人生を獲りにいく。
目の前の人たちは、その人の人生を生きてる。
たまたま、その道が今、交差してる。
それを、「ご縁」と呼ぶんかもしれんし、単なる「意味の無い偶然」と呼ぶんかもしれん。
まぁ、どっちでもええ。
いつものまっつんスタイルのオチ(笑)。
とりあえず、明日も一緒に仕事するんやし。
これからしばらくの人生の一時期、良好な関係を楽しみましょう。
よろしくお願いします(笑)☆


コメント