ニュースを見てると、ときどきなんとも言えん事件に出くわすよね。
ぜんぜん巨悪じゃない。
社会を揺るがすような不正でもない。
ちょっとした横領
しょーもない盗み
見苦しい偽証や隠蔽・・・
これ、身近で起こることもしばしば。
そこに漂うのは、怒りよりも、なんとも言えない“情けなさ”。
「なんでそんなことすんねん・・・」って呆れながら漏れる苦笑。
でも同時にこうも思う。
「あぁ、人間くさいなぁ」と。
「でも自分にも覚えがあるなぁ」と(笑)。
善人の潔さはない。
悪人というにはスケールが小さい。
この微妙な領域をうろつく存在を、今回はこう呼ぶことにする。
「小悪党」(笑)
☆小悪党の定義
今回あえて、「悪人」を、“リスク込みで他人を踏み台にしてでも利益を取りにいく人”とする。
とすると、小悪党は違う。
そんな覚悟も勇気もない。
ただ、自分を守るために、少しだけ現実をねじ曲げる・・・。
善人は理想を守る。
そして小悪党は、現実に適応する。
倫理より生活。
正義より保身。
倫理と生活のあいだで揺れる人間
それが小悪党。
いかが?(笑)
これ、「悪人になる勇気がない人」とも言えるかな。
で、少なくともまっつんスタイルは、人間のかなりの部分が、こういうグレーゾーンに住んでる気がする。
程度の差こそあれ、“小悪党的な何か”は誰の中にもあるんちゃうかな。
☆なぜ小悪党は生まれるのか
いや、別に容認しようとか断罪しようとかってことじゃない。
ちょっと冷静に観察してみようって話。
小悪党的な気質は、人間の“バグ”なのか?
いや、たぶんそうじゃない。
むしろ「仕様」と言うべきかなって。
人間社会って、理想だけじゃ回らないところがどうしてもある。
だから、
・責任を分散する
・直接対立を避ける
・空気を読み、立場を守る
こういうのって、それ自体は別に悪じゃない。
むしろ、集団の中で生きていくためには、ある程度必要な能力なんやと思う。
ただ、それが、「自分を守る」方向に傾きすぎたとき、少しずつ“小悪党化”していく(笑)。
・責任を分散する → 責任から逃げる
・直接対立を避ける → 都合の悪いことを誤魔化す
・空気を読む → 見て見ぬふりをする
・・・なんていうか、
小悪党は、社会性の“影”
って感じなんかもしれんね。
これは、「実は小悪党が社会を回してる」って話じゃないよ。
つまんない横領や盗みや偽証が、「社会の潤滑油です!」とか言い出したら、いくらなんでもおかしい(笑)。
そうじゃなくて、
人間の“小悪党的な曖昧さ”まで完全に排除しようとすると、社会はたぶん息苦しくなる
そういうこと。
誰だって多少は保身する。
多少は建前を使う。
多少は責任から逃げたくなる。
でも、そういう曖昧さまで含めて、人間はなんとか集団の中で生きてる。
小悪党そのものが社会の潤滑油なんじゃない
小悪党を生み出すくらいの“人間の曖昧さ”が、社会の摩擦を逃がしてることもある
そんな感じ。
ダサいし、みっともない。
でも、そういう人間の曖昧さまで全部なくそうとしたら、それはそれで社会は窮屈になるんやろね。
☆小悪党の心理
で、おもしろいのが、小悪党を動かしているのは、必ずしも強欲じゃないってこと。
これは、なんとなくイメージできそうじゃね?
そう、ただ「怖いだけ」やったりする。
・損したくない
・嫌われたくない
・責任を全部背負いたくない
つまり、原動力は、
欲望じゃなくて、“恐怖”
・生き延びたい
・傷つきたくない
・排除されたくない
だから少しだけ、誤魔化す。
ちょっとだけ、悪に手を染める(笑)。
大悪党が欲望から前へ出るとしたら、小悪党は恐怖から後ろへ逃げる。
その逃げ道で、ちょっとやらかす(笑)。
ここに、妙な“情けなさ”が漂うわけやね。
でもどうやろ。
同時にちょっとだけ、“必死さ”を感じなくもない。
例えばで言うと、『銀英伝』のコステア少佐とかヘルダー大佐がまさにそう。
情けないけど、めっちゃ必死。
わかる人にはわかるはず(笑)。
☆哀愁と、ほんの少しの“エロ”
小悪党は、格好よくはない。
胸を張れるわけもない。
でも妙に人間くさい。
・無い知恵を絞る
・その場しのぎの言い訳を考える
・なんとか今日を乗り切ろうとする
そんで、たまに少しだけ、衝動や冒険に身を任せたりもする。
そこに、ほんの微かに“エロ”(生命感)を感じ・・・なくもない(笑)。
理想じゃなくて、現実を生きてる匂いが、人間の色気になることもある。
悪一色が持つ色気じゃない
「現実を生きることへの執着」が放つ、微かな色気
立派でもなく、冷酷でもない。
ただ、どうにかして生き延びようとする姿。
情けないけど、全否定はできない。
それが小悪党の哀愁とエロ・・・(笑)。
☆小悪党はモテるのか?
ここ、どーでもええけど、ちょっと気になるところ(笑)。
結論から言えば、
短期的な魅力なら、無きにしもあらず
でも長期的には、信頼は得にくい
・小悪党は空気が読める
・人の弱さを理解している
・場を丸く収めることもできる
だから一瞬、モテるかもしれん。
でも小悪党は、ここぞという場面で、責任から逃げがち(笑)。
その本質的な臆病さや器の小ささが、肝心なところで滲み出るんちゃうかな。
ここがおそらく、本物のモテとの分岐点。
少しでもより良く生きようとするエネルギー(色気)は、たしかにある。
でもそこには、決定的に“安心感”が足りない。
少なくとも長く付き合う相手には、“刺激”以上に“信頼”が重要になってくると思うから。
小悪党は、多少は共感されるけど、信頼はされない。
だから小悪党は、モテの主役にはなりきれない・・・。
☆小悪党が消えない理由
それでも、小悪党は消えない(笑)。
というか、現実の社会って、“人間が完全には立派じゃない”こと込みで回ってる気がする。
理想だけでは硬すぎる。
正義だけだと息苦しい。
だから、小悪党が必要なんじゃない。
小悪党を生み出すような弱さや曖昧さまで、人間から完全に切り離すことはできない。
道徳だけで見れば「弱さ」。
でも現実では、その曖昧さが摩擦を逃がすこともある。
だから“小悪党的気質”は、たぶん社会から完全には消えない。
・・・ていうか、なにを真面目に小悪党について語っとんねん?(笑)
☆ZEN的視点
じゃあ、小悪党をどう扱うか?
断罪すれば、自分も傷つく(笑)。
かといって肯定すれば、堕落する。
だから、
観る
そう、自分の中の小悪党を。
・言い訳した瞬間
・保身に走った瞬間
・見て見ぬふりをした瞬間
そこには何があった?
恐れ?
執着?
承認欲求?
小悪党って、実は「人間理解の入口」やったりもするのよね。
自分の弱さを観察できると、少しだけ冷静になれる気もする。
そして、自分の中の小悪党に気づいたとき、人を責める理由が一つ減る。
むやみに他人を断罪しなくなる。
小悪党は、ある意味ZEN。
・・・いや、小悪党そのものがZENなんじゃない(笑)。
自分の中の小悪党を、裁く前に一回「観る」。
そこがZEN。
☆善人にも悪人にもなれない我々
人は、完璧な善人にもなれなければ、徹底した悪人にもなれない。
だから多かれ少なかれ、小さな誤魔化しをしながら生きてるところもある。
それを責めすぎると、苦しくなるし、美化しすぎると、腐る。
そういうもの。
だから小悪党は消えない。
社会からも、自分の中からも。
そしてその存在は、どこか可笑しい・・・。
ならばせめて、
自覚的な小悪党でいる
いや、「自覚して悪いことしよう」って意味じゃない(笑)。
「自分の中にも、保身やズルさがあることを知っておくってこと」
こんな発想を持っておくってのはどうだろう?
自分のズルさを知っている小悪党は、少しだけ人に優しくなれる。
情けなさを抱えたまま、それでも人は生きていく。
それが人間という生き物。
そして小悪党の哀愁は、今日もどこかで静かに漂ってるはず・・・☆


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