「自然の一部としての人間でありたい」 〜自身の半生を振り返る〜


☆ふと思い出した、過去の自分自身のセリフ

「自然の一部としての人間でありたい」


そういえば昔、こんなセリフをよく口にしてた。

心の中で(笑)。

その思いは、俺を農業の世界へと導いた。

今からおよそ20年前。

現在、俺は農業を辞め、別の道を進もうとしている。


そして、このタイミングでまた「自然の一部としての人間でありたい」というセリフが脳裏をよぎった。

つい先ほどのこと。

「なぜ、今?」


結局俺は、「自然の一部としての人間でありたい」という思いを実現したのか?

心の奥底でこの思いとどう付き合ってきたのか?


今日は、俺がこの20年で悟ったことを、あえて独白調で書いてみる(笑)。


☆いわゆる“フツーの生き方”はできない?

十代のころ、俺はどこか厭世的やった。

元々の性格でもあったろう。

でも、片親で、貧乏で、家族は皆病気がち・・・。

そういう環境が影響してたことも、たぶんある。

いや、大いにある。


ただ、そのことを差し引いても、俺は早い段階で直感してた気がする。

「この資本主義的な世の中には、俺はたぶん馴染まれへん」

と。


☆やはり、資本主義のレールに、最初からワクワクできなかった

高校時代、見事に大学受験に失敗。

その他、不運に見舞われながらも、二十代のころはなんとか会社員として働いてた。

正真正銘、フツーの会社員。

別に地獄やったわけやない。

やりがいも収入もそれなり。

でも、正直、「満足してたか?」と聞かれたら、全然・・・


この世界でのし上がろうとか、出世しようとか、金を稼ぎまくろうとか・・・。

そんな野心は驚くほど、芽生えんかった。

「この世界で“勝つ”こと」に、まったく魂が反応しなかった。


☆ジブリ映画と、「大地に近い暮らし」への憧れ

その一方、俺はジブリ映画にドハマりしていた。

『風の谷のナウシカ』、『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』・・・。

大地に根差して生きること。

自然の中にいながら、知的好奇心を満たす静かな生活。

「風の谷」の暮らしを夢想し、サツキとメイのお父さんに自分の将来を重ねたりもした。


今思えば、あれは、

“人間的意味から少し自由な生き方”

への憧れやった気がする。

同時に、

“なにかにせき立てられる街の焦燥感”

からの脱出やったとも思う。


そういえば、作品をちゃんと読んだこともないくせに、兼好さんや良寛さんに親近感を抱いてた(笑)。

このへんはもう直感としか言いようがない。

自分の理想を体現してる人はすぐにわかったんやと思う。

「自然の一部としての人間でありたい」

そんな思いで俺は、農業の道を選んだ。


☆山奥で手に入れた“その気にさせてくれる”暮らし・・・

山奥の小さな村で、ひとり。

ある意味、資本主義と距離を置いた暮らし。

街の喧騒と無縁の暮らし。


それは確かに、

「自然の一部として生きてる“気にさせてくれる”」

生活やった。

移住した当初、言い知れぬ満足感が間違いなくあった。

「あぁ、俺はここで死ぬんかな?」と。


が――

ことは、そんなに単純じゃなかった・・・。


☆陳腐な知的コンプレックスと現実逃避

大学受験の失敗。

手のひらからこぼれ落ちた、「大卒」の肩書。

これが、思ってた以上に尾を引いてた。

今思えば恥ずかしいくらいに。

卑屈で澱んだコンプレックスが、心の奥でとぐろを巻いていた。


「最低限、人間らしい暮らしができればそれでいい」

そんなことを言いながら、実は人並み以上の生活を望んでいた。


知的好奇心はあるのに、高卒の負い目が行動にブレーキをかける。

「俺はこんなところにいる人材じゃない」との呻き声が、どこからともなく聞こえてくる。


晴耕雨読の隠者にもなれず、農家としてバリバリ仕事に没頭することもできず・・・。

ただ、中途半端な暮らしを維持するだけで精一杯の日々。


☆どっちつかずのまま過ぎた、およそ15年

本音を見失い、あるいは見失ったふりをしながら、

「でもどうしてええんか分からん・・・」

そんな状態で、時間だけが過ぎていった。


途中、奇跡的に結婚することができた。

「もしかしたら、俺も“フツー”の暮らしができようになるかも?」

そんな期待が胸をかすめた。

しかし、現実は何も変わらなかった。

今にして思えばこの結婚も、薄弱な意思による逃避であり自己欺瞞だったのかもしれない。


「こんな生活、あと何年続くん?・・・」と何度絶望したか。

悔恨や劣等感と振り切れない歯痒さに、何度涙したことか・・・。


結局、ほどなくして離婚。

しかし、この離婚の経験がデカかった。

人生の一大イベントを経て(笑)、俺はもう一度、自分と真正面から向き合うことになった。


☆「自然の一部としての人間」とはなんやったんか?

離婚の衝撃は大きかった。

自分という人間に心の底から嫌気がさした。

「なんなんや俺は!」と。

そして、「もう嫌や!俺は生き直す!絶対に生き直す!」と固く誓い、「だから元気でいたい」と声に出した。


ここでようやく、ようやく、もう一度、真剣に自分に問い直した。

「俺が当初考えてた“自然の一部としての人間”って、ホンマはなんやったんやろ?」と。


資本主義に背を向けること?、田舎で農業をすること?

いや、そんなことじゃない。

生まれを呪うこと?、大卒へのルサンチマンを拗らせること?

アホか。

んなわけない。

ぜんぶ違った。


☆20年かけて気づいた、当たり前の答え

答えは、驚くほどシンプルやった。

過去への意味づけや執着を手放すこと。
常に自分の本音と向き合うこと。
湧き上がる衝動に正直に生きること。

そのために必要なことを学び、日々、淡々と、やるべきことを一生懸命にこなす。

考えてみれば、めちゃくちゃ当たり前の話

でも俺は、その当たり前に気づくまで、20年かかった。

学生時代から数えたら30年か?(笑)


☆ベタやけど、「人生に遅すぎることはない!」

ひたすらどっちつかずやった。

あまりに長い遠回りやった。


でも今は、「戻ってきた」という感覚がある。

いや、「やっと気づいた」と言うべきか。


俺は今、農業の世界から離れ、新しい道を模索し始めている。

昔からやりたかったこと、実現したかったライフスタイルをもう一度追い求めることにした。

「言葉と文章を使った“一生モノのライフワーク”の構築」にも着手した。

この「まっつんスタイル」がそう。

今、心はとても穏やかだ。


結局人間、

“心の在り方がすべて”。


自分の感情に素直であること。

これこそが、俺にとっての「自然の一部として生きる」ということやったんやと思う。


何年かかっても構わない。

散々言い尽くされた言葉やけど、

「人生に遅すぎることはない!」

と、まっつんスタイルの読者には改めて伝えたい☆


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