☆昔、ホワイトバンドってあったよね(笑)
昔、「ホワイトバンド」って流行ったの覚えてる?
白い腕輪みたいなのを手首につけるやつ。
「世界の貧困問題について考えよう」みたいなキャンペーンやったと思う。
なんか似たようなのが他にもあった。
少し時代は下るけど、氷水を頭からかぶる「アイス・バケツ・チャレンジ」。
ALSっていう病気への認知を広げたり、寄付を促したりする運動やったかな。
こういうのって、テレビをつければ、昔から大型チャリティー企画なんかもある。
で、だいたい賛否が分かれる(笑)。
「素晴らしい活動やん!」
っていう人がいる。
その一方で、
「偽善だ!」
「売名だ!」
「ギャラもらってんだろ?」
みたいな声も出てくる(笑)。
まっつんスタイルも正直、
「う〜ん、なんか胡散臭いなぁ(笑)」
って思うことはある。
でも、こないだふと思ったのよね。
そもそも、
「偽善」って、何がそんなに嫌なんやろ?
今日はそんな話。
☆
☆善意にだけ、なぜか「純度100%」を求める?
例えば企業が、
「いい商品を作って、お客さんに喜んでもらいたい。そして儲けたい」
って言う。
まぁ普通のこと。
仕事だってそう。
「人の役に立つ仕事がしたい。でも給料も欲しい」
別におかしくない。
ブログだってそう。
「読者に楽しんでもらいたい。でも収益にもなったら嬉しい」
これも普通やし自然。
まっつんスタイルがそう(笑)。
ところが、よ、
「困っている人を助けたい。でも会社のイメージアップにもなったら嬉しい」
ってなった瞬間、
「はい出た、偽善(笑)」
みたいな空気が漂う。
なんで?(笑)
どうも世間は、「善いこと」に関してだけは、
自分は一切得をしない。
褒められなくてもいい。
誰にも知られなくてもいい。
見返りなんて一切いらない。
ただただ他者のために。
みたいな、
「善意純度100%」
を求めるところがあるらしい。
承認欲求が混ざった。
マイナス10点。
売名が混ざった。
マイナス30点。
企業のイメージ戦略。
マイナス20点。
「いいことした俺、ちょっと好き」感。
はいそれも減点(笑)。
まっつんスタイルも、まぁ心当たりがないとは言わん。
俺らの心には、
「善意の純度計」
でも搭載されとるんかね?
ただ、そんな純度100%の人間なんか、
ホンマにおる?(笑)
☆
☆黙ってやる方がカッコいい?
ここで思い出すのが、
「陰徳」
っていう考え方。
「善行は、人知れず行うがよし」ってやつ。
誰かに褒めてもらうためじゃなく、見返りを求めるでもなく、黙って「徳」を積む。
こういうのって、確かにカッコいい。
まっつんスタイルも好き。
例えば、同じ10万円を寄付したとして、
誰にも言わず匿名で寄付する。
「おお・・・」
ってなる。
(まぁ「おお」ってなった時点で、誰かに知られとるけど(笑))
一方、寄付したことをSNSで報告する。
「まあ、ええことやな」
ってなる。
じゃあ、
自撮り、
涙、
感動的なBGM、
「今日は恵まれない子どもたちのために・・・」
ってなってくると、
「あれれ?(笑)」
ってなる。
不思議なのは、
受け取る側の10万円は、
一円も減ってないこと。
なのに、
見る側の中では“善意ポイント”が減っていく(笑)。
なんか不思議。
☆
☆嫌いなのは「善」じゃなく「偽」?
例えば、
「困っている人を助けたいです。それに会社の宣伝にもなるので、100万円寄付します(笑)」
って、真正面から言われたらどうやろ?
意外と、
「まあ、ええんちゃう」
ってなる気がする。
少なくとも、まっつんスタイルはそんなに嫌じゃない。
でも、
「私たちはただただ、子どもたちの笑顔のために――云々」
感動的なBGM。
美しい映像。
涙。
そして最後に、
企業ロゴ、ドーン!
ってなると?
「いや、うん・・・、なんか違う(笑)」
って思ってまう・・・。
ここで一つ気づくよね。
もしかすると、
俺らが嫌っているのって、
“善意に私欲が混ざっていること”じゃないんかもしれん。
私欲が混ざっているように見えるのに、
「私欲なんて一切ございません(キリッ)」
みたいな顔をされること(笑)。
つまり、
「いやいや、嘘ついてるやん」
っていう感覚。
正確には、
“建前と実態のズレ”に対する違和感
なんかもしれんね。
だとしたら、
偽善が嫌われるのって、
「善」が嫌われてるんじゃない。
「偽」が嫌われてる。
うん、なんか、ものごっつ当たり前のところに着いた(笑)。
でも、誰もがなんとなく思ってることを、あえて言語化するのが『まっつんスタイル』。
☆
☆でも、それって本当に「偽」なん?
でも、ここで話は終わらない。
それもまた『まっつんスタイル』(笑)。
例えば、有名人が100万円寄付した。
その様子をSNSにも投稿した。
僕らは、
「はいはい、売名(笑)」
と思う。
でも、
その人は本当に困っている人を助けたいと思っているかもしれない。
助けたい。
でも、褒められたら嬉しい。
注目もされたい。
イメージアップにもなったら嬉しい。
自分を「いい奴だな」と思いたい。
全部あるかもしれない。
人間の動機って、
そもそもそんなに一色なんだろうか。
「助けたい100%」
「売名100%」
みたいに、
綺麗に分かれているものなんだろうか。
たぶん違う。
いろんなものが混ざっている。
じゃあ、
「あいつは売名目的だ」
「あいつは偽善者だ」
って言ってる俺らは、
その人の心の中を見たんか?
・・・いや。
見てない(笑)。
☆
☆匿名の善人だって、分からない(笑)
逆もそう。
誰にも知られず、
匿名で100万円寄付した人がいる。
「なんて純粋な善意なんだ」
って思う。
でも本人は、
「誰にも知られず善行する俺、カッコいい・・・(ムフフ)」
って思ってるかもしれん(笑)。
本人の中では、
ものすごい自己満足が発生してる可能性だってある。
いや、それが悪いっていう話じゃない。
むしろ、
誰かが助かって、
本人も幸せなら、
ええやん(笑)。
ただ、
ここまで考えると、
「見せる善=不純」
「隠す善=純粋」
とも言い切れなくなってくるって話。
結局、
他人の腹の中なんか分からん。
言わんや、偽善か否かをや(笑)。
ここに行き着く。
あぁ、また当たり前のオチ(笑)。
でもそうやん?
こう思えば、他人の好意をいちいちジャッジせんで済む。
☆
☆しかも、善意は「見せないと広がらない」こともある
ここで『まっつんスタイル』は、さらにややこしくする(笑)。
さっきの陰徳。
個人的にはカッコいいと思う。
好き。
でも、
社会運動として何かを広めようとすると、
黙ってたら広がらん(笑)。
例えば、
アイス・バケツ・チャレンジ。
氷水をかぶる。
動画を撮る。
SNSに投稿する。
次の人へつなげる。
でまた次の人へ。
こうして話題になった。
ALSっていう病気を知らんかった人にも届いた。
実際、ALSの認知拡大につながった。
もし一人で風呂場へ行って、
氷水を頭からかぶり、
「ALS患者のために・・・」
って心の中で唱えて終了したら?
うん、ただ寒いだけ。
自己満足にすらならん?(笑)
あの運動は、
「見せる」
こと自体に意味があったじゃないかね。
つまり、
「善は黙ってやる方がカッコいい」
っていう美意識と、
「善は見せなければ広がらない」
っていう現実が、
普通にぶつかることもある。
これはなかなか難しく、まっつんスタイル的にはおもしろい。
☆
☆「偽善」じゃなくて「その見せ方が嫌い」なのかも?
そして、もう一つ思う。
俺らが、
「偽善や!」
って感じているものの中には、
“倫理的な善悪とは別のもの”も、
かなり混ざっているんじゃないやろか?
例えば、
黙って寄付。
カッコいい。
淡々と寄付を公表。
まあいい。
自撮り。
涙。
感動BGM。
「僕たちにできることがある――」
・・・なんか好かん(笑)。
でもこれ、
本当に「悪」なんやろか?
もしかすると単純に、
「その善行の見せ方、俺の美意識には合わん」
ってだけなんかもしれんやん?
だとしたら、
「偽善者だ!」
とか、大層な倫理判断をする必要ってないよね。
「ああいう見せ方は、どうも好かん(笑)」
でいい。
なんなら、
倫理の問題やと思っていたものの一部は、
善行に対する美意識の問題
やったりするのかもしれん。
☆
☆そう考えていたら、最近ひとつ思い当たることがあった
先日、熊本地震のあと、長渕剛が熊本市に義援金1000万円を寄付した、というニュースを見た。
これ、普通にニュースになってた。
市長に目録を渡してる写真まで出てた。
つまり、
めちゃくちゃ「見える善行」なんよね(笑)。
でも、まっつんスタイルは、
これを見て、
「はいはい売名(笑)」
とか、
「わざわざニュースにするなよ」
とは、別に思わなかった。
むしろ、
「おお、1000万円。すげぇな」
くらいやった。
めっちゃ自然なことやって思ったのよね。
・・・あれ?(笑)
ってなると、
やっぱりまっつんスタイルが引っかかってるのって、
「善行を公表すること」そのものじゃないんやな。
同じ“見える善”でも、
気にならんものと、
妙に鼻につくものがある。
じゃあ、その違いって何なんやろ?
金額?
人柄?
普段の振る舞い?
見せ方?
演出?
それとも、
ただの俺の好み?(笑)
こうなってくると、
ますます「偽善」っていう倫理の話より、
善行をどう見せるかという美意識の話
に近づいてくる気がするよね。
☆
☆「胡散臭い(笑)」までは自由
じゃあ、
“偽善っぽいもの”に遭遇したとき、
俺らはどう振る舞えばいいんやろ?
まっつんスタイルとしては、
まず、
「なんか胡散臭い(笑)」
って思うところまでは、
別にええと思う。
違和感まで消す必要はない。
「善意を疑うなんて心が汚れてる!」
とか言って、自分を矯正する必要もない。
ていうか、そんなん無理(笑)。
胡散臭いものは、
胡散臭い(笑)。
ただ、
「なんか胡散臭い」
から、
「あいつは偽善者だ」
まで飛ぶと、
ちょっと話が変わる。
前者は、
自分がどう感じたか。
後者は、
相手の内面について、勝手に断定してる。
この二つの間には、
なかなかの距離がある。
だから、
「俺にはちょっと偽善っぽく見えるかなぁ」
くらいで、“意識的に”止めておく。
本当の動機?
知らん(笑)。
これくらいの振る舞いが、まっつんスタイル的には健全かな。
☆
☆心より、「何が起きたか」を見る
じゃあ何を見る?
「やらない善より、やる偽善」
っていうオチではおもんない(笑)。
まっつんスタイルは、
実際に寄付は届いたのか、
誰かが助かったのか、
お金の流れはどうなっているのか、
当事者の尊厳を傷つけていないか、
善意を盾にして、
おかしなことを正当化していないか。
そういう、
外から確認できるもの
を見ればいいんじゃないかねと思う。
100万円寄付した。
実際に誰かが助かった。
本人に売名欲があったか?
知らん。
でも、
100万円は100万円(笑)。
逆に、
「世界のために!」
と美しいことを言っていても、
仕組みがおかしければ疑えばいい。
他人の心という、
どう頑張っても観測できないものを裁くより、
実際の行為を見る。
その方が、
いくらか話はシンプルになる。
心も、無駄にざわつくこともないしね。
☆
☆結局、自分はどうする?
そして最後は、
ここへ戻ればいい気がする。
有名人の寄付を見て、
「売名や!」
企業のチャリティーを見て、
「イメージ戦略や!」
SNSの善行を見て、
「承認欲求や!」
って悶々と30分考える(笑)。
・・・自分の人生、一ミリも進んでへん(笑)。
だったら、
「ああいう見せ方、俺はあんまり好きじゃない」
で思考は終える。
自分が寄付するときは、
黙ってやる。
あるいは、
広める意味があると思ったら公表する。
自分がカッコいいと思うやり方を選ぶ。
分かりもしない“他人の善意の純度”を測るより、
自分はどう振る舞うのか。
結局、
自分で扱えるのはそこだけやからね。
☆
☆「善」より「偽」が嫌だった。でも・・・
最初は、
「なんで偽善って、あんなに嫌われるんだろう?」
という疑問。
でも、考えてみると、
善意に私欲が混ざることそのものより、
私欲があるのに、
「ありません」
という顔をされることへの違和感が大きい気がした。
つまり、
嫌だったのは、
「善」より「偽」。
なるほど。
意外とシンプルやった。
・・・って思ったけど(笑)。
さらに考えてみたら、
本当に「偽」なのかどうかすら、俺には分からん(笑)。
他人の心なんて見えない。
だったら、
違和感は違和感として持つ。
怪しい仕組みは疑う。
実際に何が起きているかを見る。
でも、
他人の心の中まで勝手に裁かない。
「なんか胡散臭い(笑)」
までは自由。
でも、
「あいつは偽善者だ」
と言い切れるほど、
俺はそいつの心を知ってるんか?
いや、知らん(笑)。
ならまあ、
俺は俺で、
自分がカッコいいと思う善のやり方を選べばいい。
他人の善意の純度測定はほどほどに☆


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