☆評価が怖いのは当たり前
「評価されるの、怖い・・・」
これはもう人間やってたらどうしようもないやつやね。
例えば立ち上げ初期の「まっつんスタイル」。
記事を書こうとすると手が止まる、公開ボタンを前にして、なぜか息が浅くなる。
「くだらないって思われたらどうしよう・・・」
「つまんねーって思われたらイヤやなぁ・・・」
ホント、うんざりするくらい次から次へと湧いてくる恐怖心。
まぁでもこれ、意志が弱いからでも、覚悟が足りないからでもなくてね。
「評価が怖いのは、正常な人間の反応」
で、思ったわけ。
「波を怖がってたら、いつまでも海を感じられへん」と。
評価ってやつは波。
その波に飲まれて溺死するか、乗りこなして気持ちよく漂うか。
波に乗って、他人からの評価を越えたところに、まっつんスタイル的“色気の自由”がある。
今日はそのあたりのところに潜ってみようかな。
☆評価の正体を勘違いしていると、必ず苦しむ
たぶんほとんどの人が無意識にこう思っちゃってる。
- 評価 = 自分の価値
- 評価 = 人格の通信簿
- 評価 = 紛れもない真実
でもこれね、実はぜん〜ぶ誤解なのよ。
☆評価は「あなたの中」にも「作品の中」にも無い
ここがこの記事の核。
評価とは、評価する人の内側で起きている出来事に過ぎない。
これ、ちょっとおもろいやろ?
で、実際に“評価なるもの”が生まれる流れはこう。
- あなたが何かを表現する(記事・発言・行動)
↓ - それを見た誰かの価値観・期待・感情が反応する
↓ - その誰かの中に「像」が立ち上がる
↓ - その像に意味(評価)がつけられる
これ伝わるかなぁ?
誰かが下してる評価は俺らとは無関係なのよね。
俺らが勝手に「自分に対する評価」と認識してるものは、実は“誰かの内側で完結”している謎の代物ってこと。
☆「評価 = 鏡・人格 = 触れられていない」
ここでちょっと比喩を使ってみる。
「評価 = 鏡・人格 = 影」
と、こんなふうに考えてみる。
- 鏡:評価者の価値観・期待値・自己物語
- 影:その人の中に一時的に立ち上がった俺らの像(虚像)
- 人格:俺らの存在そのもの(評価不能)
評価は、俺らを映しているようで、実は相手自身(評価者自身)を映している鏡。
俺らの人格は、そもそも評価が届く場所にないってこと。
ちょっと難しいけど、ここ理解できたら無敵マインドに近づける(笑)。
☆それでも心が揺れる理由(ここ超重要)
とはいえ、最初にも言ったように、「評価恐怖」は人間の正常反応。
理屈が分かっても簡単には消えない。
なぜか?
人は評価を「生存の合図」として脳に刻んでいるから。
- 「有能と思われたい・・・」
- 「無能と思われたくない・・・」
- 「他人には拒絶されたくない・・・」
つまり
- 否定=集団からの排除
- 排除=下手したら死のリスク
これはもう本能レベル。
あと最近だと、
「これ以上自己イメージを傷つけられたくない・・・」
みたいなのもあるかもね。
だから、
「評価が怖い = 弱い」ってことじゃない。
評価が怖い = ちゃんと人間!
このことを大前提として知っておけば、随分と気がラク。
☆評価恐怖を乗り越える「実践的ZENマインド」
ZENマインド①:評価を「情報」ではなく「現象」として見る
×「この人はこう思った」
○「この人の内側で、こういう反応が起きたらしい」
ただそれだけのことって考える。
例えば、ブログ記事を公開したときはもちろん、初対面の印象、大勢の前で話すときの緊張も全部これでいける。
☆評価と自分を切り離す。評価を自分の中に取り込まない。
ZENマインド②:評価が出た瞬間、“身体に戻る”
- 呼吸
- 全身の触覚
- 景色、音、香り
評価は思考。
身体感覚は「今」。
自分の存在(価値)を確かめるって感じかな。
☆「今」に戻ると、評価は勝手に薄れていく。
ZENマインド③:「評価されても壊れなかった体験」を積む
いきなり無敵にはならん。
- 小さく出す
- 反応を受け止める
- 生きてる自分を確認する
これを繰り返す。
評価が怖いのは、シンプルに“見られること”に身体が慣れてないだけ。
これはまっつんスタイルには大いに心当たりがある(笑)。
☆恐怖は理解ではなく、体験でしか更新されないと知る。
☆「評価は“波”で、人格は“岩”」
最後にもう一個比喩。
波(=評価)は寄せては返す。
でも岩(=人格)は動かん。
つまり、“耐える”んじゃなくて、“動かない自分をイメージ”する。
何度も「嵐の中で座る」経験をしたら、評価なんか風の音みたいに聞こえなくなる。
「なんか文句あんのかぇ?」ってなもんで(笑)。
ZEN語チックにまとめると:
波を恐れるな。海を感じろ。そして自身は岩であれ。
☆まっつんスタイル的「評価との付き合い方」結論
ズバリ!「評価の正体を知って、あとは少しずつ慣れる」。
そういうこと。
あ〜、あとブログ運営のことでいうと、
- 「そもそも全員にウケるとか無理」
- 「誰か一人に深く刺さればそれでいい」
- 「誰が何と言おうと、俺はおもろい(笑)」
こういう考え方も、評価に対するスタンスとしては大事かな。
というわけで、まっつんスタイル的ラスト一文。
「評価を恐れるな」、ではない。
「評価を消し去ろう」、でもない。
「評価は“波”、人格は“岩”」であると知る。
評価は俺らを定義しない。
評価とは、ただ誰かの内側で一瞬起きて、消えていくだけのもの。
評価が起きても呼吸は止まらない、世界は崩れない、人生は終わらない。
そして、俺らの価値は決して揺るがない。
そのことを体で知ること。
評価恐怖を乗りこなした先に、まっつんスタイル的“色気と自由”がある☆


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