運転大好きまっつんスタイル(笑)。
なんかさ、心がいい感じに静けさを保つのは、意外と車の運転中だったりするのよね。
不思議なもんで、部屋でじっと座ってる時より、むしろ運転中の方が心が整うことってある。
もちろん運転中だから、単にぼーっとしているわけじゃない。
前方注意
ミラー確認
車間距離把握
速度調整
標識注意
歩行者、対向車警戒
ちゃんと緊張感はある。
で、この緊張感が、たぶんいい感じに作用する。
過剰でもなく、不足でもない。
安全運転に最低限必要な、ほどよい集中。
その中で、心がすっと静まる。
この運転中の“集中車内空間”に、最近まっつんスタイルが名前をつけた。
その名も「車禅堂(しゃぜんどう)」(笑)。
☆運転は、動く瞑想
座禅は、座って静けさを得る。
でも運転は、動きながら静けさを得る。
いわば、“動中の静”。
車内という小さな空間に身を置きながら、程よく外界とつながってる感覚。
完全に閉じこもっているわけじゃない。
でも、外界に侵食されすぎるわけでもない。
窓一枚を隔てて、世界と接してる。
この“淡い距離感”が、なんともいい。
外とつながりながらも、孤高を保つ。
まっつんスタイルの大好物「中道」っぽいし、まっつんスタイルが目指す「都会の隠者感」にもめっちゃ近い。
☆車内は、自我を鎮める結界
運転中は、スマホにもPCにも触れない。
人間とダイレクトに関わることもない。
情報や感情の濁流から、強制的に切り離される。
その代わりに、五感が動き出す。
視界を流れていく景色
ハンドルの感触
ペダルの重み
車体の揺れ
エンジンの音
好きな音楽
光の変化
時間帯の空気
これらが、“過剰に立ち上がる自我”を、やわらかく鎮めてくれるんやね。
「俺はどう見られてる?」
「今のままでいいのか?」
「もっとがんばらなあかん?」
「どんな評価されてる?」
「結局どうしたい?」
そんな取り止めのない思考が、道路の流れに溶けていく感じ。
車内は、狭い。
でもその狭さが安心になったりもする。
まるで、小さな禅寺。
いや、移動式の禅寺。
それが「車禅堂」(笑)。
☆運転は、内観道場でもある
だからこそというべきか、運転中って、自分の心の動きがよく見えるもの。
煽られた時
追い抜かれた時
譲る時
譲られた時
渋滞にハマった時
予定より遅れそうな時
尿意を感じた時(笑)
そのたびに、心が動く。
そしてその動きをはっきりと感じる。
イラッとする
焦る
ホッとする
ビビる
余裕が無くなる
優しくなれる時もある
つまり運転って、「“心のハンドル”を観察する場」にもなるんよね。
例えば、わかりやすく煽られた時。
「でもこれ、煽られてる?」
「相手には何か事情がある?」
「今俺、怒ってる?」
「停まって先に行かせる?」
「そういえば自分も、誰かを煽ったことない?」
そんなことを考える。
これ、もはや禅問答やね(笑)。
道路上で起こる出来事は、自分の中の怒り、恐れ、比較心、余裕、慈悲。
これら全てを映し出す。
運転ってホント、意識すればするほど、ただの移動じゃないんよね。
かなり実践的な「内観」。
☆音楽が重なった時、世界と溶け合う
そして、ここに音楽が加わる。
今、本当に聴きたい曲を流しながら、走る。
これがもう、たまらなく気持ちいい(笑)。
気温
時間帯
コンディション
車間距離
交通量
空の色
曲のテンポ
心の状態
このへんが全部、カチッと噛み合う瞬間。
そのとき、ただのドライブが、ちょっとした“神域”に入るのよね。
音楽を聴いているのか、音楽の中を走っているのか。
景色を見ているのか、景色の一部になっているのか。
ちょっとだけわからなくなる。
思考も感情も、風景も音楽も、車の動きも、全部がひとつになって流れていく。
そんな感じ。
思わず泣き笑いで、視界がぼやけてしまう、なんてことさえある。
あれってたぶん、“生の一致体験”みたいなことちゃうかな。
☆記憶が少し、飛ぶ感じ
滅多にないけど、運転してて、たまに数分だけ記憶が飛ぶこともある。
もちろん危険な意味のそれじゃないよ(笑)。
意識ははっきりしてるけど、思考の実況中継だけが止まる感じ。
ちゃんと運転はしてる。
でも、
「あれ?今、何考えてた?」
「曲、一瞬飛んだ?」
「もうこんなとこまで来た?」
みたいなね。
この時、若干の疲労感が伴ってるのはたしか。
でも、あれはたぶん「フロー状態」に近い。
“思考の実況中継”が止まって、感覚と動作だけがつながってる状態。
自我がおとなしく静かになった状態。
「俺が運転してる感覚」が薄れて、運転っていう流れの中に、自分自身が“溶ける”。
これ、かなり禅っぽい。
てか、ほとんど禅(笑)。
座禅堂が「静の瞑想」なら、車禅堂は「動の瞑想」。
車が走る。
景色が流れる。
音楽が鳴る。
そのとき、心は静まる・・・。
☆イヴォークという移動式禅寺
だからまっつんスタイルは、やっぱりシルバーイヴォークを、買うべくして買うんやと思うわけ(笑)。
あれはもはや、単なる車じゃない。
まっつんスタイルにとっては、移動式の禅寺。
都会の隠者の結界であり、動中の静を味わうための器なんよね。
さっきも言った、外界とつながりながら、孤高を保つ。
そのためのツール。
都会的で、洗練されてて、でもどこか野性も感じさせる。
静けさと疾走感。
上品さと孤独。
その“あわい”。
それが、レンジローバー・イヴォークにはある。
イヴォークの運転席は、まっつんスタイルにとっての坐禅堂。
ハンドルは、心の舵。
アクセルは、欲。
ブレーキは、理性。
ミラーは、内観。
フロントガラスは・・・、無常のスクリーン?(笑)
勘違いか、もしくは自己陶酔か?
まぁそんなことはどーでもいい(笑)。
☆ニューレトロウェーブは、現代の声明
そして、その車禅堂に流す音楽は、ニューレトロウェーブにしようじゃないか(笑)。
Isidor
Wolf and Raven
Dance With the Dead
The Midnight
Biodrive
Kalax
FM-84
Yota
Mitch Murder・・・
このへん。
知らんやろ?(笑)
でも完全に、まっつんスタイルの美学をなぞった見事なラインナップ。
あまりにハマりすぎて笑える(笑)。
アーバンリゾート
夜と孤独
ハイウェイとネオンサイン
雨上がりのアスファルト
エイティーズ的未来感
懐かしさと疾走感
ニューレトロウェーブって、どこか“過去の未来”を走ってる。
そんな音楽なんよね。
懐かしいのに、新しい。
孤独なのに、熱い。
人工的なのに、妙に人間臭い。
これまた“あわい”。
“あわい”の音楽。
車禅堂に流れる、現代の声明であり、シンセの読経(笑)。
☆流れながら、“在る”
車の運転は、座禅。
運転中の車内は、禅堂。
少なくとも、まっつんスタイルにとってはそう。
五感を使った瞑想であり、心のハンドルを観察する内観であり、外界とつながりながら孤高を保つ中道の実践。
ていうかみんな、一回そんなふうに考えてみて。
運転中に、自然と静まる心。
これは偶然じゃない。
ほどよい緊張
流れる視覚情報
耳を撫でるお気に入りの音楽
安心できる閉鎖空間
電子情報から離れた思考領域
そのすべてが、自我の暴走を緩やかに制御してくれる。
だから、まっつんスタイルは、イヴォークを手に入れるんやろう。
それはもう確実に。
贅沢品とか言ってんじゃねー(笑)。
まっつんスタイルにとっては、移動式の禅寺であり、侵されざる神域。
ニューレトロウェーブを流しながら、夜の道を走る時、きっと、またあの静けさに出会う。
走りながら、静まる。
流れながら、“在る”。
これが、まっつんスタイル流・車禅堂。
さて、シルバーイヴォークのハンドルを握る日は近い。
・・・まぁ、知らんけどね(笑)☆


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