郷土愛が育つ条件と、育たなかった理由 〜地元愛が強い人を羨望する話〜


「郷土愛って、なんで育つ人と育たん人がおるんやろ?」

最近ふと、そんな問いが浮かんでね。

ちょいと地方都市を何度もぶらぶらする機会があったからやと思う。

でまぁ俺は完全に後者なわけで(笑)。


別に明確に地元が“嫌い”ってわけじゃない。

人並みに愛着はある・・・、と思う(笑)。

でも、「誇りを感じる」とか、「帰りたくてしゃーない」とか、そこまでの感覚じゃない。

帰省して「落ち着く〜」とかって感じも・・・、まぁ別にない。

もう実家もなけりゃ家族もおらんから、もはや“帰る”って感覚すらないかも(笑)。

せいぜい、ちょっと気持ちいいノスタルジーがあるくらい。

でもまぁ、別にそれでいいと思ってるんやけど。


ただ不思議なのよね。

一方で、郷土愛が強い人を見ると、なんか無性に羨ましくなる。

「ええな〜」って(笑)。

あの感じ、なんなんやろか?


で、あれこれ考えてみて、ちょっとずつ見えてきたことがある。

郷土愛って、「その土地で生まれただけで自動的に育つもんじゃない」ってことはたしか。

おそらく大事なのは、

その土地で、自分が“肯定された記憶”があるかどうか

これやね。

これがかなり大きいと思う。


家族仲がいい。
友達が多く、関係も良好。
能力を発揮できる(認められる)環境がある。
コミュニティ内で、明確な役割がある。
日々の暮らしに、ちゃんとした満足感がある。

こういう条件が揃うと、人はその土地で「自分を好きでいられる」。

あとは、「強烈なネガティブ体験がない」ってのも大事かな。

その結果として、自分が生まれ育った土地そのものにも愛着が芽生える。

考えてみれば当たり前かもしらんけど、改めて言葉にすると、これ、なかなか感慨深い(笑)。


逆に言うと、この“反対”の経験をした人は、郷土愛が育ちにくいんやろな。

もう少し丁寧に言うと、

郷土愛とアイデンティティのバランスを、保ちにくくなる

かな。


地元にいると、自分が縮む感じがする、役割が固定される、世界が狭く感じる・・・。

「ネガティブ体験と紐づいてしまって、この土地から逃げたくなる」。
「ここにいたら、俺はこのまま変われない気がする」

そんな感覚を持った瞬間、その土地は、“安心できる場所”じゃなくて、“可能性を閉じる檻(おり)”に変化してしまう。

この場合、距離を取るのは、裏切りでも冷たさでもなくてね。

自己保存の判断


そう、何を隠そう、強烈なネガティブ体験の記憶から逃げ出したのは、この俺(笑)。


実は最近、『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈著・2023年・新潮社)を読み直したのもあってね。

主人公の成瀬は、もう郷土愛の権現みたいな存在(笑)。

めちゃくちゃ地元(滋賀県大津市)を愛してる。
めちゃくちゃ楽しそう。
そして、めちゃくちゃ自由。

正直、めちゃくちゃ羨ましい(笑)。

でも、これも考えてみると、成瀬は「郷土愛があるから強い」んやなくて、

自己肯定”が仕上がってるから、郷土愛と矛盾しない

ってことなんちゃうかな。

家族に愛され、友人に恵まれ、自分の好きや興味を存分に発揮できる環境としての地元。

大津が好きすぎて、同時に、何にも縛られることなく、ひたすら自由。

この感覚が、成瀬の郷土愛を醸成したんじゃなかろうか。

ただひたすら羨ましい!(笑)


ここまで考えて、もう一つ、大事な視点があることにも気がつく。

郷土愛があるかどうかと、そこに住み続けるかどうかは、意外と別の話


今の時代、

「地元は好きやけど、こんな地方都市じゃ、俺の能力は発揮できん」

なんて話、全然珍しくもない。

仕事、好奇心、表現、出会い、時代のスピード感・・・。

人生のフェーズによって、場所を変えるのはむしろ自然なこと。

郷土愛があるから地元に残る?
郷土愛がないから地元から出ていく?

割とそんな単純な話でもないのかもね。


そう、むしろ逆説的やけど、

郷土愛がしっかり育ってる人ほど、地元に縛られない

そんな気さえしてくる。

離れても大丈夫。
そこにいなくても、戻らなくても、罪悪感がない。
どこにいても自分でいられる。

郷土愛が、アイデンティティの“錨(いかり)”になってる

そんな感じやからかもしれん。


さてさて、じゃあまっつんスタイルの場合は?

うん、その“錨”を、地元に下ろせんかったんやろね(笑)。

まぁなんて言うか・・・、ホントいろんなことがありすぎたから。

ホントに(笑)。

だから外に探しに行った。
自分の世界を変えたかった。
場所じゃなくて“在り方”を拠点にしようとした。

そんな感じ。

これ、「俺もそう」って人、多いんちゃう?(笑)

まぁ今にして思えば、それは欠陥でも失敗でもなんでもなくてね。

必要な選択やったと思っとるけど。


郷土愛への羨望と、地元でのネガティブな経験は、おそらく裏表。

でもだからって、郷土愛がない自分を責めるとか、そんな必要は別にない。

郷土愛が強い人に、無理になろうとする必要ももちろんない。

郷土愛の強さ、あれは、

いくつもの幸福な条件が、偶然にも揃った結果


まぁそら羨ましいよ(笑)。

それは今までもこれからも。

でもさ、羨望と納得、アイデンティティの間(はざま)で見えてくる今の自分の立ち位置も、それはそれで別に悪くない。


まとめとしてはどうかな?

郷土愛は、別に義務でも美徳でもなくて。

人がそれぞれ、自分が気持ちよく呼吸できる場所を探した結果、持てたり持てんかったりする

って話。

それに、今の自分を心底肯定することができたら、「人生の後半に郷土愛が芽吹く」なんてこともあるかもしれんしね。


今は、どこに住むかよりも、どんな在り方で生きるかの時代。

郷土愛とアイデンティティについてつらつら考えてみたら、少しだけ肩の力が抜けた。

そんな気がする☆


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