俺は実は、根っこはオタク気質でね。
「知らんがな」かもしれんけど、アニメもゲームもマンガも大好き!
ゲームのプレイ動画とか、正直一日中見ていられるタイプ(笑)。
でもねぇ、長〜いこと、意識的に距離を置いてきたのよ、実は。
もう“封印してた”って言ってもいい。
オタクの世界との関わりを。
今はそんなことないけど、30代の頃なんかは特にね。
理由は単純。
常に謎の罪悪感が湧いてくるから・・・。
好きなことやのに・・・。
これ、わかる人にはわかってもらえると思うんやけど、どやろ?
オタクの世界は楽しい。
没頭できる。
なのに、心のどこかから声が聞こえてくる。
「こんなことしててええの?」
「現実逃避ちゃうんか?」
「その前にやることあるやろ?」
もうそれは呪いの如く。
この声が聞こえてくるたびに、自分で自分に「頼むから邪魔すんな」って言いたくなったもの。
ホンマ、イヤになる。
たしかに、「マジで時間の無駄なんかな?」って本気で思った時期もあった。
でも冷静に考えたらさ、好きなことを楽しくやるのに無駄もクソもあるわけないやん?
おかしな話なのよ。
それでも謎の罪悪感は消えない・・・。
で、実際距離を置いてみた。
アニメもゲームも断った。
じゃあ人生がなにかしら前に進んだかっていうと・・・、これがそうでもない。
相変わらず、なりたい自分へは道半ば。
たまに「ちょっと息抜き・・・」って、動画をチラ見するだけで、なぜか正当化の理由を探してしまう(苦笑)。
これ、ものごっつい人生損してる気がする瞬間。
もうこんなことばっか。
ここまで考えて、ようやく一つ腑に落ちる仮説が出てきた。
いや、違う。
ずっと薄々勘付いてた事実がある。
たぶん俺は、オタク気質を解放することに、厳しい条件を課してたってこと。
心の奥に、こんなルールがあったんやと思うのよ。
・ライスワークにちゃんと納得してる
・できればライフワークと一致してる
・少なくとも並走できてる
「この状態になって初めて、好きなことを全力で楽しんでええ」と。
逆に言えば、「そこに到達するまでは、いくら好きでも、オタクの世界に没頭する資格はない」と。
なんか知らんけど、そういうルールを自分に言い聞かせ続けてたらしい。
これ、なんなんやろな?
幼少期の刷り込みなんか、ようわからんトラウマ体験なんか・・・。
とにかく、めちゃくちゃ厳しい自縛の呪い(笑)。
このルール、自分で言うのもなんやけど、“誠実やからこそ”とも言えるのよ。
人生を投げてない。
好きを言い訳にしてない。
ちゃんと生きようとしてる。
そういうことやん?
でもどうやろ。
同時に、一生、許可が降りない可能性もあるっていうね(笑)。
だって、
ライスワークに100%納得?
ライフワークと完全一致?
誰にでも胸を張れる立派な人生?
そんな状態、え?、アリエル?
実際は幻に近いわけで・・・。
ここでようやく、自分がハマってた構造が実体として見えてきたわけ。
俺はずっと、
オタク気質を満たしたいのに抑え込んでた。
納得できないライスワークを続けてた。
なりたい自分に向けて動けない自分に苛立ってた・・・。
そんな、アクセルとブレーキを同時に踏んだような状態やった、と。
マジメなんか、ややこしいんか・・・。
そら、しんどいわな(笑)。
で、薄々気づいてた心のうちをハッキリ言葉にすることで、少しだけ視点が変わったのがここ数年。
「もしかして順番、逆ちゃうんか?」
「ちゃんとした自分になってから楽しむんじゃなくて、楽しめる状態が、人生を前に進める燃料ちゃうんか?」
オタク気質って、俺にとっては別に逃避装置でもなんでもなくて、回復装置・着火装置やった可能性が高いのよね。
それを訳のわからん条件付きにして、ガス欠のまま走ろうとしてただけやった。
そういうことやったんかもしれん。
これ、まっつんスタイルZENっぽく言うなら、「執着」と「分別」の同時発生、やな。
・ちゃんとした自分でありたい「執着」
・今、ここにある“快”を裁く「分別」
どっちも大事、どっちも本音やから、余計にややこしかった。
でも今は、少しだけこう思えてる。
「人生が整ってから楽しむんやなくて、楽しむことも含めて、人生を整えていく。それでええやん」
ってね。
まぁまだ完全やないけどさ。
今もたまに罪悪感は顔を出す。
でも前みたいに、自分を責めたり、ため息ついたりは明らかに減ったよね。
長い長い遠回りやった。
好きなことに罪悪感を覚えてた俺は、怠け者やったんやなくて、人生に本気すぎただけやったんかも(笑)。
楽しむことに条件をつけとる人、その順番、一回疑ってみてもええかもね。
人生は、ちゃんと生きてから楽しくなるんやなくて、楽しく生きようとする中で、ちゃんとしていく部分もある。
これ、大いにある。
「なんなら同時進行でええやん」って、たぶんそういうことやから☆


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