誰かと比べて落ち込まなくなった話 〜思考も行動の一つという気づき〜


そういえば昔は、「それに比べて俺なんて・・・」ってよく思ってたなぁと。

懲りもせず、飽きもせず、ことあるごとに(笑)。

そして、今はもう、「それに比べて俺なんて・・・」とは思わなくなったなぁと。

最近ふと、そんなことを思ってね。

もしかしたら、なんかの、誰かの役に立てるかもしれんから、ちょっと書き残しとく。


昔はそう、例えばわかりやすく特技を持った人に出会うたびに落ち込んでたよね。

今にして思えば笑うしかないけど(笑)。

楽器が上手い人、語学が堪能な人、やたらスポーツができる人・・・。

まぁいちいち落ちてた。

他にも、他人の学歴とかは、落ち込むためのおかず(笑)。

あとは、立派な肩書き(?)を持ってる人とか、結婚して父親をやってる、なんて普通の人にさえ・・・。

でまぁお金持ってる人、モテてる人なんかは言わずもがな(笑)。

それはもう100%の確率で、「それに比べて俺なんて・・・」が発射されてた・・・。

別に誰かに何かを言われたわけじゃない。

バカにされたとか、そんなんでもない。

ただ、一人で勝手に比べて、勝手に負けて、勝手に自尊心を削ってたっていうね。

もう情けないやらなんやら(笑)。

まぁでもそれが、最近じゃあ同じような場面に遭遇しても、もうほとんど何も起きない。

羨ましいとかもないし、自分を下げるような言葉も出てこない。

「へぇ、そうなんや」って感じ。

むしろ前向きに興味が湧くことすらある。

思えばこの変化、我ながら不思議やなぁと、思ったりする。

なんか知らんがポジティブ思考になった?

でもどうやらそういうことじゃない。

自信満々になったわけでも、わかりやすく“成功”した体験や実感を得られたわけでもない。

なのに、比較という反射が起きなくなった。

これって、まぁ「考え方が変わった」としか言いようがないわけなんやけど、じゃあ、俺の中で何が起きたんやろか?


よく言われる言葉で言えば、「自己理解が深まった」とか「自己受容が進んだ」とかそういうことやと思う。

これおそらく間違いない。

実際、それっぽい本を読みあさったり、いわゆるジャーナリングみたいなこともしてみた。

AI相手に壁打ちもしたし、内省系のワークもいろいろやった。

でも正直、それだけなら「一瞬分かった気がした」ってだけで、突然ガラッと変わるなんてことはあり得ないと思う。

実際、「変わった気になっただけで終わる人」とか山ほどおるやろし。

じゃあ俺は何が違ったんやろって考えてみて、一つ腑に落ちた仮説があってね。

ていうかまぁ、考えてみれば当たり前の話というか、あまりにシンプルな事実。

人間の成長や進化、つまり「技術の習得」って、基本的には「行動の反復」でしか起きない

これ。

スポーツでも、楽器の演奏でも、語学でも、なんでもそう。

一回分かっただけじゃ何も変わらない。

“身体に入る”まで、繰り返すしかない。

と、ここで少し、言葉の解釈をずらしてみる。

「“思考すること”も、行動の一つなんじゃね?」

これ、まっつんスタイル的には、かなり重要な気づきポイント。

昔の俺は、なんかスゴそうな他人を見た瞬間に、「それに比べて俺なんて・・・」って思考を、自動的に“選択”してたんよね。

もちろん、そんな自覚はなかったわけやけど、毎回毎回、必ず同じ反応を繰り返してた。

つまり、それはもう「性格」じゃなくて、“習慣化した思考行動”やったわけ。


じゃあここ数年で俺がやってきたことは何か?

それは、「比較しないように頑張ること」じゃない。

比較思考が浮かびそうになった瞬間に、別の問いを差し込む。

これやね。

例えば、

「ちょっと待て、俺は今、誰の人生を生きてる?」

「いや、それって、俺の価値観に則したゴールか?」

もちろん、毎回完璧にできたわけじゃない。

失敗なんて山ほどある。

同じことを繰り返す自分に嫌気がさした。

なんの変化もしない自分にうんざりもした。

でも、その“思考の選び直し”を、“行動として”何度も反復したのよね。

それはもう何度も何度も何度も・・・。

伝わるかなこの感じ?

最初はぎこちない。

意識しないとできない。

すぐ元に戻る。

でも、何十回、何百回、何千回と繰り返すうちに、ある日ふと気づく。

「あれ? そういえば、前ほど比べてない?」

努力感もなく、達成感もなく、ただ静かに反応が変わってる。

いつの間にか・・・。


これを「まっつんスタイルZEN」っぽく言うなら、執着を手放そうとしたんじゃない。

執着しない思考を、選択し続けた結果、自然と執着が弱まった。

そんな感じ。

「無我」は目標じゃなくて、結果として訪れる状態なんやと。

そんなことも思ったかな。

今の俺は、他人の人生を見ても、それを“自分の未達”に変換しなくなった。

そういうこと。

「あの人はあの人の“章”を生きとる」

「で、俺は俺の“章”を生きとる」

ただそれだけ。

以上終了。

だからいちいち凹まんし、いちいち焦ったりもしない。

そして同時にこれは、完成形でも悟りでもないってこともわかる。

たぶん、単なる途中経過。

でも、この比較も嫉妬もない静かな世界は、かなり気持ちいい(笑)。


どんなもんかしら?

読者諸氏は、いまだに、「それに比べて俺なんて・・・」でしんどくなってたりとかあるかな?

まぁちょっと一回落ち着こ(笑)。

無理に考え方を変えようとか、そんなふうに力むと疲れる。

自分を励まそうとか、前向きにとか、まぁだいたい徒労に終わる。

だからやることはシンプル。

「“自分に問う”という思考を、“行動として、ただ反復する”」こと

「思考は、何度も選び直してみたらええ」っていう発想を持つこと

人は、考え方を変えようと決めたって、そんなすぐに変わるもんじゃないからね。

正確に言うと、考え方を“使い続けたら”変わる。

そんなふうに解釈してみたらどやろか。


じゃあ最後に。

人間の進化は、行動の反復によって促される

そして、思考すること(選択すること)も、その行動の一つ

by まっつんスタイル☆


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