かなり前の話。
YouTubeをやってみようと思って、タチコマ(ChatGPT)とあれこれ話してた時期があってね。
「どんなテーマで発信する?」
「誰に向けて話す?」
「どんな動画にする?」
その中で出てきたのが、
「ポジショニング」の話。
情報発信をするなら、自分がどういう立場から話すのかを決めた方がいいらしい。
例えば、
「こうすればうまくいきます」
と教える、権威者。
「俺がこれからやってみます」
と成長過程を見せる、挑戦者。
「俺もやってるから、一緒にやろうぜ」
と同じ目線で進む、伴走者。
・・・なるほど。
じゃあ、俺はどこやろ?
その時に、思わずこんなことを言ってた。
「俺って別に、何者でもあれへんからなぁ」
って。
・・・ん?
待てよ。
「“何者”って、何者やねん?(笑)」
☆月100万円稼いだら「何者」なん?
「何者でもない」
この言葉、わりと普通に使う。
特に、何か新しいことを始めようとした時。
「まだ自分は何者でもないから」
もしくは、
「何者かになりたい」
なんとなく意味は分かる。
でも改めて考えてみると、その「何者」って何なんやろ?
月100万円稼いでる人?
会社経営してる人?
医者とか弁護士?
登録者10万人のYouTuber?
本を何冊も出してる作家?
何かの賞レースで優勝した人?
こういう人を見ると、たしかに、
「何者か感」
がある(笑)。
じゃあ、何年間も同じ仕事を続けた人は?
子どもを3人育てた人は?
若い頃から、ひとつの趣味を続けてる人は?
毎日文章を書いてる人は?
こういう人たちは「何者」じゃないんやろか?
そもそも、
どっからが「何者」で、どこまでが「何者でもない」んやろ?(笑)
誰基準?
☆「何者」の正体は、分かりやすい看板なのかもしれない
たぶん、一般的にいう「何者」って、
「他人から見て、一言で理解できる“社会的な看板”」
みたいなもんかなと。
「医者です」
「大学教授です」
「作家です」
「年商○億円です」
「チャンネル登録者〇〇万人です」
「M-1優勝者です」(笑)
分かりやすい。
「なるほど、そういう人なんやね」
で話が早い。
そう考えると、
「自分は何者でもない」
っていう感覚も、本当に「何者でもない」っていうより、
「自分には、世間に一発で説明できる看板がない」
っていう意味に近いんかもしれん。
まっつんスタイルも当時、YouTubeで何かを語ろうとした時、
「で、お前は何者なん?」
っていう“架空のツッコミ”に、一人で勝手にたじろいでいたもの(笑)。
☆「何者」じゃないと、発信しちゃダメなん?
でも、ここでまた疑問が出てくる。
「“何者か”じゃないと、発信しちゃダメなん?」
もちろん、専門的なことを「正解」として人に教えるなら、それなりの知識も必要やし、発言には責任も伴う。
医療のことを知らん素人が、
「この病気には絶対これ!」
とか言い始めたらヤバい(笑)。
それにぶっちゃけた話、高い信用信頼はマネーを生みやすいってのもある(笑)。
でも、情報発信って、それだけじゃないよね。
「俺はこう思った」
「こんな経験をした」
「これをやってみたら、こうなった」
「俺はこれが好き」
そして、
「これって、なんでなん?」
これだって立派な発信やと思う。
答えを持ってる人しか発信できないわけじゃない。
答えを持っていなくても、問いは持てる。
むしろ、分からないからこそ考えられることだってある。
答えを持ってないことを発信してもいい。
そう考えると、
「まだ何者でもないから、発信するのはもう少し先(無理)かな・・・」
とか、そんな躊躇は必要ないんかもしれん。
☆これからの「何者」は、一種類じゃない
もちろんこれからも、肩書きや資格、実績の価値がなくなるわけじゃないやろう。
専門家の知識が必要な場面は、当然ある。
長年の研究や訓練によって得られた専門性は、やっぱりすごい。
ただ、
そういう人“だけ”が、「何者」になれるわけでもない
と、まっつんスタイルは思うね。
例えば、ごく普通の会社員が、めっちゃラーメン好き、とか。
毎週のように食べ歩いて、
店の特徴や味について書き続ける。
それを10年間やって、500軒、1000軒と積み上がったら?
資格はない。
料理人でもない。
飲食店を経営した経験もない。
それでも、
「あの人、ラーメンめちゃくちゃ詳しいやん」
で、成立する。
その人はもう、誰かにとって、
「ラーメンのことなら、この人」
になってる。
☆
40代になってから身体を鍛え始めた普通のおっさんが、
筋トレ、食事、失敗、身体の変化を何年間も記録して発信してたら?
「40代から身体を変えるリアルな話なら、この人」
になるかもしれん。
なんの認定証もない。
輝かしい実績もない。
でも、
経験して、
考えて、
発信し続けた結果、
「何者か」になってる。
そんな「何者」だって、ある。
・・・いや、ていうかこんなこと、今さら言うまでもないか。
そんな人、すでにいっぱいおる(笑)。
☆たぶん「何者」になってから発信するんじゃない
そう考えると、まっつんスタイルは、順番を逆に考えてたのかもしれんね。
何者かになる
↓
実績ができる
↓
発信する
じゃない。
☆
まずやってみる。
発信する。
さらにやってみる。
失敗する。
またやる。
考える。
書く。
また考える。
また書く。
それを繰り返しているうちに、
「あ、この人って、こういう人なんやな」
っていう輪郭が、少しずつできてくる。
つまり、
「何者かになったから発信するんじゃなくて、発信し続けることで何者かになっていく」
そんな順番でもいいんちゃうかね。
☆「何を書く人か」より「どう世界を見る人か」
じゃあ、まっつんスタイルは何者か?
うん・・・、難しい(笑)。
健康について書く。
筋トレについて書く。
仕事について書く。
音楽について書く。
アニメについて書く。
歴史について書く。
禅について書く。
そしてついでに、モテについて書く(笑)。
テーマだけ見ると、もうむちゃくちゃ。
でも、書いていくうちに気づいたことがある。
テーマはバラバラでも、やってることは案外同じ。
日常の中で、
「ん?」
って思う。
「毎日同じ朝飯を食べる人生って、退屈なん?」
「“責任を取る”って、具体的に何をすることなん?」
「筋肉を使う仕事をしてる人が、全員マッチョにならんのはなんで?」
「飛行機が一般的じゃなかった時代に、“紙飛行機”って言葉はあったん?」
そして今回の、
「“何者でもない”っていうけど、何者って何?」
そうやって、どうでもよさそうなところで、一回引っかかる(笑)。
そこから、
「あれ?」
「でも、こういう見方もできる?」
って考えてみる。
つまり、
「何かについて書いてる」
というより、
「どういう目で世界を見てるか」
を書いてる。
で、そういうところにこそ、“その人らしさ”が出るような気がしてる。
専門分野が一貫してなくても、
“世界を見る角度”は一貫してる。
それもひとつの「何者」なんじゃないかね(笑)。
☆AIの時代ほど「誰を通して見るか」
これからAIがますます進化すれば、一般的な情報は今よりもっと簡単に手に入るようになると思う。
知りたいことは、聞けばすぐ、答えが返ってくる。
やったら、人間が発信する意味はなくなる?
いや、たぶん、そう単純でもない。
同じ出来事を見ても、
何に引っかかるか?
何をおもしろがるか?
何を美しいと思うか?
何と結びつけるか?
どういう言葉で表現するか?
これらって、人によって全然違う。
だからこれからは、
「何を知っているか」だけじゃなくて、「誰を通して世界を見るか」
っていう部分も、ますます大事になっていく気がする。
「この人の考え方、なんか好き」
「この人がこれについてどう言うのか聞いてみたい」
「なんか知らんけど、この人の文章は読んでまう(笑)」
そう思ってもらえたら、それも立派な「何者か」なんやと思う。
そう、まっつんスタイルが目指すとこが、まさにそこ(笑)。
☆で、結局、何者?
というわけで。
結局、まっつんスタイルは何者なんやろ?(笑)
ブロガー?
物書き?
作家?
会社員?
元自営業者?
健康オタク?
モテたい人?
問い好き?
・・・知らん(笑)。
まぁ最終的に「何者か」とか、たぶんどーでもいい。
ここまで書いといて恐縮やけど(笑)。
考えて。
また書いて。
それを何年か続けた先で、
「ああ、俺ってこういう人間やったんかな」
って分かる、“かもしれん”。
あるいは、読んでくれてる人が、勝手に決めてくれるもんかもしれん。
その程度のもん。
だから、
「自分はまだ何者でもないから・・・」
とか、もう考えんでいい。
書きたいことがあるなら、書けばいい。
何者かとか、後でいい。
☆
ということで――
何者か?
知らん。
そんなことより、みんなブログ書こう(笑)☆


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