完璧主義を手放す方法 〜疲弊したあなたを救う“ZEN的生き方”〜


☆人はなぜ「完璧」を目指すのか?

これはたぶん「安心したいから」やな。

人間は“不確かなもの”に恐怖心を抱く生き物。

だからとにかく“確かさ”が欲しい。

その“確かさ”を求めて暴走するのが「完璧主義」。


でもねぇ、そんな“確かさ”なんてもん、無いんよね(笑)。

存在しない。

これはもうダラダラ理由を書くまでもないけど・・・。

  • 「確かかどうか誰か決めんの?」
  • 「その確かさをどうやって判断すんの?」
  • 「そんなことしてたら身動きとれんなるやん?」

で、その“絶対に手に入らない確かさ(安心)”を求めすぎて、気づいたら息が詰まってグッタリ・・・。

完璧主義って、実は「呼吸の浅〜い生き方」なわけ。


昔のまっつんスタイルなんかはまさにそう。

例えばこのブログを立ち上げる時に、何度“完璧主義の罠”にハマったことか。

何度それでしんどくなって、何度手が止まったことか・・・。

文章もデザインも、更新頻度も扱うテーマも、「100点を出るまで世に出したくない」って自分がいたよね。


でもさ、ある日ふとおもろい比喩が湧いてきたのよ。

“完璧なるもの”は、呼吸が止まってる状態
“いわゆる未完成”は、しっかり呼吸できてる状態

ってことなんちゃう?って。


呼吸の浅い完璧主義に取り憑かれた男は、不自然で不気味。

深く呼吸してる(心臓が鼓動してる)未完主義の男は、自由でセクシー(笑)。


というわけで、「完璧主義」を手放す考え方?

今日はそんな話をサラッと書いてみることにする。


☆「未完成 = 呼吸中」と捉える

禅的に言うと、“完成は死”やねんな。

完璧にした瞬間、あるいは完璧を目指そうとした瞬間、そこからもう動かなくなる。

呼吸が止まり、動きが硬直したものからは“生命の躍動”が消える。


これは「侘び寂び」の精神にも反する。

動かなくなるってことは、生き方としてリスキーで不自然で、なにより美しくないってこと。

だからこそ、作品も人生も「未完成のまま呼吸してるのがいい」と考えるくらいがちょうどいい。

「まだ途中」ってことは、「まだ生きてる」ってこと。

そして、あらゆる可能性と、自由の余白があるってこと。


まっつんスタイル的口グセ化ポイント : 「今日はここまでで充分、呼吸してるからOK、俺セクシー(笑)」


☆「最初の5分を神聖化」

完璧主義者は「始める前に整えよう」とするけど、本当に大事なのは“始めたあとに整う”こと。

この認識がユルユルだから完璧主義者は前に進まない、進めない。

だからまず、最初の5分で“完璧主義脳”を“脱臼”させる(笑)。


例えばブログなら、パソコン開く、1文字書く、1行書く・・・。

例えば筋トレなら、マット敷く、グローブする、イヤホン突っ込む・・・。

この“最初の5分”だけを徹底的に崇め奉ると、自然な流れに乗りやすくなる。

「考える前に動く、動き出したら意外とやれる」

なんでもそうやけど、これは結構“あるある”。

だから、もし完璧を求めるなら、この最初の5分の「始める儀式」を完璧にすればええ。


☆まっつんスタイル的儀式化テク : 伸びをする/大声を出す/BGMを決める/香りをつける/飲み物を注ぐ


☆「粗」(あら)は味

例えばなんやろ?、スパイスカレーとか発酵食なんかは、“ムラ”や“雑味”こそが旨みやったりするやん?

日本酒もそう。

純米大吟醸が必ずしも美味いとは限らん。

謎の酸味が効いたラーメンが異様に美味かったりもする(笑)。

禅寺の庭園があえて未完なのは有名な話。

ぶっちゃけた話、女子の魅力もそう。

スタイルのいい不美人の色気とか、年齢を重ねた女性に漂う独特の艶(あで)とか、男子ならわかるはず(笑)。


これは「ポジティブシンキング」とか「リフレーミング」なんていうテクニックの話じゃない。

いわゆる”世間的な欠点”を愛するのは、実は人間の本質。

味も美術も容姿も、そしてブログの文章も、整いすぎたもんは心には残らん。

未完成こそ、愛される余地


☆まっつんスタイル的一句 : 「なんでもそう 粗があるのが 俺の味」


☆「エロモテZEN」による解釈

サラッと書いてきたけど、もう「完璧主義の男」には、色気もなけりゃモテもしないことは言わずもがな。

だって呼吸してねんだもん(笑)。

呼吸してない(“命の躍動”のない)「完璧もどき」の男はモテない。

深い呼吸に生命力を感じる「未完の男」はセクシー。



ZEN的にはどうやろ?

「“完璧”は守り、“未完”は誘い」なんてどう?

“完璧”は、「守りたい」、「間違えたくない」、「傷つきたくない」という執着。

“未完”は、自由への呼び水。

「こんな選択肢もあるで〜」という可能性への誘惑(笑)。


まっつんスタイルが目指すのはもちろん、「完璧主義を手放し、“未完の軽やかさ”をまとった男」



「完璧主義からの解放」は、知識による柔軟性の獲得と、小さな行動の反復による慣れ。

この二つかなと思う。

  • 完璧主義は本能の過剰反応
  • 完璧な状態なんてそもそも存在しない
  • 未完は生きてる証であり生命そのもの
  • 完璧を求める前に動け
  • 不完全さにこそ価値がある

こういった知識(考え方)を身につけて、あとは小さな行動で“不完全さ”を受け入れていくだけ。

まずは、「あぁ今俺、完璧主義に陥ってるなぁ・・・」って自分で気づくところからかな。


拗らせると行動のブレーキになる厄介な完璧主義。

でも恐怖心が湧いたり安心を求めたりするのは、なにかに挑んでるからこそとも言える。

挑戦があり、慣れがあり、受容があり、進化があり、その先に“完璧主義的息苦しさ”からの解放がある。

まぁ慌てずいこう。

“未完主義”は深い呼吸の証☆


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