人はなぜ、幸せになりたいのに、幸せがわからなくなるのか? 〜幸福を感じにくい理由と、自分に帰ってくるということ〜


今日も、幸福について。

まぁね、こういうテーマ好きなのよ(笑)。

ちょうど最近、考える機会があったのもあるし。

☆

突然やけど、

「今、幸せ?」

って聞かれたら、なんて答えるかね?

「はい」

って即答できる人、意外と少ないかも?

不幸ってほどじゃない。

でも幸せかって言われると・・・うん、なんとも言えない。

「こんなもんじゃね?」

「まぁしゃーない・・・」

それくらい?(笑)

たしかに、

「はぁ〜、幸せやわぁ〜(うっとり)」

なんて心境になるのは稀なこと(笑)。

幸せなんて、実は瞬間的な感情なんかもしれん。

でも、そうじゃない時間の、なんていうか、満足度とか納得感の高さ?

そういうものが幸福側に寄ってるか否かって考えてみる。

どうやろ?

今、幸せ?(笑)

☆

考えてみると不思議。

人はみんな、幸せになりたいわけで。

これはもう間違いない。

お金が欲しい。

恋人が欲しい。

健康になりたい。

自由になりたい。

認められたい。

安心したい・・・。

欲しいものは人それぞれ。

あるいは全部(笑)

でも結局、その先にあるのは必ず、

「幸福になりたい」

って願い。

☆

「じゃあ、あなたにとっての幸せって?」

ここで急に言葉に詰まる・・・。

お金があれば幸せ?

結婚したら幸せ?

権力があったら、名誉があったら幸せ?

それとも健康?出世?

もちろん、それらは人生を豊かにしてくれる。

でもどうやら、それだけじゃ説明しきれないらしい。

だって、

お金もある。

家族もいる。

健康でもある。

でも、苦しそうな人がいる。

逆に、

何の肩書きもない。

収入も大してない。

でも妙に穏やかで満たされてる人もいる。

「なんで??」

このありふれて、言い尽くされた問いが、いつまでも残る・・・。

☆

少し前に、生物学者の小林武彦さんのご著書を読んだ。

細かい話は端折るけど、

「人間は遺伝子的に、幸せを感じにくいようにできている」

っていう趣旨の本。

ちょっと「なるほどなぁ」って思っちゃったよね(笑)。

もし今の状態で完全に満足してしまったら、

必死に生き残ろうとも、

新しいことに挑戦しようとも、

より良い環境を求めようとも思わなくなる。

だから人間は、

「あと少し」

「もう少し」

「もうちょいなんかあるやろ?」

って、思い続けるように設計されているという。

進化による宿命みたいな話。

いかにも人間らしいよね(笑)。

☆

でまた、考えてみると、めちゃくちゃ心当たりがある(苦笑)。

欲しかったものを手に入れる。

しばらく嬉しい。

でも慣れる。

飽きる。

でまた、次を探す(苦笑)。

新しい目標。

新しい刺激。

新しい理想・・・。

これ、ポジティブに作用していればいい。

充足が前提の、好奇心の発露としての欲求ならば。

でもこれが、不足や渇望が根底にある「もっと」だと、なかなかしんどい。

「幸せ」とは言いずらい・・・。

問題は、その「もっと」が、

自分の本心から生まれてるのか、

それとも誰かとの比較によって生まれてるのか。

そこらあたりにありそう。

だから人間って、幸せを求めながら、いつまでも経っても幸せに辿り着けないことが多いんかなと。

必死で自分の尻尾を追いかける犬、みたいな?

走るのをやめた瞬間、尻尾はちゃんと自分についてきてることに気づく。

なんかこの例え、禅っぽい。

やっぱ人間って業が深い?・・・(笑)

☆

世の中には、幸せのテンプレートってたくさんある。

結婚。

出産。

マイホーム。

高収入。

出世。

FIRE。

最近なら、YouTuberとかインフルエンサー。

さらには、

「好きなことで生きる!」

なんていうテンプレまである(笑)。

もちろん、それらを望む人は、それ目指せばいい。

大いに結構。

でもそれが、

全員の幸福とは限らない。

誰かの理想が、自分の理想とは限らない。

ここは太字(笑)。

これはもうホンマに忘れちゃダメ。

自戒も込めて(笑)。

人って案外、

「幸せになる」

んじゃなくて、

「幸せそうに見える人の人生を追いかけ始めたりする」

もんやからさ。

☆

本当は静かに暮らしたいのに、

競争をし続ける。

本当は挑戦したいのに、

安定ばかりを選ぶ。

本当は自由が欲しいのに、

世間体を優先する・・・。

気づけば、自分の人生じゃなく、誰かが作った「幸せのテンプレート」を歩いてる。

こういうことって、結構あるのよね。

☆

だからおもしろいのが、禅。

禅は、生物学とは、ある種、真逆のことを言うから。

遺伝子は、

「もっと」

って言う。

禅は、

「今、ここ」

って言う。

「もっと稼げ!」

「もっと承認!」

「もっとゲット!」

「まだ不安が消えんぞ!」

「もっともっと!」

そう囁く脳に対して、

禅は静かに、

「いや、今を観てみ?」

って言う・・・。

☆

何かを足すんじゃない。

何者かになるんじゃない。

まず、「今、ここ」に戻る。

今の自分を観る。

今の人生を観る。

今の心を観る。

幸せって、わからんけど、「未来の〇〇かもしれん・・・」に備えることじゃないからね。

「もっと頑張れ」

より、

「今のお前、ちゃんと見えてるか?」

っていう問い。

禅は、欲望を否定せず、

「幸せにしてくれそうな欲望に飲まれるな」

って言ってる。

そんな感じ。

☆

で、まっつんスタイルの、今のところの回答らしきもの。

幸福って、

「自分に帰ってこれてる状態」

なんちゃうかなと。

誰かになろうとしてない。

誰かの人生を生きてない。

ちゃんと自分で選んで、

ちゃんと自分で納得してる。

その感覚。

何かを手に入れた状態じゃなくて、

自分の選択に責任を持ててる状態。

もう少し突っ込んで言葉にすると、

自己一致感。

自分の人生への納得と満足。

「らしさ」の体現。

で、、

「ちゃんと毎日楽しんでる」

「ストレスなく過ごせてる」

「うん、悪くない(笑)」

そんなふうに思える感覚。

そういうものの総称。

☆

だから極端な話、何だっていいのよね。

前も書いたけど、

世間の金持ち像を目指してもいいし、別に目指さなんでもいい。

大谷翔平と同じことしてもいいし、しなくてもいい。

マイホームパパになってもいいし、ならんでもいい。

アートにのめり込んでもいい。

性癖を極めてもいい(笑)。

なんでかって、幸福って、

「何を選んだかじゃなく、その選択がホンマに自分のもんかどうか」

やと思うから。

ここも太字(笑)。

☆

人が苦しくなるのって、

能力不足でも、

努力不足でもなくて、

「らしさ」から離れてしまう“自己不一致”。

そういうことって結構あるんちゃうかなって。

これ、まっつんスタイルがよく思うこと。

小さな不一致が積み重なると、人ってちょっとずつ苦しくなる。

もうホント、心当たりがありすぎる(笑)。

逆に、自分らしさに近づくほど、心って自然と満たされていくもの。

少なくとも、納得とか充足は感じられるようになる。

そんなふうに思うけどね。

☆

だから、まっつんスタイルが、

健康管理、

情報統制、

自己理解、

を押すのもそこ。

身体を整える。

ノイズを減らす。

自分を知る。

すると少しずつ、

ホントに好きなこと、嫌いなこと。

ホントに望む生き方、ライフススタイル。

そういう自己一致の感覚が見えてくるのよね。

自然と。

☆

そこまで来たら、あとは人それぞれ。

筋肉をつける人もおる。

あてもなく旅に出る人もおる。

結婚する人もおる。

離婚する人もおる。

起業する人もおる。

海外に行く人も、出家する人もおる(笑)。

どれも正解。

自分の本心から選んだものならね。

☆

だから、時々立ち止まって、自分に問いかける。

「これ、誰の幸せ?」

って。

「親?」

「会社」

「SNS上の誰か?」

「それとも、ちゃんと自分の幸せ?」

「で、自分はホンマはどんなライフスタイルに幸せを感じるの?」

ってね。

☆

なんか幸せって、外に探しに行くもんじゃないやろと思う。

誰かから教えてもらうもんでもない。

案外、何度でも、

“自分の中へ帰っていくもの”。

やっぱまっつんスタイルは、そんなふうに思うかな。

そんなわけで今日も、

「俺にとっての幸せって何やろね〜?」

って、そんな問いを抱えながら、ブログを書いとります。

答えは今日も出ぇへん(笑)。

でも、この問いを持って生きてる時間そのものが、案外もう幸せなんかもしれん。

なんつってな☆


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